2025年8月9日土曜日

感覚の強まる時(実戦シリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は動き方について
お話をしたいと思います。




想いというのを理解もしくは
ある程度認識出来る様になると、

必然的に「念」というものに対する
認識も出来上がる様になります。

それと並行して

「思い遣り」

に、関しても否応なしで
実践されていく事になります。

この理屈はとても単純で、
自身の中の基礎が「想い基軸」へと
シフトするからですね。

ただ、この経過や自身が想い基軸に
至っている実感については

「自分ではよく分からない」とか
「全く理解出来ない」とか
「目に視えるものではないから」

などと言って、
セルフチェック出来ないと思われる事が
結構あるのですね。

然しながらそれは認識不足です。




人が想い基軸へと移行すると
自身の中の「感覚」に於ける

「想いに帰属する面での感覚」が

非常に強まってきます。

想いに帰属する面での感覚...
ちょっと難しい言い方なので
物凄く簡略化した感じにしますと、

「善い予感」みたいなやつです。

善い予感と言うと

「得をする」

といった様に捉えてしまいがちですが、
そうではありません。

例えば、
貴方が何の気無しにご無沙汰している
知人Aさんの事を
ふと「思い出した」とします。
理由なんか無くて本当に何となくです。

思い出したからと言って
何をする訳でも無く過ごしていたら
翌日になってAさんから連絡が来た。

とか、

何か玄関先の花に目が行ってて
特別何をする訳でも無く過ごしていたら
二日後にその花にレアなトンボが
止まっていたのを発見した。

とか、こういった具合の感覚が
「想いに帰属する面での感覚」です。




あまりにも小さい事なので
意識を先鋭化させていないと
流して終わりにしてしまう様なものですが、

想い基軸になってくると
こういったのが多発する様になります。

要は、
小さい幸せにやたらと
気付く様になるのですね。

なので、自分が現在進行形で
想い基軸なのかどうかというのは、
ちゃんと分かる訳です。

で、

勘の鋭い方ならここでまた一つ気付きます。

想い基軸でそれに属した感覚が
強まると言う事は、

念基軸でも似た様な事が
起きるのではないかと。

実際その通りです。

念基軸の場合は、
「念(俗欲)に依存する面での感覚」が
非常に強まってきます。

先程のを「善い予感」と形容したので
「悪い予感」と推察しそうになりますが
そうではありません。

「楽できそうな実感」

が、正しい表現です。
予感ではない分、
これは中々にエグイものですよ。

想いも念も
どっちの基軸も
しっかりと視認が
出来るものなんや
誰でもやで