今回は考え方について
お話をしたいと思います。
想いによって形成される場の事を
「想いの力場」と、云います。
見た目の感じですが、
自身や対象を包む淡い色をした
限りなく透明な柔らかくて堅い球体
みたいなものだとイメージしてもらえれば
良いかなと思います。
想いの力場自体を発生させるのは
誰でも可能です。
但し、幾つか条件があります。
1:
自身並びに対象の中の「念」が想いを
バランス的に上回っていない事
2:
自身から対象への想いが薄れる
または消えないこと。
この二つが想いの力場の
発生及び維持に関する最大の要件となります。
1は、基軸に関する話です。
想いの力場なのですから
基本的には「想い基軸」でないと発生させたり
維持させたりする事が出来ません。
ですが、例外として、
自身の想いの総量が対象を
大幅に上回っている場合のみ、
ほぼ単独で想いの力場を形成させる事が出来ます。
しかし、この場合の想いの力場は
必然的に薄めとなりますので、
維持をする事に関して支障が出て来ますから
対象への現状の説明や解説というのが
必須となってきます。
2は、想いの総量に関する話です。
力場形成後に想いを保持する事が出来ない場合や
出来なくなった場合などは、
当然に力場の維持は困難となります。
一方もしくは互いに、想いを薄れさせる
例えば、
幻滅を含んだ意味での
自身や対象を嫌悪するとか
想いの種類に変化が生じるなど
こういった場合に「想いの総量」は薄れます。
ここで注意しなくてはいけない点は、
想いの保持が出来ない若しくは出来なくなった
と、いうものに「死は含まれない」という点です。
仮に自身か対象が亡くなったとしても
それは肉体が機能しなくなっただけですので、
想いや念というのは引続き保持されます。
但し、死後に生前の想念の保持や
基軸維持をするのは当人の器のサイズ、
霊体や幽体の状態や霊格の高さによって
往々にして変わってきます。
話を戻しますが、
力場の維持はこれらの要件の保持が
鍵となってくるのですね。
維持する為には何はともあれ
想いの保持が必要なのですから、
想いを阻害するものを
制御するしか方法がありません。
想いと対を成すのは念ですね。
つまり、「俗欲の制御」をする外ないという事です。
想いを増幅させるという方法では駄目なのかと
頭の切れる方々は考えると思います。
ですが、
以前からお話をしている通り
それに関しても「俗欲の制御」が一番の方法です。
何故なら想いを阻害する要素を制御する訳ですから
それは必然的に想いの増幅を意味します。
俗欲の制御という動きの最たるものは
「日頃の業」となります。
要するに、日々の努力そのものが
想いの保持へと繋がるという事ですね。
そして、想いの力場が形成されていると
それまで発生してきた嫌な事や
不可思議な出来事や難点、
様々な問題点の発生数が減衰したり
無くなったりします。
これは想いの力場形成と伴に
正の螺旋へと転じる事によって
「幽体の整い作用」があるからです。
幽体が整うと肉体や見た目への変化が生じます。
それは個々体では雰囲気として出たりするので
とても感じ取り易くなります。
人によっては視認する事も可能です。
早い話が、善くなっていて
非常にエネルギッシュな状態となりますから、
念主体の存在からすると近寄り難くなるのですね。
念主体の存在というのは、
貧乏神を含む生きている念基軸主体の存在や
既に死んでいる悪霊など全ての存在を指します。
結果として、それまでの災厄や忌み事を
どんどんと退ける様な流れとなり、
善い方向へと進んでいくという訳です。
最後に気を付けてほしい事は、
それまでの災厄が減るのであって
善い事が増えたり出てくる訳ではありません。
嫌な事が減るのですから、
事実上の善い事が増えたという事になりますよね。
この理屈を決して忘れてはいけません。
俗欲の制御を行う上で、
想いの力場の維持をする上で、
最上位で重要な「事実」ですからね。
自分のために善い事を増やそう
なんて思考だと、
何を先鋭化させて何を失うのかを考えられれば
こんなの言われるまでも無く分かる「真実」です。
保持力は
伊達じゃないんやで
とは言えそれは
支え合いがあっての
ものやからね



