2026年4月2日木曜日

先んじない(実戦シリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は考え方について
お話をしたいと思います。




スピリチュアルという割には
僕の話の中には
霊という存在があまり出てきません。

ここの内容でもそうですし、
実際にお会いしてお話をしている時も
ほぼ出て来ないです。

二言目には霊が霊がと
口にする人や世間一般の感覚での
スピリチュアルからすると

驚く程にその存在について
触れる事は少ないです。

その理由はとてもシンプルでして、
「幻想に逃げてほしくない」からです。

確かに、霊という存在を中心に据えて
何かにつけて話をしていれば
聞く側にとっての浪漫はあると思います。

けれども、それですと話の中身に
重量を発生させる事は叶いません。

どこまでも似非神秘であり
どこまでもホラー要素でしかなく、
おまけに現実逃避というオプションまで
くっ付いてくる始末です。

それでは何も意味がありませんし、
エンターテインメントに過ぎません。

そうではなくて、
実際にはもっともっと身近な存在であり
論理的に思考し相対する事が出来るのが

「霊」なのですね。

つまり、現実を現実として
確実な認識出来るようでないと
霊と云う存在の本質は理解出来ないのです。




感覚についてのお話でもしていますが、
第六感というのは
身体的五感の先に存在するものです。

五感を先んじての第六感は在しない。

五感という現実を真摯に受け入れるからこそ
六感というものの本質が視えてくる。

これが本来のスピリチュアルに於ける
基本的概念ですから、
霊という存在への認識についても
それは変わらないのですね。

仮に、霊を前面に押し出して
話を吐出し続けた場合、

五感つまり現実を軽視する様になるのは
自明なのですね。

現実を軽視するから、
元来から恐れるべき存在だけではなく
讃えたり、敬ったり、愛でるべき存在である
「霊」に対して畏怖の念を覚えるのです。

現実というのは知識であり情報です。
五感というのも知識であり情報です。

霊を語りたいのであれば
霊体だけでなくその世界構造までを
熟知していなければ、

結局のところスポット的視点
要は一元的視点に留まるのみですので、
本質からは逆に遠ざかる結果となるのですね。

その先に待ち受けているのは、
生半可な薄い知識を手に入れ己惚れて
自に堕ちていく稚拙で残念な結末のみです。

それを態々誘発させる様な真似は出来ませんし、
どうせ話すのであれば皆さんが堕ちずに
前へと進められる様な
確固たる内容の方が善きですからね。

知っているからこそ、
順を追って知り得る人にのみ話す。
向こうの世界の理に対して真摯に向き合うと
自然とこういった流れとなる訳です。

決してひけらかさずに
どこまでも
相手のためを想う
現実を切に想えば
幻想は現実のものと
信に徹せられる様に
なるんやで