皆さんこんにちは、あにきです^^
今回は考え方について
お話をしたいと思います。
考えや動きがあって言葉は連動します。
そこに通ずる意味は
読んで字の如しなのですが、
本質的な意味となると
事後に考えなければ
理解へと繋がる事は皆無です。
「待つ」という言葉があります。
これを「動かない」「何もしない」と
捉える方が多いです。
言語的な意味合いとしてはその通りですからね。
しかし、
本来のスピリチュアルで述べると
そこの解釈は誤りで、
待つというのは
「動きの中の選択肢の一つ」であり、
「動いた後の業の一つ」となります。
何もしないのではなく
待機という名の「動き」の最中に居る状態です。
そして、
何かしらの動きを以った後での業であり
正に実行中である動きの一つなのですね。
動いていないという動き。
これを言葉通りに受け止めてしまうと、
今まさに自分が動いていると認識出来ずに
動きたいけど抑えているという
「抑制」へと思考が働いてしまいます。
すると、動きたいという願望や
待っていられないという欲求が強くなり
待たなくても良い様な理由や
身勝手な言い訳を思考し始めます。
こうして、己の中で自分本位が芽吹いていき
極短時間で「何の為」という目的を見失う。
同時に、待たなくていい為の手段を
目的とする事によって
自己正当化へと繋げてしまうのですね。
自己を正当化した後に待ち受けているのは
業の不履行による信頼の失墜のみです。
これが「自に堕ちる」状態であり、
「堕落」と言います。
常日頃から話している通り
考え方や動きは多元的に捉えるべきものです。
これはそのまま言葉にも当て嵌まります。
言葉というのは考えや動きを助長し
補完するものなのですから当然の形ですし、
その流れから会話という業へも繋がります。
意識の方向を「外側」へ向ける時に
多元的な視点を持つのであれば、
意識の方向を「内側」へ向ける際も
多元的な視点を心得なくてはなりません。
相互作用の存在を失念したその隙を
自分本位は突いてきますからね。
感じ取れる様に
なってくると
真面目ではなく
真摯に向き合うの意味が
スッと入る様に
なるんやで
皆さんこんにちは、あにきです^^
今回は考え方について
お話をしたいと思います。
これと言って特別な問題も無く
至って平穏無事な生活を
営んでいる人に限って
大変というものに憧れます。
仕事が大変、生活が大変、
あれが大変これが大変、
その割には何も困っておらず
人の見ていない場所では
贅の限りを尽くしている。
そういう人に限って
ちょっと体調に変化があった場合や
ほんの少しの疼痛などでも
まるで大病を患ったかの様な
不治の病に冒されたかの如き
反応をします。
これを「大変だ病」と言います。
勿論これは病気でもなければ
何でもありません。
単なる面倒臭い構ってちゃんです。
大変だ病を発動させている
ザンネンな人は結構多いです。
その手の輩へのアドバイスは
いつも決まっておりまして、
「全肯定」に徹します。
大変だ病の人は、
自分の意に沿う内容以外は
決して受入れません。
相手さんが全力で
間違っている事を話していたとして
それを否定しても
都合の悪い言葉は耳に入りません。
それなのに否定をしても
仕方がないので全肯定します。
それで大丈夫なのです。
どうせ大して聞いてもいませんから。
その代わり、二度と会わない。
お願いをされても
二度と会わなければ良いのです。
もし、それが出来ない様な
距離感の人であるならば、
終始テキトーな返事をしていれば
全然大丈夫です。
まともに受け合う必要なんて
全くの皆無なのですから。
そういった
どうしようもない人が
貴方の周りにも一定数存在する筈です。
貴方からすれば魑魅魍魎にも等しい様な
禍々しい存在に対してまで
真面目に相対する必要など無いのですよ。
相手がテキトーかましているのなら
自分もテキトーかましてやる。
これが「真摯に向き合う」という業です。
そんな輩にまで
貴方の「真面目さ」を使って
一体何が生まれますか。
ハッキリ言って、ストレスを触媒とした
縷々数多な念しか生まれてこないですし、
この種のハードルは
乗り越えるべきものではなくて
あの手この手を使って
ただ避ければ善いだけの事です。
あれよあれよと出てくる碌でも無い問題に
正面切って全てを体当たりで
処理していける程、
貴方は暇人ではない筈ですよね。
そう考えれば自身の真面目さが
仇となってしまう意味も
よく理解出来るんじゃないですかね。
真面目さを
売りにするなら
真面目にテキトー
かましてごらんな
視野も広くなるで
皆さんこんにちは、あにきです^^
今回は考え方について
お話をしたいと思います。
人生に於いて
「道筋」というのがあります。
「何をしていかなくてはならないか」
「何をする必要があるのか」
現世にて貴方が生きていく上でのを
「概念や指針」を
綴った様なものが、道筋です。
道筋というものは、
誰かに決められるものではなくて
全てを自分自身で決めてから
現世へ赴くのです。
この道筋に対して如何に沿って進めるか。
肉体の獲得によって生じる
俗欲という名の誘惑に晒されながらも
時には失敗をして
時には成功してを繰り返し
想い基軸と念基軸のバランスを取りながら
人生を螺旋状に突き進んでいきます。
そして、
この道筋に真摯に向き合っているからこそ
得られる様になるものがあります。
それは、「遣り甲斐」です。
仕事でもプライベートでも
充足感や幸福感を満たす物。
行動の原動力にも繋がる想い、
それが「遣り甲斐」です。
この遣り甲斐というのは、
先述した通り
現世をある程度道筋に沿った形で
歩んでいる状態の人でないと
持つ事が出来ません。
遣り甲斐の内容は多岐に渡ります。
例えば、仕事の様に
実際の動きである場合もありますし、
個々人に於けるポリシーの様な
考え方や思想や信条の場合もあります。
それらが対人間へのターゲットのみならず
人以外の存在や物に対する場合の
動きや思考かも知れませんし、
単に事象といった流れそのものが
ターゲットとなる場合もあります。
一様に”これ"とは、言えないものの
現世に存在する間
誰しもが得る機会を持っているもの、
それが遣り甲斐です。
自身の中での確固たる遣り甲斐を
その身に纏う事が出来るのは
とても幸せな事ですし、
同時に誰でも得る「機会」は
持っているものの、
無条件で簡単に得る事の出来ない代物です。
貴方が現世を生きる上で今現在
「確固たる遣り甲斐」
を、持てているのであれば
それはとても素敵で
素晴らしい事だというのを
是非とも自覚してほしいところです。
獲得ではなく
俗欲を満たす事が
目的や目標と
なってしまうんやで