2025年2月17日月曜日

穢れの分別(実戦シリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は考え方について
お話をしたいと思います。




前回お話をしました
「痛みの咀嚼」をある程度理解して
実行出来る様になりますと、

穢れを見極める事が出来る様になります。
これを

「穢れの分別(ふんべつ)」

と、言います。

自身の中の穢れ、要は駄目な自分ですが
これを自分で見極める事を指します。

自分の事だから簡単だと
思ってしまいがちなのですが、
自分の事だからこそ
中々難しいのです。




人は楽をする生き物です。
楽を‟したがる”と表現した方が
合っていますね。

様々な苦痛や苦悩、苦難を体験して
そこから「想い」を得る為に
現世へと生まれてくる事が
人の持つ共通目的の一つです。

その中で、肉体を得る事で俗欲を獲得し
この世で頑張っていく過程で、

辛い事に対する緩和剤として
使いすぎれば毒物として
「甘え」というものを持っています。

これは俗欲そのものとも言えます。

この甘えは取り去る事が出来ません。
だからこそ
人の判断を狂わせるのですが、

この甘えがあるからこそ
自分の中の駄目な自分を見極める
と、言った一見すると楽勝とも
思える様な業の難易度が高くなるのです。




穢れの分別の初歩の歩で必要なのは

「見て見ぬ振りをしない心掛け」

です。
言われたら簡単と思える事ですが、
これがかなり難しいものでして。

その場面場面での判断は出来たとしても
何せ自身の事となると、
更に難易度が増すからなのですね。

どのくらい難易度が増すかと言うと
例えば、
「ご自分の身体を直視して下さい」

どうですか。
難易度が上がったんじゃないですか。

そのくらい見て見ぬ振りをしないのは
難しいのですよ。
ここで言い訳をすれば甘えに完敗です。

如何に言い訳をせずに
甘えに対して打ち勝つ事が出来るか。
これにより穢れの分別が始まります。

直視して
認める事が
大切なんやで