皆さんこんにちは、あにきです^^
今回は考え方について
お話をしたいと思います。
これと言って特別な問題も無く
至って平穏無事な生活を
営んでいる人に限って
大変というものに憧れます。
仕事が大変、生活が大変、
あれが大変これが大変、
その割には何も困っておらず
人の見ていない場所では
贅の限りを尽くしている。
そういう人に限って
ちょっと体調に変化があった場合や
ほんの少しの疼痛などでも
まるで大病を患ったかの様な
不治の病に冒されたかの如き
反応をします。
これを「大変だ病」と言います。
勿論これは病気でもなければ
何でもありません。
単なる面倒臭い構ってちゃんです。
大変だ病を発動させている
ザンネンな人は結構多いです。
その手の輩へのアドバイスは
いつも決まっておりまして、
「全肯定」に徹します。
大変だ病の人は、
自分の意に沿う内容以外は
決して受入れません。
相手さんが全力で
間違っている事を話していたとして
それを否定しても
都合の悪い言葉は耳に入りません。
それなのに否定をしても
仕方がないので全肯定します。
それで大丈夫なのです。
どうせ大して聞いてもいませんから。
その代わり、二度と会わない。
お願いをされても
二度と会わなければ良いのです。
もし、それが出来ない様な
距離感の人であるならば、
終始テキトーな返事をしていれば
全然大丈夫です。
まともに受け合う必要なんて
全くの皆無なのですから。
そういった
どうしようもない人が
貴方の周りにも一定数存在する筈です。
貴方からすれば魑魅魍魎にも等しい様な
禍々しい存在に対してまで
真面目に相対する必要など無いのですよ。
相手がテキトーかましているのなら
自分もテキトーかましてやる。
これが「真摯に向き合う」という業です。
そんな輩にまで
貴方の「真面目さ」を使って
一体何が生まれますか。
ハッキリ言って、ストレスを触媒とした
縷々数多な念しか生まれてこないですし、
この種のハードルは
乗り越えるべきものではなくて
あの手この手を使って
ただ避ければ善いだけの事です。
あれよあれよと出てくる碌でも無い問題に
正面切って全てを体当たりで
処理していける程、
貴方は暇人ではない筈ですよね。
そう考えれば自身の真面目さが
仇となってしまう意味も
よく理解出来るんじゃないですかね。
真面目さを
売りにするなら
真面目にテキトー
かましてごらんな
視野も広くなるで
皆さんこんにちは、あにきです^^
今回は動き方について
お話をしたいと思います。
人の話を「聴ける人」と
「聞けない人」がいます。
聴ける人の中にも
「聴くのが上手い人」と
「真面目に聴ける人」と
「聞ける人」がいます。
聴くのが上手い人というのは、
所謂聴き上手な人を指します。
同時に話し上手な人とも言えます。
真面目に聴ける人は、
聴くという行為に対して
集中する事が出来る人です。
但し、そこから話の内容や真髄や
要点をきちんと得ているかは別です。
どちらかと言うと
ちゃんと聴いている、聴けているという
「自身の姿に酔っている人」が多いです。
真面目に聴ける人に対して
後から再度話の内容を聞いてみると、
「言葉は聴けていても
内容は理解出来ていない」
なんて事が多々あります。
これが
「真面目の反動」というやつですね。
ついでに、
「聞ける人」というのは、
本当にただ聞いているだけで
聞けないよりは良いよね。
みたいな感じの人を指します。
この「真面目に聴ける人」というのは、
視る場合でも同様に
「真面目に視る人」となり易いです。
やはり構造は同じで、
その真面目な自身の姿に酔ってしまう。
真面目というのは、単に「性格」です。
どうしても、善悪としての捉え方で
使われる場面が多いので勘違いし易いですが、
単に性格上の話であって
「真面目=善」
として、捉えてしまうから
その姿に酔いしれてしまうのですね。
実際のところ、
不真面目でも善い人は居ますし、
真面目でも悪い人だって居ますよね。
ただ単に
動き方や考え方を司る性格の切り分け
でしかないのが、真面目というワードです。
なので、真面目だからと言って
そこに酔いしれてしまうのは
強大な自己満足に過ぎませんから
行き着く先は貧乏神となってしまいます。
多いんですよ、自身の真面目さに酔い過ぎて
地獄へ堕ちていく人。
ま、結果として独りよがりとなって
自分しか視ていない訳ですから
当然と言えば当然の結果なのですけどね。
然しながら、決して間違えてほしくないのは、
「真面目な性格」というのが
駄目な事だと言っているのではないです。
全然悪い事ではありません。
ちょっとだけ依存する毒素成分が強いのと、
ステルス性が高いので
じんわり響いてきてしまうのですね。
気が付いたらとんでもない事になっている。
みたいな感じに効いてしまうのが
真面目の毒素なんです。
これを制御するには、
真面目の反動を理解しないといけません。
真面目ってのは本来は「辛い事」です。
“楽をする”とは相反する側面ですからね。
にも関わらず、
そこに他者と比較しての優位性や
一時的な快楽を得ているというのは
適切な真面目さであれば有得ない話なのですよ。
こうやって考えると、
真面目な自分に酔っているという意味が
分かりますでしょ。
要するに、真面目も行き過ぎると
俗欲依存が進んでしまうから
ヤバいですよという話です。
四六時中、真面目を貫くのではなくて
適頃な面で真面目の効果を
最大限に発揮すれば良いだけ。
そうでもしないと
勧善懲悪の波に飲まれてしまって
いつしか完璧主義の渦中に嵌って
二度と脱出出来なくなってしまいますからね。
その加減を
知る事が
真面目さんには
不可欠なんやで