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2026年8月12日水曜日

神律の衣(実戦シリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は動き方について
お話をしたいと思います。




想いというのを相手に届ける際、
もれなく念も付いてきます。

以前より想いと念は
表裏一体だとお話をしています。
想念は常に同じ位置、
同じ場所に存在をするものなのです。

例えば、
大切に考えるという「想い」も
度が過ぎれば「独占欲」という念です。

お手伝いをしてあげるという想いは
やり過ぎてしまえば
「支配欲」という念です。

こういった感じで、
同じ個所に存在するのが想念なのです。

想いを純粋無垢に届けるというのは、
実のところ非常に至難の業となります。

そこには人の意思の介在や
感情の流入が発生する事になるからです。

念を全く混入させずに想いを届ける
想いを受け取るというのは、
この現世に於いては不可能な業です。

それを両極端で成す事が出来るのが、
浄土と地獄という霊界です。




現世というのは、
霊界で学びきれない事を学ぶ場でもあり
得た経験を霊界へフィードバックさせる
そういった場でもあります。

なので、とある存在の意図が
強く反映されているために、
こういった想念の吸着が起こる訳です。

引き起こされていると言っても
過言ではありません。

とある存在と云うのは何者ぞ。
と、いう事になるのですが、
人ではないのは確かです。

もっと超越的な存在で創造した存在。

彼、彼等は霊界に於いても
浄土や地獄、獄界や天界など
人の及び至る事の出来る様な
空間、領域には在していません。

その遥か遠方で間近でもある場に在しています。

人の身で彼、彼等の空間に及ぶ事も無いです。
というか、そもそも行く事が出来ません。
認知する事自体が難しいです。

ただ、存在を肌で感じる事は誰でも可能です。
それを彼、彼等だと理解する事が
出来る存在は限られています。

霊格の高さが関係してきますからね。
死んだだけでは分からないというやつです。

偶にはこういう話も良いですよね。

単純な思考では
決して理解し得ない
肉体的思考ではなく
幽体的観点や
霊体的視野でないと
向こうの世界は
視ても分からんもんやで

2025年6月6日金曜日

闇の領域(実戦シリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は考え方について
お話をしたいと思います。




向こうの世界、
とりわけ霊界に於いて

善い所は「浄土」
怖い所は「地獄」

と、位置付けられています。
ここで言う闇の領域は「地獄」です。

(地獄の先にも又はその手前にも
闇の領域が存在しているのを、
僕と直接話をした事のある方々は
御周知の通りだと存じていますが
ここでの解説は割愛しますね)

では、この闇の領域という面ですが、
我々のいる「現世」には
存在するのか否か。

結論から言いますと、
領域としては存在しません。

但し、向こうの世界に於ける
闇の領域へ堕ちてしまう側面は
存在しています。

それが、「念」です。

念というのは今更ですが
「想い」の対となるものです。

「恨み」とも形容できますね。




念というのは基本的に
自分本位などの俗欲を中心とした
思考を基として形成されるものです。

この、「念」の発生数や発生率、
抱える量や誰かに飛ばす総量が
多ければ多いほど、

「貧乏神」という形態へと変貌します。

この貧乏神と呼ばれる形態となって
死を迎えてしまうと

概ね100%の確率で
地獄かその先へ行く事が確定します。

闇の領域へと堕ちるという事です。

ですので、現世に領域としての
闇のエリアは存在していないですが、

いずれ闇の領域へ向かう事の出来る
単体としては、存在しているのです。

そして、これは一切の例外無く
現世の存在の誰しもが持ち得ているものです。

人だけではなく全ての存在です。

向こうの世界の闇の領域は
皆さんの想像以上に過酷な場所ですし、
間違ってもおススメは出来ません。

地獄堕ちを避ける為にも
日頃から俗欲を制御して
念の力場の生成を極力抑える等の努力をして
前向きに生きてほしいなと切に思います。

自分は大丈夫など
間違っても
思える事では
ないんやで

2025年1月6日月曜日

干渉力の操作(実践シリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は考え方について
お話をしたいと思います。




前回のお話しの中で、
干渉力というのがありました。

「相手さんの幽体へ干渉する力」

と、いうものですが、
これそのものは人のみならず
万物総てが持ち得ている力です。

しかし、その干渉による影響力の
本領を発揮するのは死後となります。

肉体を失って、
幽体と霊体のみとなった後であれば

ほぼどなたでも意図的に
この干渉力を操作する事が
可能となります。

よく、憑依をこの幽体への干渉と
考える人が居ますが、それは間違いです。

憑依というのは、
「霊体への直接干渉」
となるので、全くの別物となります。




幽体への干渉力は
「操作」が出来て初めて本領となります。

その操作に於いて須らく邪魔となるのが
「肉体」なのですね。

もっと言えば、「俗欲」です。

先程、死後に本領発揮出来ると
お話をしましたが、
生前と死後と何が違うのか。

それは、「肉体の有無」です。
肉体が無くなると
行動理念の中心たるものが俗欲、
つまり「価値的思考」から

「想い」「念」という
「個的思考」へと変化します。

狭間に居る段階ではまだ俗欲が
ベースとなっていますが、
それでも生前の物とは変貌します。

霊界へ進んだら完全に
「想い」「念」が中心となります。




要は、想いや念を理解して
俗欲の制御を行えれば
幽体への干渉を意図的に操作する事が
生前でも可能という意味です。

但し、ここでの注意点は、
操作が可能という点なだけであって、

「善に限った事ではない」

という面です。
思い出して下さい、
万物は表裏一体の関係です。
表があれば裏もあります。

想いや「念」と述べているのですから
善い面だけという捉え方は危険です。

また、負の面での操作というのは
正の面での操作と比べると
とても簡単です。

実際に皆さん、
意地悪や卑屈な思考は
自然とやってしまうでしょ。

その反面、善い事と言うのは
イチイチ意識しないとやれないし
やらないし、
そこにも自分本位という罠が
待ち構えていますからね。

つまり、
正の面での操作が出来るという事は
当然に負の面での操作も出来る。
という事になります。

片方だけを
望むと
もう片方に堕ちて
痛い目を見るやで