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2025年9月25日木曜日

違いを認める(実戦シリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は動き方について
お話をしたいと思います。




生活をしていると意見の相違が
そこかしこで生まれます。

自分の意見があるという事は、
他者の意見も当然に存在する
と、いう事ですからね。

問題はその意見をどうするのか
と、いう点です。

どうしても自己の意見を
相手に対して
無理にでも認めさせようとしたり、

相手の意見に聞く耳を持たず否定したり

こういった動きが横行している様に思えます。
また昨今では、「論破する」という様な

一昔前の2chで流行ったスラングが
当たり前に実生活で
使われており始末に負えません。

(そのくせ論破出来てない奴多すぎで草www)




実際に、人の意見などは
違ってて当たり前です。

自分とは全く違う個体なのですから、
同じ意見となる訳が無いのですよ。

性格も違いますし
持ち得る知識も違いますし、
生きてきた過程から環境に至るまで
何もかもが違うのです。

それを一方的に分からそうとしたり
ましてや押し付けるなど
ナンセンス以外の何物でもありません。

ただ、だからと言って
お互いに平行線のままというのも
駄目な事なのですね。

それは分断や分裂を意味しますので
争いの助長に過ぎません。

大切なのは、
「互いの違いを認める事」です。

お互いに違うよねと、
その違いを理解する。

その上で、溝を極力狭めてく。




但し、何処まで行っても
その溝はくっ付きません。
くっ付けなくて良いんです。

狭くなって手が届いたなら
その手を掴めば良いし、
何かで橋渡しをすればいい。

無理に同一化や並列化を求めれば
必ず反発が起きて
意に介さない結果となります。

霊が視える人も居れば
霊の存在自体を否定する人も居る。

多数の神を信じる人も居れば
神は一つと信じる人も居るし
そもそも神を信じない人だって居る。

煙草を吸ったらヤニカスですか。

国政や地方政治の様な
政(まつりごと)に於いても、
外国人ファーストの人達も居れば
日本人ファーストの人達も居る。

そういう流れの中で
一喝して折衷案を認めない状態では
正常な議論など
決して出来るものではないし、
論外となってくるのです。

(ちなみに、自論ですが
どうして日本という
國体の維持ファーストを
標榜する人は居ないんですかね。)




何をやっても違うのだから
理解に向けた努力をする。

違うのだから無条件で認めろというのは
暴論に過ぎないですし、
結局は数に物を言わせる方策となるので

行き着く所は、人・物・金の思考です。
つまり、俗欲が中心となる
価値的思考、多的思考のままで

想いを大切にする個的思考へと
昇華させるには程遠い。

以前に書いた、ステップアップ
昇華には結び付かなくなり
完全な淘汰「滅」へと堕ちていきます。

互いの違いを認めた上で
その違いを理解する為の努力をする。

そういう動きを個々人で隣人で
やれる様にしていく。
善い意味での

「他所は他所、家はウチ」

を、実践していけば良いだけなのですよ。
そこへ、常識や社会通念や規範という
ルールを触媒、橋渡しにさせて

一定の社会を更に構築させていく。

先人さん達がやってきたのは
この動きのまんまです。
そこへ、想いや思い遣りの概念を
高度な情報と共に追加していく。

僕らがこれから現世で
やっていかないとならないのは、
こういう物質と精神の融合的な思考であり
動きなのですね。

いがみ合ったり
押し付けたり
そういうのを
ガキの喧嘩って
言うんやで

2025年6月23日月曜日

現実を落とし込む(実戦シリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は考え方について
お話をしたいと思います。




例の7月が近付いてきて
あれやこれやと色んな人達が
思い思いの事を囁いていますね。

僕も以前からサラッと話をしていますが、
何度も言う様にいずれ何処かで
何かしらは起きるものです。

それが7月なのか10月なのか
11月なのかその先なのか、
はたまた間髪入れずに発生する様な
ハイブリッド式なのか。

たぶん起きる時は2~3回と
別口の災禍が連発して起きると思うし
ここでは言及していないですが、

不定期開催の秘密結社や
いつもの様に会ってお話しする際には
2年程前からそれは話をしています。

と、同時に大切なのは
起こる事に恐怖心を抱いて
ビビり散らかす事では無くて、

その先の状況時に如何に対応するか。
その時に必要な心構えは
今この時に時代の中で溢れている
「それ」とは大きく変わります。

「それ」に気が付けない人は
問答無用で淘汰の対象となりますよ。

って、事ですね。
これがステップアップの話。

予知や予期という類の個人力を使ったり
そこに注力する際に、
どうしても抽象的で漠然とした
話しっぷりになりますよね。

僕の様に意図して
そうしている人も居ますが、
殆どは素で漠然と表現をしていると思います。

何故かと言うと、理由は二つ。

1、自分が視た予期予知ではない。
2、自分が視たが現実を視ていない。

この二つです。




前者はその言葉の如くです。
受売りだからその予知予期の持つ意味も
概念や概要も、その先も分からないですし、
恐怖心という名のエンターテインメントを
楽しんでいるに過ぎない。

後者は、視たものの内容のインパクトに
溺れすぎてしまっていて、
そこにある現実を見失ってしまっている。

前者はどうでもいいです。
好きにさせておけばいい。

後者は結構問題です。
現世という現実に生きる者として
自身の視た予知予期に対して、

「現実」

と、いう要素を組み込まないから
インパクトのみでの判断となるので
ありきたりな話しか出来ないのです。

つまり、馬鹿って事です。

例えるならば、
最新テクノロジーの気象衛星の情報を
分析する分析官が大馬鹿だったら。
ってのと同じ意味合いです。

この場合、
どんなに衛星の機能が優れていても
分析する人がそれを扱う技能と知識を
持ち合わせていなければ
予報は大きく外れます。

そのスペックを活かす事が出来なければ
何ら意味が無いという話。

予知予期であろうと何であろうと
個人力というのは、
「現実」を組み込まなければ
その意図もスペックも機能しません。

この現実というエレメントとは
知識であり情報であり意識です。

そして、その内容は自身の与える
影響力の範疇が最小単位であり
最大効果範囲となります。

無駄に広く考える必要は無いですが、
知り得る情報の範疇は狭いと駄目です。

ホンモノと呼ばれる人は
それが出来ているのが普通です。

訳の分からん
他者の情報に
身を委ねて
良いものなのかと
考えてみてや

2025年6月10日火曜日

道標はムスビイトの様に(実戦シリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は考え方について
お話をしたいと思います。




この仕事をしていて、
いや。

こういう体質なので
昔から色んな所で向こうの世界の事や
霊の事などを完全否定する人と
出会ったり話したりする機会があります。

子供の頃は嫌も応も無く
完全否定されるがままで、
意見を言う事すら儘になる事はなく

寧ろ、意見を言えば
その先に待っているのは
矯正や修整という感じの罵倒や
迫害と言っても差し支えない程の
冷めた視線でした。

大人になるにつれ
自ら率先してこの手の話をする事は
殆ど無くなっていきました。

ショックだからとかではなく、
世に出回っている話とか
興味を持っている人の話が
自分のそれとだいぶ懸け離れている事が
多すぎたからです。

その実、体質を小馬鹿にする人や
相も変わらず完全否定する人も居ますが、

経験というのは人の器を
大きくするものなのだと実感も得ています。




実際に完全否定する人と話す際、
今となってはこちら意見を
無理に押し付ける事もしないですし、
ムキになる事も無いです。

そういった思考が大半だというのも
理解をしていますからね。

ですが、
「はいそうですか」と、
流される事も無いです。

相手さんの意見をしっかりと聞いて
僕なりに理解した上で、
こちらの話も聞いて貰います。

但し、抽象的な話は一切しません。
自身の中の確かなものに則った話のみをします。

それは、
本来のスピリチュアルに沿った話ですし
先人の知恵や最新の技術や情勢を踏まえた
科学的な知見でもあれば、
合理的で理に適っている話などが大半です。

その中で必ず出す話の一つが、
「他界」です。




完全否定するのは結構だけれども、
では何故、逝去した際に

「離界」ではなく「他界」と言うのか。

この世界から離れるのだから離界で良い筈。
それを態々「他の世界へ行く」と
表現するのは何故なのか。

これについての意見を聞きます。

様々な答えがありましたが
これ迄で一番多かった解答は、

「昔の人は知識が薄かったから」でした。

確かに。なるほどと思える解答です。

けれども、それであるならば
他の世界は無いという事が
現代人は証明できているのですか。
と、いう点を突きます。

でなければ、答えとしては薄いですし、
単に先人さん達が馬鹿だからという話であれば
それは敬意が薄いという点に於いても
差別的意識が強いとも言えてしまいます。

同じ様な解答をした人でも
「仮説なのだけどね、」と、
前置きをした人も居ました。

このタイプの人とは至極普通に
愉しく意見交換が出来ました。




面白いものですよね。
僕も思考をする際は

「仮説を立てなさい」

と、皆さんに対して津々話をしています。

揶揄される様な体質の僕と、
現実主義の方との思考回路が同じなのです。

ここの中間に触媒として存在しているのが
「相手への想い」であり「思い遣り」です。

そして、これが一つの結論を指していて、
現実的な思考でもスピリチュアルな思考でも

「行き着く先は同じ」

と、いう形そのものを指し示すのですね。

意見の違いや主義や主張の違いなどは
何処にだって現われます。
ただ、それを原理主義的に押し付けるのか
単に流されて終わるのか

それとも、互いに理解する努力をした上で
別の道であっても共に前を向いて進むのか。

たったこれだけの違いなのです。

そこに強固な俗欲が介在させるから
形としておかしくなっていき、
結ばるものも結ばらなくなる。

これが結わえる様になるのが、
次の段階である「フェーズ4」です。

何かにつけてカテゴライズする理由が
実は存在しないという基礎に
気が付ける様になれれば、
生きるのはもっと愉しくなりますよ。

どう足掻いても
ステップアップ
できないのが
貧乏神なんやで

2024年7月24日水曜日

目的(実践シリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は、本シリーズの目的について
お話をしたいと思います。





このブログ内では幾つかシリーズと
名を打って書いている内容があります。

その中でも、

運気下げシリーズ
運気UPシリーズ
知識UPシリーズ
実践シリーズ

この4シリーズは明確な目的を持って
書いている内容となります。

何を目的としているのかは
非常にシンプルでして、

「皆さんが今後動きやすくなる為の
きっかけとヒント」

これだけです。

拍子抜けする程に単純な目的ですが、
今後確実に活かす必要がある事です。

但し、誰でもという訳ではありません。
生きていく中で全てにおいて平等という
存在が無いのと同様に、

「活かす必要がある方」
「活かすための方」
「活かす方」

に、対して書き認めている感じです。





とは言え、
これまで幾度となく書いていますが、
本筋の濃ゆい部分に関しては

セッションやレクチャー
はたまた秘密結社あにきで
話していますので、ここでは書きません。

と、言いますか書けないのです。
ですので、ただ読んだだけでは
誤った解釈をされる方もいると思います。

ですが、それはそれです。
どこかで正しい解釈を覚えるかも知れませんし、
いずれご縁があるかも知れません。

あにきではない似た存在に
巡り合うかも知れませんし、

どこまでも間違ったままかも知れません。

然しながら、
多くの人がステップアップをするには
この方法がベストなのは確かです。

既存の価値観や幸福感に支配されている
リテラシーの渦の中ですからね、
致し方無い結論です。





また、今後という点についても
いついつという様な"点"は存在しません。

"点"は非常に流動的且つ、複数です。

フィクションの様に、
世の中の全員が同時に
同一の何かを得たり、
進化したりなどというのは
確実にないと考えて大丈夫です。

何も起きないのではないです、
色々と起きます。

ですが、それらが齎す経過と結果は
かなりの時間差が生じます。
影響範囲も人的物的問わず差が生じます。

しかし、幾つかの"点"が過ぎ去った後の
生き方の概念そのものは確実に変わります。

そこへ向かって書いているだけです。

受け止め方は様々だと思いますが、
大切なのはまさにその受け止めです。

幸せ、安寧、希望

これが全てです。
けれども、
黙っていてもそんなのはやってきません。
自らが動いて喫するものです。

そして、その時の価値観は
現状での価値観で捉えられる様な
代物でもありません。



2024年4月15日月曜日

何を望むのか

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は、
ステップアップについての
お話をしたいと思います。





未来や将来の事を語る人は
大抵の場合、
不安や恐怖を煽るタイプが多いです。

理由は簡単で、
その方がセンセーショナルですし、
人々の目に留まりやすいですからね。

ですが、その結果
当然の様に人々の中には
不安や恐怖、絶望といった気持ちが溢れ
その次に
「自分だけは助かりたい」
という考えが芽生えてきます。

どこに行けば助かる?とか
何をすれば助かる?とか

主語が完全に自分のためという
自分本位な思考回路に陥ります。

防衛本能として備わっているものですから
確かにその通りですが、
あまりにも本能的過ぎる思考です。

以前から話している
ステップアップというのは、
この様な本能的思考を脱する事を指します。

皆が皆、自分を中心に据えているから
争いも絶えませんし、卑屈な形となっていく。

争いは嫌だと言いながらも、
いざ自分が何かに巻き込まれたら
直ぐに自分本位となるでしょ?

そこが問題でそれを変えないとダメ
と、言ってるんですね。





人々は平和を望むと言いながらも
思考回路は既存のまま。
根本や根幹が変わっていないから
平和や安寧というものが来ない。

常に何かに怯えて、何かに震える。

それを打破させる方法は、
人々の意識や考え方そのものを
変えないといけません。

この流れは既に始まっていて、
と言いますか、既定路線なのです。

前回も話しましたが、
今が二年目というのはその既定路線の中での
転換期という話です。

この既定路線そのものは
大昔から続いているものなのですよ。

そこで、人々が何を望むのか...
それが改めて問われる時期が始まっていて
今もその只中にある。
というのが事実です。

この先の近い将来に何かは必ず起こります。
天変地異、人災、戦争、
言い出せばキリがないですが、
何も起きないという方が不自然なのです。

人ですから何が起きるのかを気にするのは
当然の事ですし、それは自然な思考です。

ですが、問題はそこに固執するのではなく、
その時をその先をちゃんと生きられるか?
人として自分ではなく誰かの為にという
思考をちゃんと持ち得て行動できるか?

その誰かという枠の中を
人だけでなく万物に当て嵌めて思考できるか?

そこが確実に問われます。





その中で死も起きれば生もあります。
大量死にばかり視線が向けられがちですが、
そこには確実に「新たな生」もあるんです。

生きたい死にたくないという
本能的過ぎる思考ではなく、

果たして自分は何の為に誰の為に
目の前に広がり視えるものだけでなく
これから目の前に現れる今は視えぬ者へ
一体何が出来るだろうか?

という思考への変貌変化を理解して
日頃から実行に移す事が出来るかどうかが、
鍵となるんです。

とても抽象的な話の羅列となって
申し訳ないのですけどね、
この中心にあるのが愛や愛情であり
思い遣りであるんです。

実行へ移した人は自然と意味が身に入ります。
頭ではなく自然と理解が出来ます。

これが本当に問われるのはもう暫く先ですが
だからこそ、今から話しているのですよ。
ギリギリのタイミングですからね。

神さん仏さんや先人さん達の苦労が
本当に身に沁みるよ。


2024年2月15日木曜日

成長進化の片鱗(知識UPシリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は、先日のイベントに関した
お話しをしたいと思います。





悪霊や生霊に憑りつかれたり
もしくはその予備軍に
付き纏われたりした際の対処法として

専門職に依頼して処置してもらう事も
大切な事にはなりますが、
毎度毎度そう都合よく処置して貰える
とも限りません。

近くに居ないとか、
緊急過ぎるとか、

無理な状況というのは
幾らでもありますよね。

そこでやはり出来るのであれば
「自身で対処した方が良い」
という結論となる訳です。

せめて、応急処置くらいは
自分で出来た方が本当に良いです。

この時に、一番役に立つのが
「忘失」です。





これは
自分へ危害を加えてきている存在を
忘れるという手法です。

レクチャー8,12,16で教えた
「基本所作」を抑えた上での
行動にはなりますが、
これほど簡単な対処法は無いです。

詰まるところ、
「意識の方向の制御」
「意識の具現化」
の応用ですね。

意識の方向の制御(コントロール)は
言わずもがなの事です。

その時点で、一体どの方向へ
自分の意識が向いているのか?
外側なのか内側なのか...

それを制御して、
「意図的に方向を変える」
という事ですね。

意識の具現化は、
意識をした瞬間から現実への変貌が
始まりますから、

方向を変えたのであれば、
それを強化させるための手法です。





どちらも

「信に徹する」
「伝に務める」
「勇を用いる」

という向こうの世界の理を
理解出来ているからこそ為せる業です。

つまり、他力本願である内や
自身に引き籠っている内は
決して出来ない方法ではありますが、

言い換えるならば、
イベントでの「実験」を経験して
具現化を物理的に目の当たりとした段階で
既に理解は出来ていますし、

実験をご自身でも成功させたという事は、
徹して務めて用いれている
という証でもあるのです。

何故ならば、
あにきが説明をした理屈と
その流れと効果そのものを

言葉と感覚で
ご自身にプログラミングして
再現している訳です。

要は、
確実にステップアップ出来ている
という事です。

ですからね、
確かな自信を持って
前を向いていきましょう!


2023年11月22日水曜日

教える人伝える人(知識UPシリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

スピリチュアルには
大きく分けて
二つの役割があります。

一つは、教える人。
一つは、伝える人。

どちらも同じに聴こえるかも
知れませんが、
だいぶ違います。





「教える人」というのは、
自分がオリジナルとなって
他人様に対して
スピ的な事を教えるという役割。

ここで重要なのは、
どなたかに師事していたり、
人からは何かを聴いたり
していないこと。

あくまでも、
その人がオリジナルとして
インスピレーションなり
霊視なり何なりで
得た知識や経験体験からの話を
教えるという意味です。





「伝える人」というのは、
オリジナルは他に存在していて
そのオリジナルから得た知識や情報を

他人様に対して教えるという役割。
いわば「幸せのスポークスマン」ですね。

ここでキーとなるのは、
聞いた事のみを伝えるのではなく、
「伝える人」本人も
ちゃんと考えて分析をしているか否か。

ただ、オリジナルから言われたこと
教わった事をオウム返しで
伝えるのではなく、

内容は曲げずとも、
ちゃんと自分の言葉として伝えたり、
その環境に応じて伝え方を考えたり
しているかどうか?
という点が重要です。





こんな感じの役割が存在しているので、
見聞きする人は、
そこを検討する要があります。

どちらが重要とか
そんなのは無いですが、
注意をしてほしいのは、

「何を目的としているのか?」

です。

A【利己的なお金儲けなのか?】

B【信者集め的なものなのか?】

C【単に幸せのお裾分けなのか?】

これらを見極める必要はあります。

AとBの場合は、半ば強制的な口調で
押し切る様に話してきますし、
言わば詐欺の連中が多いので、
論調もおかしく理論的でもありません。

また、
何かにつけて不安や恐怖を煽ったり、
何でもかんでも霊のせいにしたりします。

ちなみに、スピ業界人だろうが
影響を受けた一般人だろうがです。





Cの場合は、強制的な側面はありません。
例え誘われても、本人の意思を
100%尊重してくれます。

要は話の節々で
思い遣りがちゃんと見えます。

その思い遣りが形となって表れるので、
何でもかんでも霊のせいとか
非科学要素のせいにはしませんし、

ちゃんと相手を視て、
ピンポイントでの判断をします。

ですので、
主旨にそぐわない方や
話が聞けない人に対しては、
普通にお断りする事もあるでしょうね。

では、あにきはどれなのか?

「教える人」の方で、
D【人生の役割として、必要な人に対して
ステップアップに必要な情報を
口伝にて確実に伝え教える。
そして、伝え教えた人は護り抜く。】

ですね。特殊ですw




2023年11月15日水曜日

瞬間瞬間を愉しむ(運気UPシリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は、
先ほどインスタのストーリーズに
載せた事の詳細となります。





瞬間瞬間を生きる、
瞬間瞬間を愉しむという事は、

その一瞬一瞬を意識するという事です。

何となく過ごすのではなくて、
ちゃんと意識をして過ごす。

要は、危機感を持って生きようよ!
という意味です。

危機感というと堅っ苦しいですが、
一口で表わすなら、
『悔いを残さない』こと。

あーしておけば良かった
こーしておけば良かった

などと思わなくても良い様に
大切に大切に過ごすという意味です。





当たり前に起床して当たり前に生活する。
いつからそれが当たり前だと思ってました?
それは全然当たり前ではないのですよ。

あまりにも平和だから
考えないのも無理はないですが、
人なんて簡単に死んでしまう生き物なんです。

かと言って、死を意識し続ける事は、
違った意味で動けない状況を作りますし、
今の日本では想像するのすら難しいと思います。

では、例えばですが
好きな人や大切な人が、
目の前から突然居なくなったらどうですか?
居所も何も分からない。
連絡も取れない。
これが全く有り得ない事だと言い切れますか?

それを意識させる事、意識する事が
「危機感」です。





この危機感を意識すれば、
一瞬一瞬がとても大切に思えるでしょ?
手も抜けないし、粗雑にも扱えない。

目に見える全てが宝物にも視えるし、
あらゆる物が愛しく思える筈です。

何故なら、
次に見る事が出来るなんて保証は
どこにもないんですから。

けれども、どういう訳か
分かっていても維持が出来ない。
考えられても続けられない。
何故でしょうか?

それは、
社会のエゴイズムと自己のエゴイズムが
邪魔をするからですよ。





社会のエゴイズムとは、
簡単に言えば世間体とか社会規範とか
目に見えないルールみたいなもの。

自己のエゴイズムとは、
自身に向けた欲や自尊心や
羞恥心、価値観などですね。

これらが自分と周りとの間で
ひしめき合って危機感を意識する事の
邪魔をする。

自分を慕う相手の想いよりも
世間や自分の権利を優先させてしまう。
楽という選択肢を掴ませてしまう。

つまり、危機感を意識するという事は、
思い遣りや愛情を常に胸に抱えるという事で、
自分に打ち勝つという事でもあるのです。





そこが理解出来れば、
小難しい事を考えるよりも、
悩み拗らせて暗くなるよりも、
まずは「明るく愉しく元気よく」生きて、

瞬間瞬間を意識して、
一瞬一瞬に自身の魂を込めればいい。

ですが、頭で思考しようとすると
どうしても迷路に嵌ってしまうので
ただの頭デッカチとなってしまいます。

それならば、思考するよりも先に
身体で動いてしまえばいい。

小さい幸せを見付ける事も
一言一句忘れずに覚えようとする聞き方も
言葉を変えずに伝える事も、
周りに流されない様にする事も、

紐解けば、瞬間瞬間を意識する事でしょ?
なので、ずっと教えていたんです。





その先にあるものは、
一瞬を大切にした愛情であり、
その尊さや生きてる歓びに
自然と気付ける筈ですし、
思い出せる筈だからです。

この、「自分は一人ではない」と
身を以って肌で実感する感覚を
「 安 ら ぎ 」
と、言うのです。

謙虚さも感謝も、
的を得ていないと意味が無い。
と、話していたのも、ここへと繋がります。

ですからね、
瞬間瞬間を愉しむ様に意識してみて下さい。

そうすれば、
ご自身の抱えているエゴからも
まき散らされた恐怖心や
不安などからも必ず解放されて
ステップアップに繋がりますから。