2025年7月12日土曜日

不完全な群れの中で(実戦シリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は考え方について
お話をしたいと思います。




人に何かを教えたり
子供に躾けたりする際に

「叱る」と「褒める」を

使い熟しますね。

この時に、叱るを「怒る」と
間違えない様にしましょうね。

叱るは「相手のため」
怒るは「自分のため」

と、いう解釈をすると分かります。

叱る場合は、まだ冷静さがあるので
言葉を選ぶ余裕が出ていますが、
怒る場合は、冷静さを欠いてしまうので
心の内をぶちまけてしまいます。

また、「褒める」と「甘やかす」も
間違えない様にしましょうね。

褒めるは「相手のため」
甘やかすは「自分のため」

と、いう解釈で善いと思います。

それと、褒める際の注意点ですが、
何かをやり遂げたり
出来たりした時に褒めますよね。

では、普通の時はどうですか。




普通って事は、
ある意味「ノーミス」って事ですよね。

普段、気に掛けている失敗を
しなかったから普通の日常を過ごしてる。

つまり、ノーミスです。

なのに、普通の状態であるが故に
褒める側がスルーしてしまう。

褒められる側もノーミス自体を
意識していないかも知れませんが、
ならばこそ褒める側が
ちゃんと褒めてあげて

ノーミスを意識させてあげないといけません。

これは育児だけに限らず、
大人に対しても同じです。

例えばですが、
僕と直接話をされた方なら
身に覚えがあると思うのですけど。

「前回からこれまでの間に
何か問題がありましたか。」

との問いかけに、
「いや、特に問題はありませんでした。」

と、回答した際、僕は何と話していますか。

「それは善かったですね」
とか
「指摘された点を頑張れたって事ですよ」

みたいな感じで自然と褒めているでしょ。
これが肝心なんですね。




ちゃんと出来たのだから褒める。
普通と言う名の成功をしっかり理解する。
当の本人になればなるほどに、
普通が成功という事に気が付かないし、

そもそもナチュラルに成功してる時って
気にも留めないものでしょ。
それ故に、「普通」なのですからね。

その点に気付いてあげる事
その点を気付かせてあげる事が

教える側や伝える側には
必須となりますからね。

そして、叱る際は必ず線引きをする。
叱り終えたら自分に頸木を付けること。

頸木を設けずにだらだらと
叱ったり、いつまでも怒りを示すのは
相手のためでなく自分の為の解消です。

要は「自分本位」という事になりますので、
決して良い結果に繋がる事がありません。

叱る際には、自身の「意識の方向」を
しっかりと認識し続ける努力が
必須となりますからね。

「相手を視つつ、己も視詰める」

どこまでも完璧なんてのは存在しないし
僕らってのは
教える側も教わる側も

「不完全で不安定な存在」なのだと

常時認識していくのが重要って事です。

意識の方向は
常に気に掛けて
なんぼやで
教える側も
教わる側も
同じなんや