皆さんこんにちは、あにきです^^
今回は動き方について
お話をしたいと思います。
力の源を考えた事がありますか。
自身が動いたり考えたりする為の
根源となる部分の事です。
使命感や義務感、危機感など
縷々様々なものがあるのですが、
結局のところ掘り下げていくと
想念に辿り着きます。
想いと念の事ですね。
プラスに起因する部分の思考や動きは
想いが要因となり、
マイナスに起因する部分の思考や動きは
念が要因となります。
この時に意識の方向も一緒に考えるのが
大切になってきます。
何故かと云うと、
特に想いは「相手との双方向」が
基本となるためです。
にも拘らず、
その原理原則を破ってしまって
念を想いと誤認する事が多いからですね。
意識の方向が周りへと向いているのか
それとも自身へと向いているのか
外側なのか内側なのか
これをセットで考える事が重要です。
いつもお話をしている
「何のために」「誰のために」です。
念を基礎として使う力の場合は、
双方向である意味がありません。
自身から相手への一方通行です。
その代表的なものが「恨み」ですね。
それを意図的に濃縮して使うと
「呪い」となります。
だいぶ前にも一度お話をしましたが、
本当の呪いと云うのは
さして難しいものではないです。
大なり小なり発動させるメカニズムは
単純極まりないものです。
但し、その根源にはあるものを利用します。
何かと云うと、「思い遣り」等の想いです。
念を源とした力を使うという事は、
意識の方向が内側へと向きます。
この時に、想いを軸としている部分の代物が
1つ1つ失われていきます。
その代表格が「思い遣り」や「優しさ」です。
思い遣りや優しさは自身の中に蓄積されています。
これらを消費する事で、念に属する力を使います。
この恐ろしいところは、
一度失った想いというのを再度手にする事が
非常に難しいという点になります。
何故なら、想いを失うという事は
周りからの信を失うという事だからです。
それを再構築させる為には、
ゼロスタートどころかマイナススタートで
リスポーンしないといけません。
つまり、何もかもが無い状態で
今の俗欲と過去の俗欲に打ち勝ちながら
やり直さないといけないという意味なのですね。
この苦痛は想像を絶するものなので、
大抵の場合は途中で楽を求めて堕落します。
それまで楽をしまくってきた感覚も
残っていてそこに在るのですから
その誘惑にずっと苛まれ続ける事でもあります。
念の力はあんまし使わん方が
ええんやで
皆さんこんにちは、あにきです^^
何とも物騒なタイトルとなりますが、
本当の意味でのスピリチュアルを
知りたいのであれば、
絶対に避けては通れないテーマが
これになります。
自己憑依です。
あにきのセッションやレクチャーを
受けて下さってる方や
スピ日々を読んで頂いてる方には
最早、馴染みのある言葉だとは
思いますが、
自己憑依について解説していきます。
自己憑依とは、その名の通り
自分で自分に憑依するという事を
意味しています。
ですが、現実的な話
自身に憑依をするなどは
出来る筈もないので、
これは現象を比喩した表現になります。
そこをまず理解して下さいね。
で、改めてですが、
どうして自己”憑依”という表現を
しているのかと言うと、
それがまるで所謂”憑依”と似通った
症状が出てしまう現象だからです。
この時の憑依体は自身の念そのものです。
ご自分の中の負の思考、つまり念。
恨み、つらみ、妬み、嫉み、
ありとあらゆるマイナス思考の事を
あにきは便宜上【念】と言っていますね。
これらは通常ですと、
少量ならば勝手に不特定多数へ向けて
飛んでいくものなのですが、
念の生産量がご自身の許容量を
超える程になってしまうと、
放出せずに逆流が起きてしまい、
溜め込み始める流れとなります。
その溜め込んだ念が
ご自身の幽体を覆う形となり、
やがて自我をも蝕んでいく。
これが自己憑依の作りです。
実際の憑依は、
【他者からの霊体への干渉】です。
これに対して自己憑依は
幽体への被覆となりますので、
まるで別物にはなるのですが、
自我を蝕むのが最終段階となる以上は
憑依と呼んでも差し支えないのかと
あにきは思っています。
自己憑依の恐ろしい部分は
概ね3つです。
①通常の憑依と同様に自覚できない。
②除霊などの技が使えない。
③通常の憑依と誤認されやすい。
④自身の根本的問題が解決しない限り
解除しても何度となく繰り返す。
この中で一番の問題点は②③となります。
一見すると④に思いがちですが、
これは普通の憑依でも同じですので、
大した問題ではないです。
②に関しては、
ご自身の念が問題となるので、
除霊という事がそもそも難しいです。
除ける避けるは無理ですからね。
何せ、自分自身ですし。
③に関しては、
本当に多いと思いますよ。
自己憑依と通常憑依を見極められる人は
少ないと思います。
念の見え方が、生霊のそれとか、
霊のそれにとても似ているんですよ。
よく視ると微妙に違うんですけど、
被憑依者の内面を覗ける視覚の方でないと
どうにも難しいと思います。
ただ単純に霊が見える系の人だと、
100%分からないと思います。
自己憑依の方の特徴は、
貧乏神に生じる特徴と似通りますが、
決定的な違いは自我汚染が進んでいない
という点です。
先ほど述べました通り、
幽体への被覆となりますので、
終末期でない限り霊体(自我)が
抗っている状態が多いのです。
なので、初期~中期にかけては、
暗い思考、他者と自分の置き換え、
それらに伴う涙脆さ。
というのがメインで表れてきます。
他者と自分の置き換えというのは、
感情移入ではなくて、
他者を自身の思考回路そのもののみで
判断することを指します。
簡単に言うと、
自分の事ではないのに、
何の疑いもなく自身の事と認識し、
他者の意思はまるで反映させない。
さしずめ、
一人称と三人称が混ざり合った様な
感覚と言えば良いですかね。
自己憑依の終末期は憑依同様に
死に希望を抱く様になります。
これら一連の過程が
呪いを掛ける工程とも似ており、
受呪のそれとも同様なので、
本タイトルの様な表現となる訳です。
何にしても、
捨て置けない状態となりますから、
ひょっとして...と、気付かれた方は、
あにきみたいな業界人に
相談をされた方が良いと思いますよ。
ちなみに、
自己憑依という言葉は、
あにきの造語ですので、
他所で言っても通じませんからね。
悪しからず。
皆さんこんにちは、あにきです^^
ご家庭やご親族の中で
どういう訳か病死が続いたり、
そこまでではなくても、
怪我が多発したり...
そんな事が起きてはいませんか?
今回はそんなお話です。
明確な理由もないのに、
こういった事が続く場合、
霊的な事象を疑う事もありだと思います。
過去の祟りとか、
人からの呪いとか、
そういう禍々しき場合もあれば、
重大なお知らせといった場合も
実は起きていたりします。
「嫌な事だから悪い霊のせい」
ではなくて、
「嫌な事で教えてくれてる善い霊」
というケースも多々あります。
その方が人は危機感を覚えるからです。
また、今は気にしていなくても
この禍根が永代で続く場合、
お子さんやお孫さんにも影響が出てしまう
というケースも考えられます。
それらを解決させて不安材料を取除く事も
あにきの仕事の一つです。
普段はあまりこの手の話題は出しませんが、
実のところ、
この様なお仕事が得意分野です。
日頃お話をしている内容というのは、
この手の災いが起きない様にするための
手法でもあり、起きてしまった後の
対処法の一つでもあるわけです。
要は、問題の渦中というのを
ちゃんと知っているから
机上の空論ではなくリアルな防止策と
対応策についてお話が出来ている
という事なんですね。
もし、ご家庭などで
「おかしいよね?...」
と、思う事がありましたら、
一度ご相談下さっても良いと思います。
皆さんこんばんは、あにきです^^
前回は呪いについて
お話をしましたので、
今回は、祟りと天罰についてです。
まず最初に根本的な事から...
「祟りとか天罰とかってあるの?」
という点ですね。
祟りも天罰も...あります!
どちらもちゃんと存在していますね。
ただ、
言う程"身近"ではないのは確かですが。
|д゚)チラッ
次に、どういったものなのか?
という解説に入りましょう。
祟りも天罰も
それ相応の格の者でないと
発動させる事が出来ません。
普通の人には難しいです。
祟り...
生きてる間に要件を備えておいて
死してから発動させるもの。
要件で必要になるのは、
辱めを主とする怒りです。
触媒には自らの輪廻を使います。
生まれ変わらない代わりに、
ムカつく奴らを皆ぶっころ!
みたいな感じです。
悪人よりも正義感や信念の強い人で
魂の格が高い人が引き起こすので、
今風に言うのなら
【 闇堕ち 】って
ところでしょうね。
祟りは肉体が滅んでから
発動させます。
ターゲットは単体というよりも
種類などで区別しています。
人種、一族、血族、
触れた者どもetc...
効果期間も言う程長くはないです。
目的が達成されるのが先か、
発動者が処理されるのが先か...
永年ということはまず無いです。
よく、首塚などで祟りがどうのと
言ってるのがありますが、
あれは、
その場の瘴気を嗅ぎ付けて
集まってきた悪霊等が
引き起こしている事が殆どですね。
祟りは呪いとは違って、
発動者は既に死んでおり、
贄にも輪廻という
寿命とは比にならない
材料を使うので、
邪魔が入らない限り
発動効果は、ほぼ100%です。
天罰...
生きながらにして特定の人を
ターゲットとしてお灸を据える事。
発動要件は主に信に准じた
怒りか哀しみです。
ターゲットとの約束が
ポイントとなるので
祟りの様な種類での区別
というよりは、
原則的に単体への制裁となります。
(例外もあります)
天罰が触媒とするのは、
己の何かではなく
ターゲットの
信の不履行そのものです。
約束破り、裏切り、辱め、等々...
発動者の魂の格が高いほど、
信のサイズが大きいほど、
発動者とターゲットの
魂の格の差が大きいほど、
効果率と発動率は上がります。
効果としては
主に反省を促すものが多いですが
普通に怪我をしたり、
事故に遭ったり、病気になったり、
場合によっては結果として
命を削る天罰となる事もあります。
祟りも天罰も、
滅多にお目にかかる事は無いですが、
何にしてもなるべくなら
喰らわない方が良いですけどね。
皆さんこんばんは、あにきです^^
スピ日々あるあるで、
「連日投稿をすると閲覧数が減る」
という現象が生じます。
普通は逆に増えるんですけどねwww
どういう訳かスピ日々の場合は減るw
恐らくですが、
つまんないだと思うんです。
スピリチュアルな日々ってわりには、
俗にいうスピリチュアル的要素とか
ミーハーなスピ要素は
皆無ですからね^^
今週に入ってからも
いい感じにそして、
着実に数が減ってきて
断捨離が進みましたので、
そろそろ
それっぽいネタを投下しようかと
思います。
さて、呪いについてです。
呪いというのは可能なのか否か?
結論、可能です。
たぶんですが、
皆さんが想像する呪いって、
丑の刻参りみたいな
道具を使うものでしょ?
実際のところ呪いってのはね、
道具なんかいらないんですよ。
ここでちょっとお勉強。
呪いのメカニズム。
丑の刻参りの場合…
拳銃に例えてみましょう。
藁人形と五寸釘(ピストル)
憎しみ等の念(弾丸)
相手の頭髪や爪(火薬)
それに加えて、
夜中じゃないとダメとか
人に見られたらダメなどの
制約が生じます。
藁人形に念という弾丸と
相手の髪や爪などの火薬を詰めて
五寸釘で発射させる訳ですね。
それにしても面倒臭い方法です。
どう考えても手軽ではない。
これが別の方法の呪いだったとしても
やはり同様に面倒臭い。
やれ生贄やら何やらが必要とかって
とても面倒だしそもそもがリスキー。
何でこんなに面倒なのか?
それは、これらの方法が本来の呪いの
デメリットを避ける為の模倣品だから。
模倣品と言ったって、それでも
一抹の効果はあると思いますよ。
ただ、
凄く限定的で効果率は低いでしょうね。
ハイリスクローリターン。
人の創りし模造の業ですからね。
そんなもんだと思います。
肝心な部分を避けてますからね。
では、本来の呪いの場合は?
自分の身体(ピストル)
憎しみ等の念(弾丸)
自分の寿命(火薬)
これだけです。
え、簡単じゃん...
と、思ってもやらない方が
身のためです。
自分の寿命がただ減るだけでなく、
身体的不具合と精神的な不具合、
周りからの受呪などが
想像以上にこっ酷いです。
リスク効果の範囲も大きくてですね、
まず今生の血族血縁への悪影響や
大切な人への悪影響、
ご自身が亡くなった後の行き先と
仮に輪廻可能だったとしても、
その後の人生での行き先の酷さ。
つまり、
四方八方からどえらい目に合いながら
生きてても死んでも、
生まれ変わっても相当長い間苦しみ、
更にはその時に関係していた人を
巻き込むだけ巻き込み恨みを買う。
その代わり効き目はある。
ハイリスクハイリターン。
誰でもいつでも出来る反面、
リスクが大きすぎる裏技。
これが本来の呪いです。
その最大のデメリットでもある
リスク効果の範囲を
限定的にするために、
敢えて寿命を使わずに生贄を使う。
結果として
どのみち寿命は減るけど、
それは発動者のみの話で済む。
効くか効かないかも運次第。
そして、
どちらの場合も抜け目があって、
発動者とターゲットの魂の格(霊格)の
差によっては全く効かない事もあります。
効かないどころか、
割りと簡単に返されてしまうのも、
呪いのデメリットの一つです。
ですからね、
呪いなんて馬鹿らしいので
やらない方が賢明なんですよ。
末代まで引き摺るわりには
つまらん結果しか出ませんから。
その本来の呪いのやり方を
ここで書くほど浅はかではないですが、
ご自身が正しい知識を身に着けて
ある一定のラインを越えて
事象を把握出来るようになると
嫌でも方法は分かる様になります。
ただ一つ言える事は、
恨み節を語っているだけの人や
自分の事ばかりの人には
一生涯掛かっても方法なんて
分からないです。
なので、ここでこんな事を書いても
全然大丈夫なんですね!