皆さんこんにちは、あにきです^^
今回は安らぎについて
お話をしたいと思います。
ここでの「安らぎ」とは、
死後の事を指します。
つまり、向こうの世界へ行った後の
話になりますね。
で、タイトルの問い掛けと
なるのですが、
安らぎは得るものなのか?
それとも
求めるものなのか?
これはですね、
どの場面での問い掛けなのかで、
答えが大きく変わります。
例えば、
生きている状態での話ですと、
求めるものでもあり、
得るものでもありますね。
特に問題なく亡くなれば得られるし、
生きてる内は求めますからね。
では、亡くなった後はどうでしょうか?
ただ亡くなっただけで、
向こうの世界へ行っていない状態の場合は
まだ、安らぎを求めている感じです。
得てはいませんね。
どうしてかと言うと、
まだ霊界という場所へ行っていないからです。
三途の川を渡っていませんからね。
この場合は、現世に限りなく近い
「狭間の世界」という所にいます。
簡単に言うと、
単に肉体が無いだけで生きている時と
感覚はほぼ同じです。
なので、まだ本当の意味での安らぎは
得られていない。という話です。
では、三途の川を渡った後は
どうでしょうか?
これは、行き先によって変わりますね。
ブログ上ですから細かい話は抜きにして
とりあえず、
浄土なのか?地獄なのか?
で、考えてみましょう。
地獄の場合ですと、
安らぎを未だ求めていますね。
得られてもいません。
安らげない場所ですからね、地獄って。
生きている時よりも渇望します。
本当に嫌な場所ですよ、地獄は。
ですが、そこへ行く人って、
考え方を変えると
行きたくて行ってるのと
同じ様なものですからね、
ある意味では安らぎを得ているとも
言えるかも知れませんね。
浄土の場合ですと、
安らぎを得ても無ければ求めてもいません。
完全に安らぎを「忘れています」。
三途の川を渡って浄土へ着くと、
瞬時に自分の一生とか産まれてくる前とか
何をしなきゃいけなかったとか
あれやこれやと色々思い出すんですね。
生きている時には忘れていた事の全てを
一瞬で思い出します。
と、同時に生きている時の辛さを
忘れはしませんが、
一瞬で完全に過去の話となり、
「浄土の感覚のそれが普通」
という状態となってしまうんです。
来たばかりなのに既に安らいでいる感覚です。
なので、「安らぎを忘れている」
というのが、もっとも適した表現となります。
面白いものですよね。
今の感覚は、本当に今だけの感覚
という事なのですよ。
ですから、
辛い事があっても頑張らないといけないし、
かと言って、無理をするのも少し違う。
細かく考えてしまうと動けなくなるので、
それであるならば、
「明るく愉しく元気よく!」
今、この瞬間瞬間を過ごすことが
大切になってくる訳です。
ちなみにですが、
明るく愉しく元気よくというのは、
馬鹿になれって言ってるのではなくて、
常に感情を大切にしましょう。
という意味なんですね。
喜怒哀楽を大切にして、
その時その場に全力を注ぐ。
そして、
決してだらしなくせずに、
分を弁えて過ごす。
浮かれ過ぎず、怒り過ぎず、
哀しみ過ぎず、楽をし過ぎず、
今風に表すならば、
感情のTPOをちゃんと考えて過ごす
という感覚です。
貴方にとっての安らぎが
どこの何になるのか?
願わくば、忘れられます様に...





