今回は考え方について
お話をしたいと思います。
つまらない
面白くない
楽しくない
何を理由にしても
概ねこの3つを起因として
人は人を傷付けます。
引きこもりも然りですし、
暴力も然りです。
この手の人達は、言い訳として
刺激が少ないから...と必ず言います。
ですが、それは
「自分の世界が狭すぎる」事による
認識力の低さが原因なのですね。
言い換えると、
「世界の広さの誤認」です。
今や、ネットを覗けば
色々な物を見れますし知れます。
地球の裏側ですら、
この瞬間にも見る事が出来ます。
確かに便利ですが、
それが自分の世界と
イコールで結び付いてしまって
自分は全てを知っている風になってしまう。
けれども、その手の状態に陥る人の
実際の行動範囲は驚く程に狭いです。
行った事のあるエリアは
それなりに有ったとしても
日常の中では
近所の路地裏すら知らない狭さ。
事実、一人では何もしない
誰かと一緒でないと動けない
人に声を掛ける事も
その辺を出歩く事も
簡単な手続きすら聞く事が出来ない程に
自分の世界が狭いのです。
その中で、ネットやSNS等を見ると
皆が幸せそうにしていて
成功している様に見えて
自身の至らなさと
抱えている現実を照らし合わせて
異常な迄に過度な憧れを抱く様になる。
その殆どが欺瞞で創られた事実だと
知る事も無く、知ろうともせずに
憧れに溺れていくのですね。
実際には、
世界はそんなに狭くないし
世間はそんなに甘くないし
大衆はそこまで幸せに満ちていないし
人々はそこまで楽をしていない
自分の世界が狭いから
映し出されたものが
「理想と建前」
だという事に
気が付けずに鵜呑みにする。
恐れや不安、甘えや我儘に溺れて
自分で何かをするという
最小単位の努力を放棄して
現実から逃避しているから
実生活の真実を理解していない。
これ程までに認識力が低く
自分の中で世界を狭く捉えているのが
貧乏神であり、
それに近しい存在なのですね。
ですからね、
何でもやってあげる事も
何でもやってもらう事も
程々にしておかないと
当たり前に堕ちてしまう訳です。
旅という名の
経験をさせて
世界の広さを
理解させるんや



