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2025年11月6日木曜日

辛さと幸せ(実戦シリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は動き方について
お話をしたいと思います。




幸せは痛みを伴ったり
痛みを意識した先に存在します。

勉強等がその典型例ですね。
普段の学習という苦痛を乗り越えた先に
テストの結果を得られる訳です。

本来のスピリチュアルも同様で、
教わったものを使うという事や
使う努力をする事、

つまり、
自分から率先して動くという

「苦痛」を乗り越えた先に
「愉しみ」という幸せを

得る事が出来るのですね。

また、貧乏神と接した際の
苦痛も同様です。

嫌な思いという苦痛を得るから
同じ様にはなりたくないと
その苦痛を乗り越える様に努力する。

その先に幸せがあります。




貧乏神に近い存在へと
成りかかってしまった際も同様で、
そこから抜ける為の努力

とりわけ、俗欲の制御という業は
かなりの苦痛を伴います。

平穏無事な人が行う
俗欲の制御と比べると、
天と地ほどの差があるくらいの
相当な苦痛です。

その苦痛を乗り越えるから
想いというものを理解する事が出来る
幸せを得られるのです。

しかし、
その苦痛に屈服して楽を取った場合は
努力を途中で放棄するのと同意義ですから

幸せは手で掬った水の様に
零れてしまい、
そこに存在すらしていなかったかの様に
影も形も無くなります。

あにきと一緒に頑張ってきた皆さんなら
この意味が分かる筈ですよ。

辛さと幸せは
背中合わせの
仲良しなんやで

2025年8月31日日曜日

やればわかるさ(実戦シリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は動き方について
お話をしたいと思います。




考えてから動くのは知的ですが、
動いてから考えるのも知的です。

ですが、
考え無しに動くのとは違います。
そこには自分の後押しが出来る程の、
自身のバックアップや
尻ぬぐいが可能なほどの

「知識」が必要になります。
そこで初めて可能となるのが、

「動いてから考える」です。

では、どうして最初に考えないのか。
それは、
考えても分からないからです。

知識というのは、
自身の中に持ち合わせていたとしても
それが結び付かなければ
「分からない」という結論になります。

つまり、「考え方」が、
分からないのですね。

事前に理解をして点と点を線にしてから
動き始めるのが前者で、

まずは動いてみてから
点と点を線にする方法をそこから
見出していくのが後者です。

なので、どちらも知的となるのですね。

一番知的では無いのは、
そもそもの知識を持ち合わせておらずに
考えたフリをして何もしない事と

知識も理解も無く動いてみて
結果だけを追い求める事。

これらはどちらも無知から来る
能無しの所業です。
この手を続ける人達は、
結局誰かに使われ続けて終わります。

これを「畜生」と言うのです。

一定の知識があるのならば、
怖気付かせて悩み散らかせ
動かぬ選択肢を取るよりも

思考を以て動きましょう。

先に動くか後に動くかは
どこまでも貴方の自由なのですからね。

イーチッ

ニーッ

サンッ...


2025年8月14日木曜日

先を見据える(実戦シリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は考え方について
お話をしたいと思います。




物事というのは、
覚えようと思っても
なかなかどうして
覚えられるものではありません。

僕もセッションやレクチャーを
通じて色々と教えていますが、

その場で話を必死に書いたところで
綺麗に纏めたところで
決して覚えられるものではないのです。

ですが、話を書いたりするのは
とても良い事ですし
拒否も否定もしていませんよ。

ただ、覚えられないのです。
文字での記録に残せても
そこで変に自分を納得させて
終いとしてしまうから
記憶に残せないのです。

覚える為に足りていないのは
「使う」という行為です。




物事は使って初めて覚えます。
逆に、使っていないと忘れます。

記憶に留める事が難しいのです。

人は五感をフルに活用した際に
記憶へと残す事が可能です。
頭の中だけで覚えようとしても

「使う」が発生しないと
実際に身には入りません。

言語しかり、何かの作業然り、
使っているから覚えられますが、
使っていないと忘れるでしょ。

例えば、
書く事をしていないと、
読めるけども書けないですよね。

それは頭だけではなく
「手」でも覚えているから。

歌を歌う時、いちいち頭に歌詞を
浮かべたりはしないでしょ。
それは「口」や「耳」でも覚えているから。

だから、実際に歌わないで
脳内再生しているだけだと
口にした時に異常に詰まりますよね。
それは「使っていない」からです。




本来のスピリチュアルも同様で
使うからこそ覚えられます。

文字で書いたりするだけで
覚えられるのであれば
誰も苦労はしません。

視たり聴いたりしたものを
文字に起こして記録したなら
それは必ず使わないと
その意味は消失します。

また、一生懸命に文字に起こしていても
今度は「聴く」事を疎かにするから
やはり身には入らないで終わる。

記録をするのは「目的」ではなく
あくまでも使う為の「手段」です。

以前から話していますが、
ここを読むだけでは
決して善くなどなりません。

読んだのならば使わないと意味が無い。
使う努力をしないと意味が無い。

使う努力をして分からなければ聞く。
使う努力自体が分からなければ
尚更聞けばいい。

どこまで行っても常に「使う」を意識して
実践していかなければ
覚える事など出来ないのが
本来のスピリチュアルですからね。

つまり、善くならないという意味です。

日頃のアドバイスを
使わないから
予約が出来ないんや
繁忙期は
先を見据えろと
言った筈やで

2025年2月25日火曜日

使い方の基本(実戦シリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は考え方について
お話をしたいと思います。




本来のスピリチュアルを
実戦で使うという点を考える時、
お化けつまり霊の事ですが

彼等の事が視えないから使えないし、
使う努力すら出来ない。
と、考えられる方も居るでしょう。

けれど、
それはかなり視野が狭いです。

霊とは何かを思考すれば
答えは必ず出てくるものです。

霊とは

「肉体を得ていない存在」です。

生きている者が
死去した後の存在のみと思いがちですが、

元々肉体を得ていない存在も居ます。
自然霊がここに該当します。
皆さんが大好きな龍神などですね。

要は、幽体と霊体のみで構成される存在が
霊という事になります。




今回の話は本来のスピリチュアルを
実戦で使う、若しくは使う努力をする
という話ですので、
分かり易い様に人に絞ります。

人でいう場合の霊とは、
端的に言うと死後の姿となります。
生まれてくる前の姿とも言えますが、
ここでは敢えて死後に限定します。

スピリチュアル=霊的
だからと言って、霊でなければいけない
という思考がそもそも間違いなのだと
気付けない様では、お話になりません。

単に肉体の有無が霊との
表現的な境目なだけであって、
存在としては人=霊という事になります。

なので、本来のスピリチュアルを
使う、ないし使う努力をするのであれば、
生きている人に対して
行えば良いだけの話です。

総ての存在は生きている間から
霊となった後の姿や、
その片鱗を必ず表します。




それを踏まえますと、
善い霊の場合も悪い霊となる場合も
様々な特徴が何かしら表れているので、

それを如何にキャッチするのかが
本来のスピリチュアルにとって
重要な点となるのですね。

如何に縷々行われている人の業を観察して、
自身に転嫁させる事が出来るか。
自身への戒めへと繋げる事が出来るか。

手始めは人だったとしても、
総ての存在に該当する訳ですから
人以外の存在を観察しても同じ事が可能です。

受肉している存在でこれらを反復反芻して
学習を積み重ねていきながら、
目に視えない存在の事を意識の中に登らせていく。

己を含めた眼の前に居る存在にすら出来ない者が
目に視えない存在に対してなど
何も出来る事はありません。

視える存在の想いを受け取る。
感じ取る。
これが使う努力の指標における最低限度です。

なので、
いくら自分で努力していると
自己評価しても、
ただの独りよがりの自分本位ですから、
努力しているという事には
決して繋がらないのですね。

色んな目線で
思考が出来ないと
本来のスピは
使い熟せない
ものやで

2024年12月30日月曜日

逆を忍ばせる(実践シリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は動き方について
お話をしたいと思います。




今年もいよいよ晦日となり、
忙(せわ)しくも
そこはかとなく揚々とした気分に
なられている方が
多いのではないでしょうか。

逆に、お仕事から解放されて
気が抜けてしまう方も
いらっしゃるでしょう。

歳末ですからね、
そんなものです。
(あにきは後者ですね)

こういった浮かれ気味な時、
以前よりお話している

「逆の感情を忍ばせる」を

意識するにはもってこいです。




もう皆さん御存知の通りですが、
高揚感が強い時というのは
運気が下がる契機となり得る場面です。
(レク15)

これは歳末や年始に
限った事ではないですが、
この時期のアクシデントは
なるべく避けたいものです。

なればこそ、
この場面で活かすという事ですね。

運気の維持は
日々の努力の積み重ねで成立します。

暮れの過ごし方でもなければ、
年始のご挨拶でもありません。

そういった括りを全て含めた
常日頃から「使う」を
意識しているか否かですからね。

まさに実践
あるのみなんや
それを
日頃の業と
言うんやで

2024年5月21日火曜日

使うということ(実践シリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は教わった後のことについて
お話をしたいと思います。





この仕事をしていますと、
皆さんへ日頃より様々なアドバイスや
知識の提供をさせて頂いておりますが、

結局のところ、

何かを教わったその後の動き...
行動が伴っていなくて
二の足を踏んでしまっている。

というのを多々見掛けています。

せっかくポイントを教えてもらったのに
体の良い言い訳をして使わない。

それなのに、
善くならないと思い悩む。

大概の場合、ここでの言い訳は
ご自身の覚悟が決まらないのを
人のせいにしてみたり、

単に「自身から行動に移せない」
といったパターンが殆どです。
要は、「甘え」ですね。





どんな事でもそうですが、
知り得た知識や情報というのは、
使ってなんぼなのですね。

普通にしていて使う機会が無いのなら
使う機会を作れば良いし、
その努力をすれば良いだけです。

そういう手間暇を面倒臭がって
何もせずに背中だけ押してもらおうなど...

そんな都合の良い事をする人が
この世に居ると思いますか?

もし、居るとするならば、
それは余程お花畑思考の人か
何にしても貧乏神の類のみです。

そもそも、
貴方はそれを他人様にしますか?
絶対にしない筈です。

なにせ、自分の事ですら
面倒臭がってるのですからね。

そういう糞味噌な思考を
棄て去る事が出来なければ
何を聞いても
何を教わっても無駄骨です。





自ら時間とお金を掛けて
剰え頭まで下げて聞きに来た話を
その場で棄て去る愚行。

聞くだけで分かった"つもり”になって、
使うことすらせずに
出来ない善くならないと言い張る愚かさ。

それは、差し詰め
家でケツを搔きながら下らねぇ番組を見てたり、
現金をドブに捨ててるのと同じ行為です。

時間もお金も無駄にしている
という意味ですね。

何をするにしても、
得たものは即使ってなんぼです。
そして、
それを維持してなんぼです。

そんな基本的な所作も行えないで
自分は出来ているなどと、
口にするにも烏滸がましい限りなのですよ。

そんな人の言う事に対して
周りが耳を貸す訳ないですし、
誰一人として相手になんぞしてくれません。

聴こえの良い部分だけを切り取って
良いとこ取りを企む癖があるから
日頃の買い物だって下手くそでしょう。

安さに目が眩んで変なサイトで購入したり
安物買いの銭失いが多いのだろうと
容易に想像する事が出来ます。

強いて言うなら、
ご自分の同貉だけが頷いてくれるでしょうね。





散々こき下ろしましたが、
そうなってしまわない様にする為に
得たモノは勇気を以って使うんです。

それをその身に沁み込ませるんですよ。

善くなれる人と
いつまでも善くなれない人の
最大の差は、
この「使う」という点なのです。

使うという事を普段からしないから、
いざ使おうにも動けない。

手取り足取り使い方を教わっても
自分への甘え癖が抜けなくて
今度は勇気が出なくて使えない。

その挙げ句、思考そのものを放棄して
ただの道化に成り下がる。
そこには感情も感動も優しさも想いも
何一つ無いですから、

自分と他人の恨みや念を積み重ねていき
貧乏神へと堕ちていく。

「使う」という業を無碍にしただけで
あっという間に悪化します。

言い換えれば、
「使う」だけで少なくとも
善い方向へ歩みを進める事はできる!

という事でもあります。

勿論、使ったからこそ出てくる
新たな課題や障壁はあります。

けれど、それは使ったから知れるのです。

勘違いされると嫌なので
敢えて言いますが、

あにきが教えたのに使わない事を
嘆いているのではなくて、

「何事に於いても
使わずに無駄骨とする事が
本当に愚かしい...」

というのを嘆いているのです。

さて、
あなたはどういう選択をしますか?