今回は考え方について
お話をしたいと思います。
あらゆる場面で自分本位というのは
顔を出してきますが、
これそのものはコントロールが可能です。
但し、
それは自身が制御したいと思えばの話。
そのままにしておけば、
必ず自分本位に飲み込まれます。
飲み込まれる事に、人の違いはありません。
子供でも年寄りでも
男性だろうが女性だろうが
職業も関係無いですし、
見た目の感じも関係ありません。
どんな人でも飲まれる時は飲まれる。
それが自分本位というものです。
そして、それは徹底的なまでに
自分自身が原因となります。
誰が彼がと云ったところで
自分が飲まれる事を許容しなければ
飲まれる事はないのですからね。
人が原因でとか
病気が原因でとか
怪我が原因でとか
何を云ったところで、
それを許容し身に帯させたのは
誰でも無い自分自身なのですから。
甘えようと思えば
幾らでも甘えられるのが自分本位です。
おまけに、甘えれば甘える程に
快楽を得るのでどっぷりと嵌ってしまう
それが自分本位の最も悍ましい点です。
身近なところに居ませんか
「だって俺は...」
「どうせ私は...」
「でも僕は...」
と、いう台詞を
免罪符かの如く口に出して動く人。
その人の動きを視ていれば分かりますが、
意識が完全に己にしか向いていないので
周りの人の好みや要望ですとか、
こうしたら善いのではないかという予測とか
自分がされたら嫌な事、嫌な言い回しを
平然と何も問題が無いかの様にしている筈です。
この手の類の輩を、もし、身近な所
例えば、家族や親族で発見したらどうしますか。
そのままにしておきますか。
家族という社会通念を優先させて放置しますか。
それとも、徹底抗戦しますか。
理解をさせるという意味ではなく、
その素行に対して気持ち悪いからと抗いますか。
そのままにしておくのであれば
貴方もその輩と同じです。
きっと、自分は大丈夫とか
自分は自分本位に溺れたくないと過剰に意識して
主語を「自分」にした上で思考している事でしょう。
その段階で充分過ぎる程、自分本位に溺れています。
同類ですね、おめでとうございます。
そんな稚拙な思考回路なので、
自分に対してまともな意見を述べてくれたり
叱咤してくれる家族よりも
我儘を行使したり甘えてくる家族などを優先させてしまう。
そういう思考で居ると気が付いた時には、
叱咤してくれた人は去っていき
二度とまともな話をしてくれなくなります。
幻滅しているのですから当然ですね。
その先に訪れるのは、言い様の無い孤独です。
本当の意味での孤独と云うのは
想像を絶する程に厳しいものです。
貴方が口にしている我儘も甘えも
聞き入る人が居てくれるから言えるのですよ。
そういう人が全く居なくなるのが「孤独」です。
異形の存在の
成れの果てが貧乏神
貧乏神は貧乏神で
集まるんやけどな
何も満たされないんやで


