2024年9月21日土曜日

したらする(実践シリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は動き方について
お話をしたいと思います。





相手に対して何かをした時、
心配をかけたとか、相談をしたとか
その手の事というのは
誰でもやる行為だと思うのですが、

その後の報告と言いますか
結果をちゃんと教えたりしていますか

貴方が選んで話した相手というのは
誰でもいいからではなくて
ちゃんと意図を以って選んだ筈ですし

そこには想いが有る筈ですね。

で、
相手がそれに対して
答えてくれたり考えてくれたり
真摯に対処してくれたとしましょう。

自分がその立場となれば
分かると思いますが、
どうなったのか気になる筈です。

もし、
相手がどうでもいいと思っていたら
何も気にしないと思いますが、
その時は単に貴方の人選ミスですから
自分の目利きの悪さを呪って下さい。

話を戻しますが、

「この結果を教える」
「経過を教える」

というのは、
想いの遣り取りを完成させる上で
とても重要なものなのですね。

話を通じて想いを紡ぐ
これが想いの遣り取り
つまり、思い遣り

けれども、
しただけで終わってしまったら
相手への一方通行となりますから、
これは自分本位という事になります。

そうなると、
多かれ少なかれ恨みを買います。

これでは元も子もないですね。





こうやって書くと、
どういう訳かご報告が一気に増えそうなので
先に言っておきますが、

「皆さんの普段の生活の中で
当て嵌める事ですからね!!!」

自分の生活の中で
蔑ろにしている事はないかどうかを
ちゃんと視てみましょう
振り返ってみましょう。

ちょっとした事で貧乏神化は始まります。
というか、
誰でもいつでも貧乏神にはなれます。
という事は、

誰でも自分本位思考になれる
というよりは、
「そのセンスを既に持っている」
という事です。
(地獄行きの切符の話を思い出して下さい)

ですからね、
誰にでも彼にでもではないですが、
普段の中で一体どうなのかを
改めて考えてみて下さい。

これが
「普段の業の善し悪し」であり、
貧乏神化防止策の一つなんですね。

逆に言うと、
貧乏神はこれが出来ねぇって事ね。
それどころか、
こうして言われても
全然分からねぇって事よ。