今回は考え方について
お話をしたいと思います。
考えや動きがあって言葉は連動します。
そこに通ずる意味は
読んで字の如しなのですが、
本質的な意味となると
事後に考えなければ
理解へと繋がる事は皆無です。
「待つ」という言葉があります。
これを「動かない」「何もしない」と
捉える方が多いです。
言語的な意味合いとしてはその通りですからね。
しかし、
本来のスピリチュアルで述べると
そこの解釈は誤りで、
待つというのは
「動きの中の選択肢の一つ」であり、
「動いた後の業の一つ」となります。
何もしないのではなく
待機という名の「動き」の最中に居る状態です。
そして、
何かしらの動きを以った後での業であり
正に実行中である動きの一つなのですね。
動いていないという動き。
これを言葉通りに受け止めてしまうと、
今まさに自分が動いていると認識出来ずに
動きたいけど抑えているという
「抑制」へと思考が働いてしまいます。
すると、動きたいという願望や
待っていられないという欲求が強くなり
待たなくても良い様な理由や
身勝手な言い訳を思考し始めます。
こうして、己の中で自分本位が芽吹いていき
極短時間で「何の為」という目的を見失う。
同時に、待たなくていい為の手段を
目的とする事によって
自己正当化へと繋げてしまうのですね。
自己を正当化した後に待ち受けているのは
業の不履行による信頼の失墜のみです。
これが「自に堕ちる」状態であり、
「堕落」と言います。
常日頃から話している通り
考え方や動きは多元的に捉えるべきものです。
これはそのまま言葉にも当て嵌まります。
言葉というのは考えや動きを助長し
補完するものなのですから当然の形ですし、
その流れから会話という業へも繋がります。
意識の方向を「外側」へ向ける時に
多元的な視点を持つのであれば、
意識の方向を「内側」へ向ける際も
多元的な視点を心得なくてはなりません。
相互作用の存在を失念したその隙を
自分本位は突いてきますからね。
感じ取れる様に
なってくると
真面目ではなく
真摯に向き合うの意味が
スッと入る様に
なるんやで

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