今回は考え方について
お話をしたいと思います。
人が人に対して好き嫌いがある様に
自然霊も人に対しての好み
というのがあります。
自然霊が好むタイプは
その種類と個体によって
大きく変わってくるので
一口に言えたモノではないのですが、
嫌うタイプというのは、
逆にかなり統一されています。
その中で最も分かり易いのが、
「自分本位な人」です。
自分本位な人、つまり俗欲の強い人
俗欲に溺れがちな人、
周りに流され易い人となるのですが、
このタイプが嫌われる理由としては、
何かを願う事のみに必死となって
自然霊への思い遣りに欠けるからです。
また、自然霊というのは
確かに願いを聞き入れる事もありますが、
どちらかと言えば我々と同じスタンスに
近い存在です。
神さん扱いをされてはいるけれども、
その実はかなり我々に近い思考回路を
持っています。
人間と違うのは、
まず一度も人を経験した事がないので
人の社会性を知りません。
野蛮という意味ではなく
本能的な動き方や考え方が多いです。
感情を基にした動き方と言えば
分かり易いかも知れません。
その上で、個体毎に性格もありますし、
やるべき事も理解している。
幽界と呼ばれる領域の存在なので、
人が浄土に居る時と同様に
「想い」を軸にして活動をしています。
その想いを芯に据えた存在が一番嫌うのが
念を芯に据えた思考です。
この思考を嫌う理由の大なる点の一つが
「恨みを向ける」です。
自分本位な人は、願うだけ願って
何かあればあっさり自然霊を忘れたり
都合よく恨みを当ててきます。
その恨みを投げつけられた時の
寂しさや哀しさが自然霊は嫌なのです。
只でさえ現世の存在からすると
視えるようで視えない存在なのに
一方的に恨みをぶつけられる。
その理由や会話すらままならない。
そこから自分が仕返しをするのも
みすぼらしいので嫌う。
そういう存在なのですね。
贄と引き換えに色々とやる稲荷みたいな
存在も居ますが、その稲荷ですら
自分本位な人の事は、やはり嫌っています。
人は万物の中の一存在に過ぎません。
その万物には視えない存在も含まれます。
周りに目を向けたり、思い遣りを向けるのは、
何も人限定ではないというのを
理解する必要がこういった点でも
分かる様にならないといけません。
そういう考えが
思い遣りなんやで



