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2024年1月6日土曜日

安らぎは得るもの?求めるもの?(知識UPシリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は安らぎについて
お話をしたいと思います。





ここでの「安らぎ」とは、
死後の事を指します。

つまり、向こうの世界へ行った後の
話になりますね。

で、タイトルの問い掛けと
なるのですが、

安らぎは得るものなのか?
それとも
求めるものなのか?

これはですね、
どの場面での問い掛けなのかで、
答えが大きく変わります。

例えば、
生きている状態での話ですと、
求めるものでもあり、
得るものでもありますね。

特に問題なく亡くなれば得られるし、
生きてる内は求めますからね。





では、亡くなった後はどうでしょうか?

ただ亡くなっただけで、
向こうの世界へ行っていない状態の場合は
まだ、安らぎを求めている感じです。
得てはいませんね。

どうしてかと言うと、
まだ霊界という場所へ行っていないからです。
三途の川を渡っていませんからね。

この場合は、現世に限りなく近い
「狭間の世界」という所にいます。

簡単に言うと、
単に肉体が無いだけで生きている時と
感覚はほぼ同じです。
なので、まだ本当の意味での安らぎは
得られていない。という話です。

では、三途の川を渡った後は
どうでしょうか?





これは、行き先によって変わりますね。
ブログ上ですから細かい話は抜きにして

とりあえず、
浄土なのか?地獄なのか?
で、考えてみましょう。

地獄の場合ですと、
安らぎを未だ求めていますね。
得られてもいません。
安らげない場所ですからね、地獄って。

生きている時よりも渇望します。
本当に嫌な場所ですよ、地獄は。

ですが、そこへ行く人って、
考え方を変えると
行きたくて行ってるのと
同じ様なものですからね、

ある意味では安らぎを得ているとも
言えるかも知れませんね。





浄土の場合ですと、
安らぎを得ても無ければ求めてもいません。

完全に安らぎを「忘れています」。

三途の川を渡って浄土へ着くと、
瞬時に自分の一生とか産まれてくる前とか
何をしなきゃいけなかったとか
あれやこれやと色々思い出すんですね。

生きている時には忘れていた事の全てを
一瞬で思い出します。

と、同時に生きている時の辛さを
忘れはしませんが、
一瞬で完全に過去の話となり、

「浄土の感覚のそれが普通」
という状態となってしまうんです。

来たばかりなのに既に安らいでいる感覚です。
なので、「安らぎを忘れている」
というのが、もっとも適した表現となります。





面白いものですよね。
今の感覚は、本当に今だけの感覚
という事なのですよ。

ですから、
辛い事があっても頑張らないといけないし、
かと言って、無理をするのも少し違う。

細かく考えてしまうと動けなくなるので、
それであるならば、

「明るく愉しく元気よく!」
今、この瞬間瞬間を過ごすことが
大切になってくる訳です。

ちなみにですが、
明るく愉しく元気よくというのは、
馬鹿になれって言ってるのではなくて、

常に感情を大切にしましょう。
という意味なんですね。

喜怒哀楽を大切にして、
その時その場に全力を注ぐ。
そして、
決してだらしなくせずに、
分を弁えて過ごす。

浮かれ過ぎず、怒り過ぎず、
哀しみ過ぎず、楽をし過ぎず、

今風に表すならば、
感情のTPOをちゃんと考えて過ごす
という感覚です。

貴方にとっての安らぎが
どこの何になるのか?
願わくば、忘れられます様に...


2023年4月15日土曜日

かまって系人間(気付きの応用)





皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は自分の弱点についてです。
誰にでも弱点は存在します。
それが人間味ってやつでもあります。

この自分の弱点を知るんじゃなくて、
ちゃんと視る。理解する。
というのが、今回のテーマです。




まず、何で『知る』ではなくて
『視る』なのかというと、
自分の弱点などは、
とっくに御存知だろうからです。

少なくとも今回はそう仮定して話します。
(めんどくさいんでwww)

人には色々な弱点があります。
肉体的にも心的にもね。
ここでは心的な弱点を主観に捉えたいのですが、
気付きを得る事において、自身の弱点を
しっかりと据えて視るのは必要不可欠な行動です。

これが出来ないと、多くの気付きを逃す事になります。
どうしてか?




簡単な話で自分の事すらちゃんと視ようとしない人が、
他人はもとより、周りの事なんて気にすることなど
絶対に出来ないからです。

自分自身の弱点や弱みを晒すのではなくて、
ただ自分で理解して直視する。

それすらも何やかんや言い訳をして、
臭い物に蓋をする事宜しく、行わない、
やる勇気を持たない人が、
他者の事など直視出来るはずがありません。

精々、上っ面だけを見て知ったか振るのが関の山です。




泣こうが喚こうが、自分の事くらいちゃんと視る。
その努力をする。それができなければ、
どんな人からアドバイスを貰っても
活かすことは疎か、活かし切る事など到底出来ません。

トラウマだから…
     怖いから…
        嫌な思い出だから…

逃げ口上は幾らでもありますよ。
作りたかったら作ればいいし、言いたきゃ言えばいい。

けど、それに甘えていたって前には進めないんです。



辛い経験をしたのは分かります。
実際にあにきだってそりゃ辛い思いをしてますよ。

でもね、どんなに辛い経験をしたとしても、
そこへ甘えていいなんて事はないんです。
いずれは乗り越えなきゃ意味がない。

では、どうしてそれが出来ないのか?

人にもよりますけど、
辛い思いをしてる姿を見せたら、
人が優しくしてくれる。
その優しさに甘えて楽をしているからです。

言わば他力本願なだけ。




人の厚意を逆手に取った楽というのは、
本当に厳しい時、初歩の歩、
回復に向けた最初の一手では有効ですし、
お言葉や優しさに甘えるのは良い事だと思います。

困った時はお互い様ですからね。

ならばこそ言いたいのですが、
では、あなたは何を助けたのですか?
その恩に報いて何かをしたのですか?
ちゃんと前を向いて弱点を視て理解したのですか?

していないから、周りも呆れる。
そして、一人また一人と離れていき、孤独に苛まれる。

それを補うために可哀そうな自分をまた演じて、
安っぽい辛さを餌に新たな恩を貪っていく。

これが、かまって系人間の正体。




かまって系人間の行き着く先は何でもない
言わずと知れた貧乏神です。
更にその手の人が亡くなった後に行く所は、
イイところな訳が無い。

人は死んだら終わりじゃないです。
記憶が無くなる?!まさか^^
肉体が無くなるだけで、記憶は保持します。

亡くなってからが長いんですよ。
生きてた時の倍以上はそのままの人格で
過ごすことになります。

イイところじゃない場所へ行ったとすれば、
その糞長い時間を今のあなたが
そのままの状態で過ごす事になるんです。
しかも、今度は逃げられませんからね。
助けてもくれません。どこまでも続く苦痛です。

そうなるのは嫌でしょ?
だから、自分の弱点をちゃんと視なきゃいけない。




自分の弱点を視る。理解する。
人に晒すのではなく、ただ自分で理解をすればいい。
克服をするのでもない。ただ視るだけ。

そこから反省と学習をして、
次にどうやって繋げるのかを思考すればいい。
そして、実行に移す。当然に失敗だってする。
そしたらまた反省と学習を繰り返す。

こうやって自分を紡いでいく。
その過程の中でヒントになるものが転がっている。
それが【 気付き 】であり【 小さい幸せ 】。

こういう流れに持って行かなきゃならないから、
自分の弱点をちゃんと視て理解しないといけないんです。




ま、壮大な話だし、死んだ後の事なんて
映像とかで証明が出来るものでもない。
元々、眉唾物だと思われてるから
信じる信じないなんてどうでもいいけど。

せっかくだから、
かまって系を拗らせた人間が亡くなった後に
どうなるのかをチラッとだけ書きましょか...

いずれ寿命を全うしたらお迎えが来ます。
(狭間で彷徨わなければ)誰でもお迎えに乗ります。
そのあと一瞬真っ暗になったら、その後に視界が開けます。

目の前に広がる荒涼とした空間。
そこで初めて真実を知って、すべてを思い出します。

後悔先に立たずです。