今回は考え方について
お話をしたいと思います。
これまでも何度かに分けて
独特の能力を持っている人や
個人力を使えている人を
徒に特別視する事や特別扱いする事は
確実に宜しくない結果を齎しますよと
お話をしてきました。
何度となく言いますが、
個人力や霊能力という代物は
誰にでも備わっています。
至極当たり前の能力です。
それをナチュラルに使えるとか
使えないというのは、
生まれてくる前に自身が選択をして
決めているだけの事になります。
「使えないという誤認識」や
「個人力自体を忘れてしまう」
と、いうのが現世での基本ではあるのですが、
「単に使う」
と、いう点のみで言うなら
それも現世ではノーマルです。
つまり、何ら特別ではない。
問題は「役割」の認識と
「背後の理解」です。
人のみならず現世に在する万物には
各々其々に「役割」というのが在り、
人に限って言うならば一部例外を除いて
ほぼ全ての人が自身でその役割を
設定して生まれてきます。
個人力に関しても同様で、
それを使ってどうするのかという
「役割」を必ず持っています。
その役割を現世に在している最中に
理解して使い熟す事が出来て
初めて役割は全うとなります。
また、その「背後を知る」
というのも重要です。
単に個人力を持ち合わせているだけでなく
その「力の源泉」は何なのか、
向こうの世界の「世界観」や
「価値観」という様な
皆が忘れている「背後」を理解して
それを適確に教えたり伝えたりする事が
可能か否かが必須となってくるのです。
ここで変に特別視をしてしまうと
周りは疎か本人ですらその俗欲に溺れて
至極当然に能力にも関わらず
周りは必要以上に縋り
当人は驕り高ぶります
そして、妙な方向へと進んでいきます。
宗教化したり偶像崇拝化する感じです。
そうなってしまうと、
ただの貧乏神化ですから
何一つ良い事など起こり得ません。
そういう特別視よりも
如何に普通に接して普通に生活が出来るか。
もし、仮に親であるならば
幾ら子が個人力や不思議な力を有していても
その力に溺れる事無く驕る事無く
特別視せずに社会性というのを
維持させ育んでいく事が出来るか。
ここが非常に重要となってきます。
特視というのは甘い俗欲であり、
強烈な「魔素」です。
それを当人も周りも理解して
あくまでも普通にする事が
とても難解ではありますけども
ステップアップには必要な事なのですよ。
差別意識の助長と
なんら変わらん
ものなんやで

.jpg)
.jpg)
