皆さんこんばんは、あにきです^^
スピ系の人達やスピ好きの方々は
一度くらい聞いた事のある言葉、
「近しい人は霊視出来ないです」
「自分を霊視は出来ないです」
これですね。
よく当たり前みたいな感じで
この台詞を言う人がいますが、
結論から言うと、
普通に出来ますからね。
視えないなら視えないで
別に良いんですよ。
何も恥ずる事ではないんですから。
なのに、どうして態々見えない事に
理由を付けるのか...
疑問に思えませんか?
配偶者だから視えないとか、
子供だから視えないっていうのは、
理由にならないんですよね。
例えば、
配偶者は視えないって言っても、
配偶者になる前もあった訳でしょ?
「視れるけど視ない様にしてます。」
であるなら、理屈は通りますよね?
怖いからとか、
色々考えちゃう人もいるだろうし。
(まぁ、でもそれも理解した上での
配偶者なのだと思いますけどね。)
けれど、それを言うなら
お客さんとかにもそのままを
言ってくれた方が良心的だと
あにきは思うわけですよ。
「視れるけどね、云々...」って。
その方が親近感が湧くだろうし。
だからこそ、疑問が生じるんです。
何故に態々理由を付けて
常識化させる必要があるの?と。
一概には言えないのだろうけど、
あにきが考えるところ
単にその人が自身のプライドを
護ってるだけなのではないかと
思うんですね。
以前にも書きましたが、
霊能者とかスピ系の人って
やたらと自身に神秘性を
持たせようとする癖があるんですよ。
「凄いでしょ!」とか、
凄いと思われたい!みたいな。
視える人分かる人から言わせればね、
なーんにも凄くなんか無いんですよ。
人としての思考はそのままだし、
特別な生活をしている訳でもないし、
ってか、超が付くほど普通だし。
それなのに...って思考すると、
人と違う優越感とか、
認められたいという承認欲求とか、
そういった事がメインになってしまって
ご自分を着飾るんだと思うんですね。
神秘性という鎧を身に着けて。
常々口にしていますけど、
神秘とかってのは
霊能者にあるのではなくて
人の周りに常にあるものなんです。
誰の周りにも日常的にあるものです。
それを教えてあげる役回りが霊能者。
ならば、霊能者自身が神秘性を装うのは
お門違いなのですよ。
極端に言うと
気付いてない人に教えるだけの存在
なのですから。
例えるなら、
学校で何も知らない子供に先生が
授業という形で色々教えてくれるでしょ?
その内容について「凄いよねー!」と、
子供の興味を誘う感じで言うなら良いけど
「先生は凄いだろー!」って
胸を張っているのと同じ事ですよ。
すげーおかしいじゃん?^^;
ですからね、もし皆さんが
何かしらの理由で霊能者と呼ばれる人に
話を聞く機会があったとしたら、
質問してみれば良いんですよ。