2024年2月23日金曜日

分けない重要性(知識UPシリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は、視えない存在への
基本的な考え方について
お話をしたいと思います。





視えない存在、
ここでは霊的な存在としますが、
このジャンルを語る時に
どういう訳か無視されているのが

「基本的な考え方」

そのものです。

基本的な考え方というのは
何なのかというと、
視えない存在を語る上で

何を中心として捉えて話しているのか?

という事ですね。

多くの場合は「人中心」で
語っているのではないかと思います。

それはそれで良いのですが、
あにきとしては疑問が湧きます。

と言いますのも、例えば
「私、見えます」系の方々などは
人様の前でよくこう言います。

「あそこに誰かいる...」
「男の子が立っている...」

みたいな台詞ですね。

こういう自慢げな言葉を聞く度に
あにきは思う訳です。
(もっと他に視えないのかと…)

どうして「人」しか見えてないのかと。





この星には、人しか住んでない?
そうでないのは誰もが知っていますよね。
様々な生物が居て、物質が存在しています。

死した者が見えるのは結構ですが、
何ゆえに人だけしか言わないのか?

人よりも個体数が圧倒的に多い存在が
地球上には幾らでも居ます。

それら万物の全てに霊体は宿っていて
死の概念や死後の行き先は人と違えど、

狭間と呼ばれる空間には、
人のみならずそれら全てが存在しています。

にも拘らず、人しか見えていないのは
「人中心」つまり、
「自分中心」でしか考えていないからです。

そもそも霊的な事を考える時、触れる時に
決して忘れてはいけないのは、

「全ての中に自分は居る」

という思考です。





こういう場面で「全て」と言うと、
どういう訳か大自然と捉えがちですが

そうではなくて、
ここには自然もあれば人工物もある。
生きているもの死んでいるもの
見えるもの視えないもの

生物のみならず、鉱物や空気に至るまで
これら全ての中に自分が居るという
考え方です。

これが、視えない存在への
基本的な考え方となります。

この考え方捉え方ですと、
人は人という様な、カテゴリー分けをして
考える事はありません。

分けて考えてはいけないのです。

視え方も
感じ方も
聞き方も
触れ方も

どんな存在に対しても
同じ接し方とせねばいけないのが、
本来の視えない存在に対する考え方。





視えない存在とは意識で繋がります。
意識というと漠然としていますので、
言い換えますと、

想いや念です。
そこへ、感情や気持ちも加わります。

言葉というよりも、
これらの意識がダイレクトに届いたり
触れたりする事の方が多いです。

要するに、
見えると自慢をしたいのであれば
人以外の存在の想いや念、
果ては姿に至るまで視えないといけない。

それが出来ていない段階で、
存在のカテゴライズをしてしまっていて、

「万物に対する想い遣りや優しさ」
という、
愛情の概念にも反してしまっている。

だから、
恐怖心やエゴ(欲)から抜けられないし、
逆にそれらへ溺れていってしまう。

実際に、こんな風に言ってくる人って
自分の事しか考えていないというのが、
表情に出ている人が多いと思いますよ。

詰まるところ、
「愛情の理解度が低い人」という事です。

物の目線、
概念そのものを変えて視ないといけません。
同時にこれは、
生きている存在全てに対しても
行える考え方なんですよ。

何故ならば、
皆さんの中にも霊体が存在しているのですから。