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2025年6月20日金曜日

特視は終わりへの序曲(実戦シリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は考え方について
お話をしたいと思います。




これまでも何度かに分けて
独特の能力を持っている人や
個人力を使えている人を

徒に特別視する事や特別扱いする事は
確実に宜しくない結果を齎しますよと
お話をしてきました。

何度となく言いますが、
個人力や霊能力という代物は
誰にでも備わっています。

至極当たり前の能力です。

それをナチュラルに使えるとか
使えないというのは、
生まれてくる前に自身が選択をして
決めているだけの事になります。

「使えないという誤認識」や
「個人力自体を忘れてしまう」

と、いうのが現世での基本ではあるのですが、

「単に使う」

と、いう点のみで言うなら
それも現世ではノーマルです。

つまり、何ら特別ではない。




問題は「役割」の認識と
「背後の理解」です。

人のみならず現世に在する万物には
各々其々に「役割」というのが在り、

人に限って言うならば一部例外を除いて
ほぼ全ての人が自身でその役割を
設定して生まれてきます。

個人力に関しても同様で、
それを使ってどうするのかという
「役割」を必ず持っています。

その役割を現世に在している最中に
理解して使い熟す事が出来て
初めて役割は全うとなります。

また、その「背後を知る」
というのも重要です。

単に個人力を持ち合わせているだけでなく
その「力の源泉」は何なのか、
向こうの世界の「世界観」や
「価値観」という様な

皆が忘れている「背後」を理解して
それを適確に教えたり伝えたりする事が
可能か否かが必須となってくるのです。




ここで変に特別視をしてしまうと
周りは疎か本人ですらその俗欲に溺れて

至極当然に能力にも関わらず
周りは必要以上に縋り
当人は驕り高ぶります

そして、妙な方向へと進んでいきます。
宗教化したり偶像崇拝化する感じです。

そうなってしまうと、
ただの貧乏神化ですから
何一つ良い事など起こり得ません。

そういう特別視よりも
如何に普通に接して普通に生活が出来るか。

もし、仮に親であるならば
幾ら子が個人力や不思議な力を有していても
その力に溺れる事無く驕る事無く

特別視せずに社会性というのを
維持させ育んでいく事が出来るか。
ここが非常に重要となってきます。

特視というのは甘い俗欲であり、
強烈な「魔素」です。

それを当人も周りも理解して
あくまでも普通にする事が
とても難解ではありますけども
ステップアップには必要な事なのですよ。

特別視ってのは
利己的な優劣や
差別意識の助長と
なんら変わらん
ものなんやで

2025年6月6日金曜日

闇の領域(実戦シリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は考え方について
お話をしたいと思います。




向こうの世界、
とりわけ霊界に於いて

善い所は「浄土」
怖い所は「地獄」

と、位置付けられています。
ここで言う闇の領域は「地獄」です。

(地獄の先にも又はその手前にも
闇の領域が存在しているのを、
僕と直接話をした事のある方々は
御周知の通りだと存じていますが
ここでの解説は割愛しますね)

では、この闇の領域という面ですが、
我々のいる「現世」には
存在するのか否か。

結論から言いますと、
領域としては存在しません。

但し、向こうの世界に於ける
闇の領域へ堕ちてしまう側面は
存在しています。

それが、「念」です。

念というのは今更ですが
「想い」の対となるものです。

「恨み」とも形容できますね。




念というのは基本的に
自分本位などの俗欲を中心とした
思考を基として形成されるものです。

この、「念」の発生数や発生率、
抱える量や誰かに飛ばす総量が
多ければ多いほど、

「貧乏神」という形態へと変貌します。

この貧乏神と呼ばれる形態となって
死を迎えてしまうと

概ね100%の確率で
地獄かその先へ行く事が確定します。

闇の領域へと堕ちるという事です。

ですので、現世に領域としての
闇のエリアは存在していないですが、

いずれ闇の領域へ向かう事の出来る
単体としては、存在しているのです。

そして、これは一切の例外無く
現世の存在の誰しもが持ち得ているものです。

人だけではなく全ての存在です。

向こうの世界の闇の領域は
皆さんの想像以上に過酷な場所ですし、
間違ってもおススメは出来ません。

地獄堕ちを避ける為にも
日頃から俗欲を制御して
念の力場の生成を極力抑える等の努力をして
前向きに生きてほしいなと切に思います。

自分は大丈夫など
間違っても
思える事では
ないんやで

2025年4月7日月曜日

声を拾う(実戦シリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は考え方について
お話をしたいと思います。




かねてより話しておりますが、

「霊的な存在が視える」
「霊的な存在の声が聴こえる」を

自負されている方は結構居ます。
その方々の多くがネガティブ専門です。

寂しそうにしているとか
悔しそうにしているとか
辛そうにしているとか
怒っているとか

その手の存在の代弁ばかりで
違和感を禁じ得ません。

亡くなった方々は

そこまで辛い人ばかりではないし
言うほど悲しんでもいないし、
キレ散らかしている奴は少ないし

寧ろ、愉しんでいる方が多いですよ。

勿論、亡くなり方や状況によって
その差は多々ありますが、
それでも圧倒的に多いのは
ポジティブな方々ですね。

にも関わらず、ネガティブな声を拾って
そればかりを伝えるのは

ある種の決め付けと思い込みが
起因となっている結果かと考えます。




自身の思考回路や幽体の流れが
「念基軸」である場合、
その基軸に沿った存在が集まったり

その存在の声だけを自然とソートしてしまう
と、いう事は相当数あります。

「霊=悪」「死=悲」と、
断じてしまっているが故に
善い面を積極的に拾えないという事です。

これが「思考的視野狭窄」になります。

死後の世界や向こうの世界、
狭間の世界を語ったり、
ましてや亡くなった方々を語る際、

思考的視野狭窄に陥るのは危険で
遺された方々に対して絶望のみを
植え付けたり与えてしまう可能性が
高いからです。

向こうの世界には
浄土もあれば地獄もあります。
狭間の世界に至っては
ある意味フラットな領域です。

生きている者が死者の声を代弁する時、
生者の感覚で推し測るのは言語道断です。

大切になるのは、
現世から一歩踏み出た先の世界を
しっかりと理解した上で、

「その世界の住人の感覚で代弁をする事」
「自身の感情を決して入れない事」

これが守れない内は
代弁などはやらない方が身の為です。
あまり良い結果とはなりませんからね。

思い遣りに
欠けたら
どうなるのかを
考えてみるんや

2024年1月6日土曜日

安らぎは得るもの?求めるもの?(知識UPシリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は安らぎについて
お話をしたいと思います。





ここでの「安らぎ」とは、
死後の事を指します。

つまり、向こうの世界へ行った後の
話になりますね。

で、タイトルの問い掛けと
なるのですが、

安らぎは得るものなのか?
それとも
求めるものなのか?

これはですね、
どの場面での問い掛けなのかで、
答えが大きく変わります。

例えば、
生きている状態での話ですと、
求めるものでもあり、
得るものでもありますね。

特に問題なく亡くなれば得られるし、
生きてる内は求めますからね。





では、亡くなった後はどうでしょうか?

ただ亡くなっただけで、
向こうの世界へ行っていない状態の場合は
まだ、安らぎを求めている感じです。
得てはいませんね。

どうしてかと言うと、
まだ霊界という場所へ行っていないからです。
三途の川を渡っていませんからね。

この場合は、現世に限りなく近い
「狭間の世界」という所にいます。

簡単に言うと、
単に肉体が無いだけで生きている時と
感覚はほぼ同じです。
なので、まだ本当の意味での安らぎは
得られていない。という話です。

では、三途の川を渡った後は
どうでしょうか?





これは、行き先によって変わりますね。
ブログ上ですから細かい話は抜きにして

とりあえず、
浄土なのか?地獄なのか?
で、考えてみましょう。

地獄の場合ですと、
安らぎを未だ求めていますね。
得られてもいません。
安らげない場所ですからね、地獄って。

生きている時よりも渇望します。
本当に嫌な場所ですよ、地獄は。

ですが、そこへ行く人って、
考え方を変えると
行きたくて行ってるのと
同じ様なものですからね、

ある意味では安らぎを得ているとも
言えるかも知れませんね。





浄土の場合ですと、
安らぎを得ても無ければ求めてもいません。

完全に安らぎを「忘れています」。

三途の川を渡って浄土へ着くと、
瞬時に自分の一生とか産まれてくる前とか
何をしなきゃいけなかったとか
あれやこれやと色々思い出すんですね。

生きている時には忘れていた事の全てを
一瞬で思い出します。

と、同時に生きている時の辛さを
忘れはしませんが、
一瞬で完全に過去の話となり、

「浄土の感覚のそれが普通」
という状態となってしまうんです。

来たばかりなのに既に安らいでいる感覚です。
なので、「安らぎを忘れている」
というのが、もっとも適した表現となります。





面白いものですよね。
今の感覚は、本当に今だけの感覚
という事なのですよ。

ですから、
辛い事があっても頑張らないといけないし、
かと言って、無理をするのも少し違う。

細かく考えてしまうと動けなくなるので、
それであるならば、

「明るく愉しく元気よく!」
今、この瞬間瞬間を過ごすことが
大切になってくる訳です。

ちなみにですが、
明るく愉しく元気よくというのは、
馬鹿になれって言ってるのではなくて、

常に感情を大切にしましょう。
という意味なんですね。

喜怒哀楽を大切にして、
その時その場に全力を注ぐ。
そして、
決してだらしなくせずに、
分を弁えて過ごす。

浮かれ過ぎず、怒り過ぎず、
哀しみ過ぎず、楽をし過ぎず、

今風に表すならば、
感情のTPOをちゃんと考えて過ごす
という感覚です。

貴方にとっての安らぎが
どこの何になるのか?
願わくば、忘れられます様に...


2023年11月21日火曜日

一緒くたに考える怖さ(知識UPシリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回はちょっとしたお話です。
スピ的な仕事をしていると
どうしてもぶち当たる事なのですが、
似ていても違うもの
というのが多々ありまして、
そこら辺のお話をしたいと思います。





何でもそうなのですが、
同じ文字を使っていたり
表現的に同じ様なものがあります。

例えば、

「幽霊と霊」や「愛情と愛」

などです。

別に一緒で良いのでは?
と、思いがちですが、
厳密には似て非なるものです。

長くなるので、
これらの違いについての説明は
今回は割愛しますが、

実は完全に別物であるにも関わらず、
同様に扱ってしまい、
いつの間にかそれが普通みたいに
なってしまっているから、
妙な悩み方をする様になる。

というのが、
現代の問題の一つかなと
あにきは考えています。





もっとも、
ちゃんと説明が出来なくても
今までは大丈夫だったのも確かですが、

スピリチュアルの重要性が
以前よりも囁かれてきた昨今ですから、
スピ関係の方々が
そろそろちゃんと説明をした方が
良いのではないのかと思っています。

あにきはと言うと、
その懸念を以前より抱いていたので、
セッションやレクチャーで
お客さんには説明をしてきました。

どういう懸念かと言いますと、
一緒くたにするが故に
しているが故に、
話の内容が曖昧になってしまい
信憑性が欠落してしまって
眉唾の柵から抜け出せないという点と

ただ視える聴こえるというだけの人が
本物扱いを受けているという点です。





確かに、世間一般的に捉えたら
どこまでも眉唾なのですが、
物事には理屈が存在しますし、

視えている人や聴こえている人も
別に偽者という訳ではありません。

ですが、ここから先の将来ですと
必要とされる存在は、
「中身をちゃんと熟知している人」
ではないかと思うからです。

向こうの世界とは何なのか?
霊とはそもそも何なのか?
人の産まれてくる理由とは何なのか?
どうして生きないといけないのか?
何故苦しまないといけないのか?

これらの派生で悩んでいる人が多かったり
悩んでいなくても、
科学的にも人の内面に
通じる様になってきた時代ですから、

非科学とはいえ、
その内面を扱う業界がスピリチュアルなので
いい加減ハッキリとさせた方が
良いと思ったからです。





統一見解が必要という事は無く、
文言や言い回しが違うにしても、
そこら辺をしっかりと理解している人が
話をすべき時代となったのではないのかなと
切に感じているんですね。

あくまでもあにきの見解ですが、
スピリチュアルも科学も
行き着く先は同じだと思って
普段から仕事をしています。

なので、
あにき自身も科学には頼りますし、
非科学一辺倒にはなっていません。
間違いなく後々に響きますからね。

その渦中にあるのが、
「一緒くたに考える怖さ」
というものなのですね。

先人達、ご先祖さん達が
せっかく分けて教えてくれたものを
今を生きている我々が
ごちゃ混ぜにして混乱していたり
苦悩していたりする様は
道としても大きく逸れていますし、
罰当たりとも捉えられるからです。


2022年10月27日木曜日

どんな風に視えてるの?(お化けの姿編)

皆さんこんばんは、あにきです^^


さて、今回は
「どんな風に視えてるの?」シリーズ第三弾
お化けの姿編です。





【 生前のまま 】

ちゃんと成仏されて向こうへ
行かれている方の場合です。条件にもよるのですが、
例えば病気で亡くなられた方が、
健康な時の姿になってる事もあります。

白っぽい色を纏っている事があります。
服装もお気に入りの服を着ていたりします。
思考はハッキリしているので、生前と変わらないし、
知識も記憶も戻っているので、明確に話が出来ます。





【 生前のまま(逝去時) 】

お迎え待ちや逃してしまったりして、
まだ狭間の世界にいる方は逝去時の姿で視えます。
寿命・老衰・病気・怪我・事故など様々です。

死を受け入れているか?いないか?で、
口にしている内容や反応にだいぶ差があり、
受け入れている方は比較的冷静です。

そうでない方は、感情が大きく出てしまっているので、
痛がっていたり、悔しがっていたり、怖がっていたり、
恨んでいたり、誘っていたり、同情を欲していたり、
殺意を抱いていたりと話をするのがちょっと大変です。

また、皆さん時間の流れと生前時とのギャップや
生きている人への思いや齟齬などから、
忙しくしていたり、忙しそうにしている人が多いです。

特に忙しくしている人は、お迎え待ちの方に多く見られます。





【 四肢欠損等 】

事件、事故、災害、などで亡くなられた方に
多く見られる姿で、身体が欠損していて
痛みを強く訴えてきたりします。

欠損した身体を無理やり付けようとして
付けた風になっている方や、
そもそも失くした身体を探している方。

そこまで意識が至らずに、そのままの姿の方など、
本当に心が苦しくなる姿の方も多いです。

また、死因によって身体の色が変わっていたりもします。
水死であれば黒みがかっていたり、
焼死であれば赤く皮膚が焼けていたり、
その程度によっても差があります。





【 身体が腐っている 】

全身または一部が腐っている方のことで、
主に亡くなってからかなり時間が経過していたり、
意識が負の方向へ進んでしまった方や、
ご遺体が荼毘に付されていなかったりする方など。

念の重みの強さがかなり起因しています。
話が難しいので、とても危険です。






【 一部分だけ 】

場所などがかなり限定的にはなりますが、
曰く因縁のあった場所などですと、
首だけだったり、逆に首が無かったり、
といった方も見受けられます。
危険です。

また、一部分が無いというのとは違いますが、
首吊などをしたお化けなどは、首が異常に伸びていたり
ぐにゃりと曲がっていたり折れていたり、
言いようのない状態となってる事も多いです。






【 目が黒いor目が無い 】

悪意の強いお化けに多い姿で、目が真っ黒だったり
そもそも目が無かったりする事があります。

恐らくですが、この姿のお化けを視るのは、
普段お化けをあまり目にされない人の方が多いかも?


とまぁ、こんな感じですかね(゜.゜)
どこまで書けば良いのか分からんし、
細分化を始めると止めどなくなってしまうので、
あえて大雑把に纏めてみました( ・ั﹏・ั)





何にせよね、
視えない方は視たいと思われるでしょうけど、
現実はそんなに甘いもんじゃないですよ。

皆さんが思っているほどクリーンではないし、
皆さんが感じている以上にエグいものです。

また、こうやって書いていくと、
そこら中に悪霊やら悪い霊なんかが闊歩していると
思われてしまいそうなので、ハッキリと言いますけど、

圧倒的に善いお化けの方が数は多いですからね^^





但し!!
善でも悪でも、死者は向こうの住人だし、
生霊も向こうの住人(扱い)なのであって、
隙きを見せれば付いてくるし、憑依もするし、
こっちのルールなんざ通用しませんから、
生者と同じ様に考えてたら必ず痛い目をみます。

なので、気を付けるに越したことはありません。
中途半端な事はしない方が賢明ですからね。



2022年9月25日日曜日

逢いたい人に逢える場所

皆さんこんばんは^^
あにきです😉

明日で秋のお彼岸が明けますね。
ご先祖様や大切な方へのご供養は済みましたか?

皆さんは、もし亡くなってしまった大切な人に
もう一度逢えるとしたら、どう思いますか?

もし、実際に逢いたい人に逢える場所があるとしたら、
行ってみたいですか?

今回はそんな”とある場所”についてのお話です。


人によっても、その状況によっても見え方が違います。
駅のような場所に見えたり...




実家や自宅の様な見知った家の様に思えるけど、
なんか微妙に違う感じに見えたり...




人によっては校舎の様に見えたり...




逢う人や内容によっては廃墟の様な場所だったり...
そこは、人によって見え方が違います。


そこは、こっちと向こうを繋ぐ所に存在する建物で、
亡くなった方とお話をしたり、面会できたりする場所です。

お察しの通り、そこは夢の中で行けるところです。

夢は人の脳みそが作り出すものです。
けれども、
明らかに向こうの世界と繋がっている時にも
夢として認識します。

なぜなら、自分の肉体は眠っているのだから。

こんな夢を見たことは無いですか?

あまりにも描写がリアルなのだけど、
現実とは微妙に違うし、時代も違う。
それなのに、現実感が漂っていて記憶も鮮明。

何よりも亡くなってしまった筈の人がリアルに出てきて、
触れられるし、話もできる。
場合によっては亡くなっているのをちゃんと分かってもいる。
むしろ、そうだと話しかけてもくれる。何もなかったかのように...

そして、いつも同じ建物、何度も見たことがある建物、
またここか、あぁここか、、、
と、夢の中の自分も普通に認識している建物。

そういう場所が存在します。
(名称もあるけど、ここでは言いません)

確実とは言えないし約束できたものではないけれど、
”そこ”へ行きやすくなる方法もあります。

但し、絶対的に外せない条件も一つあって、
ある意味でそれはハードルが高いものでもあります。

それは、愛情の深さです。  お互いのね。

だから、見たことが無い人が一定数いるのも確かです。
残念ですけど...


と!!!!!
今回はここまで

2022年9月20日火曜日

これでも怖い?おちゃめなお化けの話

皆さんこんにちは、あにきです^^

昨日、ブログを書くと言い切ったくせに
頭がまるで働かず(-_-;)
何も書けませんでしたごめんなさい(´・ω・`)

さて、お化けは怖いと思っている人が殆どだと思いますが、
果たして本当に怖いんでしょうか?

確かに輩みたいなヤバイやつも居ますけど、
現実を知ってしまえば大半がそうじゃないって事も分かります。
(まぁ、怖さの原因は対処法が分からないのと、
単純に知識不足、おまけに見えないからってだけなんですけども)

そこで今回は、お彼岸って事もあるんで、
あにきが実際に浄霊したお化けの
人間味溢れるエピソードをご紹介しますよ。


10年ほど前、
秋のお彼岸なので息子と一緒にお墓参りに行った時。

掃除とお参りを済ませて帰ろうと車に向かって歩いていたら、
一つのお墓が目に止まりました。

そのお墓は以前から気になっていたんですが、
どうやらお子さんが亡くなられたみたいで、
お墓周りにいつも玩具などがたくさんお供えされていたんです。

切ないなぁと思いながら通り過ぎようとしたら、
風車が2本飾ってあったんですが、
無風なのに右の風車だけグルグルとまわってて…

「はぇ?!」と、思いながらも、まぁよくある事だから
そのまま車に向かいました。

息子を車に乗せて自分も乗ろうとした時、
さっきのお墓がやけに気になるので、
もう一度目を向けてみたところ、
女の子が一人居るのが見えました。

「あ、だからグルグルしていたのか(*´ω`*)」
と、思いましたが、そうじゃないと直ぐに理解出来ました。

明らかに時代錯誤な服装、子供一人で霊園にいる不自然さ。
僕にはハッキリと見えているけど、
違ってても嫌なので息子に一言、
「なぁ、あそこにいる女の子見える?」
「ううん、見えないよ。え!?何?お化け?!wktk」

息子よ、そこで待っていろ^^; と告げ、
とりあえず女の子の元へ向かい、職質開始。

「こんにちは!何をやっているの?」
『遊んでるんだよ、コレぐるぐる回るw』と、グルグル。

「お名前は?」
『ゆいだよ』
名字も尋ねたら教えてくれましたけど、
ここではとりあえずユイちゃんで。
年は6歳で、肩までの髪で水色のワンピースを着ていました。

この子、結構しっかりしている子で、
自分が亡くなっているのもしっかりと理解しており、
病気で亡くなった事も教えてくれました。

話が通じるお化けさん達には、
必ずと言っていい程する質問があるんですが、
「どうしてお迎えに付いて行かなかったの?」と。

そしたら、自分が病気でずっと動けなかったし、
見ている景色がいつも同じだったから、
つまらなかったんだけど、
今は色々動けて見て回れて楽しかったよ(*´∀`*) と...

さようか^^;...
実はこの時にもう一つ疑問があって、
このお墓、ゆいちゃんのお墓じゃないんですね。

だって、お供え物がどう見ても男の子仕様
(ウルトラマンだらけ)だし、
そもそも墓石の名前が違うし。
だから、何でここに居るのかが気になるじゃないですか?
YOUは何しに霊園へ? ですね。

答えは単純で、歩いていたら賑やかそうだったから来てみたと。
まぁ、よくある事なんでなるほどね、と思いました。

身なりからしてもう20年は一人で居る様に思えたし、
そろそろ向こうに行った方が良いのも事実なので、
行くかい?と本人に尋ねたところ、
「そうする」と、同意を得たので、
その場で向こうの世界へ送ってあげる事にしました。

僕の場合は浄霊でも、何か特別に難しい事をする訳じゃないし、
端から見てもただ僕が突っ立っている様にしか見えないので、
どこでも出来ますからね。

簡単な注意事項と向こうでも言うことを聞くんだよ~^^
と、お別れがてらのお話を済ませて、目を閉じてサヨウナラ。

笑顔でバイバイ(@^^)/~~~しながら、上がるのが分かったんで、
よし(๑•̀ㅂ•́)و✧と思って、目を開けたら...



(ーー;)!?
(腕にしがみついていました。ユイちゃん。笑顔で。)

「何やっているの?(-_-;)?」
『びっくりした?(・∀・)ニコニコ♪』

結局そのままユイちゃんを連れて帰宅し、
好きに遊んであげてから、半日以上過ぎたあとで
再び向こうに送ってあげました٩(′д‵)۶

とまぁ、こういうほっこりエピソードがありました。
子供ながらというか、なんというか、
なかなかにインパクトのある体験だったし、
これ以降僕もちゃんと最後まで気を抜かない様になりました(笑)



2022年9月18日日曜日

三途の川のことを楽しく語ってみたwww

皆さんこんにちは、あにきですよ^^

明日は今月の飛込み相談日で、
明後日は秋のお彼岸入り(-人-)
何となく丁度いい気がするから、
今回は三途の川について、
チャラっと語ってみたいと思います^^




恐らくだけども、死んだ後に三途の川を渡るのは
みんな知っていますよね?
Q:実際にあるのか無いのか?

A:ある

んじゃ次に、どのタイミングで三途の川を渡って
GO TOあの世するのかというと、
簡単に言えば霊体が肉体から乖離して、
お迎えが来たあとね(-_-)
(だから、一人で勝手に行くと「まだ早え!」って
引き戻されるわけさね(´・ω・`))

あと、よくあるご質問で、
臨死体験なんかの話を聞いたり見たりすると、
川のサイズや見た目が様々すぎて
本当のところどんな感じなん?

ってのが、あるんだけどもね。
これは、その人その人によって変わってきますから、
本当に千差万別なんだよね。

例えば上の写真は恐山にある宇曽利湖なんだけどさ、
こういう感じで湖みたいに見えたり、
めっちゃ川幅が広く見えたりする場合もあれば、


こんな感じでめちゃ狭かったりもするのね。
ちなみに、こちらも恐山ね。

これ、川幅が広いのと狭いのと、
どっちが良いとか悪いとか、そういうのは無いの。

問題はね、川幅よりも深さなのね(._.)

どんなに広くても、水深が浅ければまだ帰って来れるし、
深くて舟を使ったりする様な場合は、
まず帰って来れないと思ってもらって良いですよ(^^)

あと、上の写真の様に橋が掛かっている場合なんかは
帰ってくる事も出来るんだけど、
これの場合は死ぬか生きるか選んで良いよ~!

って、場合が多いかな(゜.゜)
年齢を問わずね。
あと、橋の見た目も色々なんで、
上の様に古風な橋の場合もあれば、
瀬戸大橋みたいなのもあるし、
吊橋みたいなのもあって様々ですよ。

まぁ、臨死体験談なんかだと、
大概の場合は川の途中とか橋の上とか、
川の手前なんかで声が聞こえたり話しかけられたりして
戻っていくよね。

それと余談だけども、
お花畑みたいなところで声を掛けられて...
なんて話も聞いたことある人がいると思うんだけど、
あれは三途の川の手前の話ですね。

んでさ、じゃあ川を渡るとどうなんの?
って話なんだけど、ここから先はいよいよ向こうの世界です。

それともう一つ、所謂お化けも川を渡ったの?
という点なんですけどね。

これは渡っていないから厄介なんですよ(-_-;)
死んでいるけど、あの世に行っていない。
でも、肉体は無いから彷徨っている。

ん?彷徨っている?(゜.゜)この世を?

いいえ、あの世とこの世の境目の狭間の世界です。

という感じで今回はここまで
それではまたね(*´ω`*)チャオー♪