今回は動き方について
お話をしたいと思います。
想いや念の分量というのは
普段は目に視えないものですが、
ある状況に至った時に
その蓄積されているその量が
しっかりと視覚化されます。
想いの蓄積は
「小さい幸せ」の表現型として、
溜まった念は
「裏返し」や「過剰蓄積」として、
隠せない形で表に出てきます。
つまり、
普段の地味な努力は報われますし、
調子に乗っていた面は
打撃として自身に降り掛かる
と、いう事です。
今回はとりあえず、
念の分量の視覚化について
サラッと話しますね。
日常の中で、
どんなに綺麗事を並べて
自身の正当化や形ばかりの想いを
口にしていても、
それは自分以外の存在へ向けている
「想い」ではなく
自分の為に形を成している「念」です。
詰まるところ、「自分本位」となります。
この自分本位は、
何でもない普段であれば
人から隠す事が可能です。
目利きの出来る人でないと
それを見抜くのはなかなか難しい。
けれども、自身の幽体に於ける
ある一定のラインを越えたり
若しくは
転換点を迎えたりした際に、
その秘匿させていた「念の分量」が
表立って出てきてしまうのですね。
そうなると隠す事は100%出来ません。
この出現が「裏返し」であり、
それまでの流れを「過剰蓄積」と言います。
「裏返し」は念の分量のみならず
それまでの想いの分量との差によって
そのサイズと内容が変わります。
差が小さければ肉体への
軽い打撃で済みますが、
差が大きくなるにつれて
隠していた部分の露呈が
容赦なく拡がります。
言葉を選ばずに云うのであれば、
「本性が剥き出しになる」
といった感じです。
考えてもみて下さい。
それまで意気揚々と話していた
自己保身の為の綺麗事が
「綺麗事」だったと
視覚化されてしまう怖さ。
それまで自身を形付けてきた
ハリボテの「想い」が崩れ去り、
同時に人も何もかも去っていく。
想像以上にエグイですよ。
想念なんやで


