今回は考え方について
お話をしたいと思います。
前回投稿した内容の中で
「霊視」について触れました。
霊視をするには
「視ようとする意気込み」が必要ですが、
それ以外にも色々と必須な事があります。
その中でも、捉え方が大切です。
何を捉えるのかを一口に言うなら
「想い」又は「念」です。
肉体を捉えようとすると、
霊視というものは出来ません。
あくまでも肉体を介さずに
幽体や霊体を用いて
対象となる存在を覗くのが霊視です。
霊視での対象は「人」と思われがちですが、
物や空間や事象など
全般的に至るのが霊視です。
その対象に向けて幽体や霊体を用いて
視る訳ですから、対象側に関しても
幽体や霊体を目標とします。
肉体を介さずに視るのですから、
対象に於いても肉体を目標としたら
出来る筈もありません。
幽体や霊体と言ってもなかなか難しいです。
ですが、想いや念であれば
薄っすらでも理解は出来ると思います。
対象となる想いや念を「捉える」と言っても
どうやって捉えるのか。
対象を感覚的にイメージします。
イメージする際に、
こちら側の「想い」が必要になります。
つまり、
善い感覚でイメージを構築しないと
霊視をする事は叶いません。
何故なら、念を用いるとなると
俗欲が基軸となるからです。
俗欲=肉体ですから、そもそもが霊視と
なり得ないのですね。
想いを基軸として
対象を自身の内側に構築する。
その上で、対象の念想を感じ取ります。
この時、幽体や霊体を目標としているので
実際の現実の肉体とは差異が生じます。
ですので、
断片的な映像でしか受け取れません。
その映像にこちら側で脚色をするのです。
望遠鏡で撮影した星々の画像も
スペクトル等の情報を基にして
色付けをして公開されています。
あの工程に似ています。
要するに、
視れたところで現実での知識や
経験や理解力や分析力、
認識力や想像力が伴わなければ
具体性が全く構築されないのです。
非科学の能力ではあるものの
科学的な知見も必須となるのが
本来のスピリチュアルの形ですからね。
一方向に凝り固まった
脳みそをしていると
脳みそをしていると
本来のスピなんか
理解すら出来へんで

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