2025年2月25日火曜日

使い方の基本(実戦シリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は考え方について
お話をしたいと思います。




本来のスピリチュアルを
実戦で使うという点を考える時、
お化けつまり霊の事ですが

彼等の事が視えないから使えないし、
使う努力すら出来ない。
と、考えられる方も居るでしょう。

けれど、
それはかなり視野が狭いです。

霊とは何かを思考すれば
答えは必ず出てくるものです。

霊とは

「肉体を得ていない存在」です。

生きている者が
死去した後の存在のみと思いがちですが、

元々肉体を得ていない存在も居ます。
自然霊がここに該当します。
皆さんが大好きな龍神などですね。

要は、幽体と霊体のみで構成される存在が
霊という事になります。




今回の話は本来のスピリチュアルを
実戦で使う、若しくは使う努力をする
という話ですので、
分かり易い様に人に絞ります。

人でいう場合の霊とは、
端的に言うと死後の姿となります。
生まれてくる前の姿とも言えますが、
ここでは敢えて死後に限定します。

スピリチュアル=霊的
だからと言って、霊でなければいけない
という思考がそもそも間違いなのだと
気付けない様では、お話になりません。

単に肉体の有無が霊との
表現的な境目なだけであって、
存在としては人=霊という事になります。

なので、本来のスピリチュアルを
使う、ないし使う努力をするのであれば、
生きている人に対して
行えば良いだけの話です。

総ての存在は生きている間から
霊となった後の姿や、
その片鱗を必ず表します。




それを踏まえますと、
善い霊の場合も悪い霊となる場合も
様々な特徴が何かしら表れているので、

それを如何にキャッチするのかが
本来のスピリチュアルにとって
重要な点となるのですね。

如何に縷々行われている人の業を観察して、
自身に転嫁させる事が出来るか。
自身への戒めへと繋げる事が出来るか。

手始めは人だったとしても、
総ての存在に該当する訳ですから
人以外の存在を観察しても同じ事が可能です。

受肉している存在でこれらを反復反芻して
学習を積み重ねていきながら、
目に視えない存在の事を意識の中に登らせていく。

己を含めた眼の前に居る存在にすら出来ない者が
目に視えない存在に対してなど
何も出来る事はありません。

視える存在の想いを受け取る。
感じ取る。
これが使う努力の指標における最低限度です。

なので、
いくら自分で努力していると
自己評価しても、
ただの独りよがりの自分本位ですから、
努力しているという事には
決して繋がらないのですね。

色んな目線で
思考が出来ないと
本来のスピは
使い熟せない
ものやで