皆さんこんにちは、あにきです^^
久しぶりの
おしえて!あにきさんシリーズです。
今回は、ユーザーさんから戴いたご質問に
答えていきます。
Q1:「浄土は8つあると聞きましたが、
それぞれに名称ってありますか?」
A:それぞれの中身や目的に沿った名称が
ちゃんとありますよ。
ここでは書きませんが、レクチャー17で
教えていますので、ご興味があれば是非!
Q2:「可哀そうだと思ってしまって、
どうしても子供に対して怒る事ができません。
どうしたら良いでしょうか?」
A:子供が悪い事や間違いを冒してしまった時に
ちゃんと怒ってあげる事ができないと
間違いを正すという過程を覚える事が出来なくて、
我儘な道へ進んでしまい、
大人からも子供からも嫌われてしまう人生を
突き進む可能性が大きくなりますが、
それは可哀そうではないのですかね?
怒る事というのは決して悪ではないです。
喜怒哀楽という様に、感情の一つですからね。
本当の悪というのは、
人として生物として持ち合わせている
その感情をきちんとした場で行使をしない事です。
そして、ご質問下さった可哀そうという思いは、
あなたの単純な逃げの思いなだけです。
子供が可哀そうなのではなくて、
怒っている自分が可哀そうなのでしょ?
子供よりもご自分を優先してどうするんですか?
親としての子に対する義務の一つは
社会や常識を教えて諭すという事です。
子供を叱るというのは、誰だって心が痛みますが、
その先には人として生きる為の
とても大切な学びがあります。
ご自分が叱る辛さを乗り越えて、
その結果をちゃんとお子さんへ教えてあげる。
シェアをする。
まずは、そこを目的にしてみましょう。
子は親の背中を見ていますからね。
Q3:「小さい幸せの話を聞いて
それがどういうものなのかが分かる様になってから、
ちょっとした事が気になって仕方ありません。
これが普通ですか?」
A:wwwwwウケるwwwww
えっとですね、普通かどうかいうと
そんなもんですよw
問題は、今までそのちょっとした事に
気が付いていなかったという事実ですよね。
それを理解出来たんですから、善きだと思います。
ただ、「気が付く」のと、「気にする」のとでは
少々意味が違いますから、そこはしっかりと
考えなくてはいけません。
また、忘れてはいけないのは、
気が付いて幸せだと感じられるか?
感じられないか?という点です。
小さい幸せ=徳を積むの理論の中で、
気が付くというのは、あくまでも手段であり、
その先にある幸せという想いを得る事が目的です。
そこをしっかりと抑えて下さいね!