今回は動き方について
お話をしたいと思います。
生活をしていると意見の相違が
そこかしこで生まれます。
自分の意見があるという事は、
他者の意見も当然に存在する
と、いう事ですからね。
問題はその意見をどうするのか
と、いう点です。
どうしても自己の意見を
相手に対して
無理にでも認めさせようとしたり、
相手の意見に聞く耳を持たず否定したり
こういった動きが横行している様に思えます。
また昨今では、「論破する」という様な
一昔前の2chで流行ったスラングが
当たり前に実生活で
使われており始末に負えません。
(そのくせ論破出来てない奴多すぎで草www)
実際に、人の意見などは
違ってて当たり前です。
自分とは全く違う個体なのですから、
同じ意見となる訳が無いのですよ。
性格も違いますし
持ち得る知識も違いますし、
生きてきた過程から環境に至るまで
何もかもが違うのです。
それを一方的に分からそうとしたり
ましてや押し付けるなど
ナンセンス以外の何物でもありません。
ただ、だからと言って
お互いに平行線のままというのも
駄目な事なのですね。
それは分断や分裂を意味しますので
争いの助長に過ぎません。
大切なのは、
「互いの違いを認める事」です。
お互いに違うよねと、
その違いを理解する。
その上で、溝を極力狭めてく。
但し、何処まで行っても
その溝はくっ付きません。
くっ付けなくて良いんです。
狭くなって手が届いたなら
その手を掴めば良いし、
何かで橋渡しをすればいい。
無理に同一化や並列化を求めれば
必ず反発が起きて
意に介さない結果となります。
霊が視える人も居れば
霊の存在自体を否定する人も居る。
多数の神を信じる人も居れば
神は一つと信じる人も居るし
そもそも神を信じない人だって居る。
煙草を吸ったらヤニカスですか。
国政や地方政治の様な
政(まつりごと)に於いても、
外国人ファーストの人達も居れば
日本人ファーストの人達も居る。
そういう流れの中で
一喝して折衷案を認めない状態では
正常な議論など
決して出来るものではないし、
論外となってくるのです。
(ちなみに、自論ですが
どうして日本という
國体の維持ファーストを
標榜する人は居ないんですかね。)
何をやっても違うのだから
理解に向けた努力をする。
違うのだから無条件で認めろというのは
暴論に過ぎないですし、
結局は数に物を言わせる方策となるので
行き着く所は、人・物・金の思考です。
つまり、俗欲が中心となる
価値的思考、多的思考のままで
想いを大切にする個的思考へと
昇華させるには程遠い。
以前に書いた、ステップアップ
昇華には結び付かなくなり
完全な淘汰「滅」へと堕ちていきます。
互いの違いを認めた上で
その違いを理解する為の努力をする。
そういう動きを個々人で隣人で
やれる様にしていく。
善い意味での
「他所は他所、家はウチ」
を、実践していけば良いだけなのですよ。
そこへ、常識や社会通念や規範という
ルールを触媒、橋渡しにさせて
一定の社会を更に構築させていく。
先人さん達がやってきたのは
この動きのまんまです。
そこへ、想いや思い遣りの概念を
高度な情報と共に追加していく。
僕らがこれから現世で
やっていかないとならないのは、
こういう物質と精神の融合的な思考であり
動きなのですね。
そういうのを
ガキの喧嘩って
言うんやで



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