2025年1月28日火曜日

剥き出しの欲(実践シリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は動き方について
お話をしたいと思います。




どなたにでも例外無く

「駄目な自分」

と、いう側面があります。

この駄目な自分を理解したり
認めたり、制御する事で
要らぬ恨みを買わずに済むので、

「運気の維持」

と、いう業が出来る様になります。

しかしながら、
駄目な自分をその目で直視する事は
相当な痛みを伴います。
「心の痛み」です。

人は誰でも何かしらの形で
自分以外の存在を
傷付けてしまっています。

その傷付けてしまう場面に於いて
大抵の場合、
駄目な自分という側面が
表現化している時であり、

俗欲などが
剥き出しとなっている状態である

と、表わす事が出来ます。




この「剥き出しの欲」が
多ければ多い程、
相手に対して傷を付けてしまう。

然もそれは、
知らず知らずの内に
繰り返してしまうものなのです。

何故ならば、
剥き出しの欲というのは
非常に依存性が高く、

一種の「快楽状態」とも表せる
反応となりますので、

周囲へ目線を拡げる事が
限り無く不可能となるからです。

これを思考の「視野狭窄」と言います。

相手を一方的に傷付ける訳ですから
当然に相手からの念や恨みを被ります。




恨みや念というのは、
原則的に自身が起因となって
相手が発するものですから、

いくら水際で恨みや念を
堰き止めようとしても、
その発生源である駄目な自分を
認知しない事には、

ほぼ永久的にこのサイクルが
止まる事は無いのですね。

つまり、
駄目な自分を認識及び認知する
という事は、

これ迄に貴方が原因となって
相手が被ってきた「心の痛み」を
貴方自身がその身を以って
「再認識」するという事になるのです。

なので、
先述した通り駄目な自分の理解や
認識をする事は、想像以上の痛みを伴う
と、いう事に繋がります。

その反面、
駄目な自分を理解せずに
剥き出しの欲を晒し続けるという事は、
心の痛みを知らぬ
人としての恥であるとも表現出来ます。

八罪内の「辱め」へと連鎖する道筋が
出来上がってしまうので、
運気は維持するどころか
堕ちる一方となります。

この連鎖に
どっぷりなのが
貧乏神なんやで