今回は動き方について
お話をしたいと思います。
聴こえの良すぎな言葉に
違和感を禁じ得ない。
そんな方がここには多いと思います。
例えば、「学び」です。
スピ好きな方々が
結構使っている言葉です。
「学びを得ました」
みたいな感じで、
口に出して言いますよね。
ですが、大概の場合、
そう言う方ほど学んでいないです。
本当の意味で学んだのであれば、
言葉よりも先に実行という形で
動きに出るものです。
聞いた事などは
使いたくなりますからね。
けれども、行動よりも先に
言葉が先行する場合に多いのは、
「こういう風に
頑張っている私ってすごい」
という様な、自己満足が多いです。
安っぽい自己肯定であり、
自画自賛とも言える状態です。
総てが全てとは言いませんが、
本当に学べている方々は
こういった「言葉」には逃げずに
まずは態度で示そうと努力をします。
その後に、
何かしらの結果を得てから
同様の言葉を
そっと述べたりするものです。
何の結果も出ていないのに
何を学べたのか。
それはただ単純に
「聞いた」だけであって、
学びではないです。
そして、
その先行して出る言葉には
「自己顕示欲」
「承認欲求」
などの「欲」が載っています。
これが貴方の感じている
「違和感の正体」です。
ずっと以前にお話をした
「感謝」の乱発と同義です。
言葉は使う場面やタイミング、
行動が伴って初めて業となります。
「本来のスピリチュアル」に、
触れ得るとこうした違和感を
多々覚える様になります。
相手さんの「欲」を
察知し易くなるのですね。
違和感という感覚を得たのなら、
何がそうさせているのか迄を
決して放置せずに自分で考える。
あくまでも現実的に思考するのが
本来のスピリチュアルですからね。
逃げたところで
現実が善くなる事は
ないんやで



