皆さんこんにちは、あにきです^^
今回は考え方について
お話をしたいと思います。
我儘だったり理不尽だったり
どうしようもなく自分本位な人
というのが、
現世には一定数存在します。
寧ろ、そっち側の人の方が多いです。
それと言うのも当然で、
人は"楽"をする生き物です。
産まれてくる前に
誰でも無く
自分自身でそう設定しています。
つまり、
己から努力をしないで
漫然と流されて生きていけば
自然と自分本位となりますし
果ては貧乏神となって地獄堕ちとなる。
これが現世に於ける
僕らのデフォルトでの設定なのです。
要は、地獄へ行く切符は
最初から持っているという事なのですね。
浄土に居た存在が
何故に転生してまで地獄行きの切符を
初期装備で手にしているのか。
答えは単純で、
「現世には苦痛を得に来ている」からです。
実のところ浄土では苦痛を味わえません。
一口に苦痛と言いますと
物理的な痛さとかを想像しがちですが、
ここでの苦痛は全然違いまして。
では、何が苦痛なのかと申しますと、
「意思疎通」の苦痛です。
浄土という場所は、
想いを具現化した場所です。
文字だと表現が難しいのですが、
簡単に言うなれば
考えている事が一瞬で伝わる環境
一瞬で理解出来る環境
だと、理解してくれれば良いです。
もっと細かくお話は出来るのですが、
この場ではこの程度の認識で結構です。
で、
そんな浄土はとっても楽チンなのだけど、
想いやその先にある
「愛」や「愛情」
と、いう存在や概念は
意思疎通の過程に於ける苦痛、
端的に言うと「煩わしさ」なのですが
その苦痛を経る事でないと
入手は疎か触れる事すら難しいのですね。
浄土に居れば「愛」を知っていると思いきや
その本質など、実は分かっちゃいない。
浄土は全部で8つ在るのですが、
その中でも一番深い浄土でないと
ハッキリとした理解をしている人は居ません。
それを理解出来る様になる為に
苦痛を求めて輪廻を通して
現世へ"自ら望んで"赴いているのです。
この「苦痛」は現世でしか得られませんからね。
長い期間を掛けて、少しずつ積み重ねていく。
これが現世へ赴く最大の目的の一つです。
では、何故に自分本位が駄目なのか。
そもそもが意思疎通の「苦痛」を
肉体という不完全な代物を纏って、
俗欲という使い方を間違えると
一気にヤバくなる劇物を身に付けてまで
収穫しに来ているのに、
端っからそれをぶっ飛ばしてしまう業が
自分本位だからです。
自分から進んでお勉強したい
頑張ってくるよと言って
色んな人の助力を得てまでして
この現世へ来ているのに
全力で苦痛から逃れエンジョイかましている
そんな状態だからです。
不義理にも程がある。
但し、この状態というのは、
肉体を纏って俗欲を手にした瞬間から
誰にでも起こり得ることなのですね。
意識の有無は別として
当初目的を思い出すか思い出さないか
気が付くか気が付かないかは本人次第。
浄土の記憶は基本的に
現世へ来た段階で忘れますからね。
そんな状態ですから、
自分本位を謳歌してしまうリスクがある。
それを見越して地獄行きのチケットは
既に配られているという事なのです。
浄土に戻りたければ、
それなりの努力をして
切符のグレードアップを
自分で施さないといけない。
それが出来ないのであれば、
あとで後悔するだけの話です。
「あとで」と言うのは、
死後だけでなくそこに至る迄の間の
生前の期間も含みます。
自分本位で周りに迷惑を掛けた代償は
人によっては天罰として
人によっては過酷な生き恥として
人によっては満たされぬ欲として
その他縷々様々な酷がありますが、
必ずツケを支払わされる事となるのです。
エライ目に
遭うんやで
皆さんこんにちは、あにきです^^
今回は久しぶりに
霊的な話をしたいと思います。
世の中には少なからず生霊や
悪霊に憑依されてしまう人が居ます。
そういった事象からの解決を
図るのがあにきの仕事なのですが、
そもそもがそれらの憑依から
救えない人というのも存在します。
どういうタイプの人かを端的に言うと、
「自分を視れない人」です。
自分を視れないというのは、
鏡を見れないとか
そういう物理的な意味ではないです。
自分の心理状態や心を視れない
という様な、
蓋をするタイプの方を指します。
この手のタイプの方は、
ご自分の世界観が全てなので
自分にとって都合の良い世界を
崩す事が出来ません。
その最たる例が、
霊に対する恐怖への打ち勝ちです。
どんなに説明をしても
実話や事例を話をしても、
「霊=怖い」から脱せない。
というか、
ハッキリ言ってしまえば
「脱したくない」が正解です。
霊=怖くない
という本当の意味自体が都合が悪い。
だから、脱したくない。
それを隠す為に「脱さない」に固執する。
そうしておけば、
怖い怖いと皆に言えますし、
同情も買ってもらえます。
「私は特別だから憑依される」と、
ちっぽけな優越感を味わいたい人も居ます。
結局のところ、
実生活内で相手にされていなかったり
人に対して愛情を以って触れる事が
往々にして出来ないから、
こういった歪んだ思想を維持させようとする。
ですが、
この手の人に対しても除霊は出来ます。
あっちいけ~!
と、やれば良いだけですし。
但し、直ぐに元に戻ります。
同じ霊が返って来ない様にしても、
違う霊が直ぐに入り込みます。
何故なら、
当の御本人が霊を拒絶していないからです。
先述した様に、
「憑依されてる自分は特別」
「怖い思いをしてる自分かわいそう」
という点を中心に
優先順位を設けてますから
常に悪霊ウエルカム状態であり、
生活上でも生霊化してる貧乏神に
ほぼほぼ囲まれていますから、
やはりウエルカム状態。
根本的な解決を望んでいないのですから
そりゃ当然に救える筈が無いのです。
そういうタイプの人は、
総じて玄人に対しても自分の意見の
正当性を述べてきます。
このブログで書いている様な事実や
現実は到底受け入れられないからです。
その上で玄人の選別をします。
自分の意見にイエスなら本物。
ノーなら偽者認定します。
では、
その手の人に対してあにきは
どういった対応をするのかというと、
本当の意味で本人を救えないのは
分かっていますが、
ひょっとしたら改心するかも知れないので
それに必要な情報はキチンと教えます。
どんな情報かは記載しませんが、
まぁ、皆さんであれば
「あまり聞きたくない情報」ですね。
これまで結構な人数に
迷惑を掛けてきてるのですから
そのくらいはね、してあげないと!
だってさ、補助霊さんとかに対しても
怖い怖いをするんだよ?
そりゃ、ちょっとはね、
ムカつくよね。
皆さんこんばんは、あにきです^^
前回は呪いについて
お話をしましたので、
今回は、祟りと天罰についてです。
まず最初に根本的な事から...
「祟りとか天罰とかってあるの?」
という点ですね。
祟りも天罰も...あります!
どちらもちゃんと存在していますね。
ただ、
言う程"身近"ではないのは確かですが。
|д゚)チラッ
次に、どういったものなのか?
という解説に入りましょう。
祟りも天罰も
それ相応の格の者でないと
発動させる事が出来ません。
普通の人には難しいです。
祟り...
生きてる間に要件を備えておいて
死してから発動させるもの。
要件で必要になるのは、
辱めを主とする怒りです。
触媒には自らの輪廻を使います。
生まれ変わらない代わりに、
ムカつく奴らを皆ぶっころ!
みたいな感じです。
悪人よりも正義感や信念の強い人で
魂の格が高い人が引き起こすので、
今風に言うのなら
【 闇堕ち 】って
ところでしょうね。
祟りは肉体が滅んでから
発動させます。
ターゲットは単体というよりも
種類などで区別しています。
人種、一族、血族、
触れた者どもetc...
効果期間も言う程長くはないです。
目的が達成されるのが先か、
発動者が処理されるのが先か...
永年ということはまず無いです。
よく、首塚などで祟りがどうのと
言ってるのがありますが、
あれは、
その場の瘴気を嗅ぎ付けて
集まってきた悪霊等が
引き起こしている事が殆どですね。
祟りは呪いとは違って、
発動者は既に死んでおり、
贄にも輪廻という
寿命とは比にならない
材料を使うので、
邪魔が入らない限り
発動効果は、ほぼ100%です。
天罰...
生きながらにして特定の人を
ターゲットとしてお灸を据える事。
発動要件は主に信に准じた
怒りか哀しみです。
ターゲットとの約束が
ポイントとなるので
祟りの様な種類での区別
というよりは、
原則的に単体への制裁となります。
(例外もあります)
天罰が触媒とするのは、
己の何かではなく
ターゲットの
信の不履行そのものです。
約束破り、裏切り、辱め、等々...
発動者の魂の格が高いほど、
信のサイズが大きいほど、
発動者とターゲットの
魂の格の差が大きいほど、
効果率と発動率は上がります。
効果としては
主に反省を促すものが多いですが
普通に怪我をしたり、
事故に遭ったり、病気になったり、
場合によっては結果として
命を削る天罰となる事もあります。
祟りも天罰も、
滅多にお目にかかる事は無いですが、
何にしてもなるべくなら
喰らわない方が良いですけどね。