2025年1月6日月曜日

干渉力の操作(実践シリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は考え方について
お話をしたいと思います。




前回のお話しの中で、
干渉力というのがありました。

「相手さんの幽体へ干渉する力」

と、いうものですが、
これそのものは人のみならず
万物総てが持ち得ている力です。

しかし、その干渉による影響力の
本領を発揮するのは死後となります。

肉体を失って、
幽体と霊体のみとなった後であれば

ほぼどなたでも意図的に
この干渉力を操作する事が
可能となります。

よく、憑依をこの幽体への干渉と
考える人が居ますが、それは間違いです。

憑依というのは、
「霊体への直接干渉」
となるので、全くの別物となります。




幽体への干渉力は
「操作」が出来て初めて本領となります。

その操作に於いて須らく邪魔となるのが
「肉体」なのですね。

もっと言えば、「俗欲」です。

先程、死後に本領発揮出来ると
お話をしましたが、
生前と死後と何が違うのか。

それは、「肉体の有無」です。
肉体が無くなると
行動理念の中心たるものが俗欲、
つまり「価値的思考」から

「想い」「念」という
「個的思考」へと変化します。

狭間に居る段階ではまだ俗欲が
ベースとなっていますが、
それでも生前の物とは変貌します。

霊界へ進んだら完全に
「想い」「念」が中心となります。




要は、想いや念を理解して
俗欲の制御を行えれば
幽体への干渉を意図的に操作する事が
生前でも可能という意味です。

但し、ここでの注意点は、
操作が可能という点なだけであって、

「善に限った事ではない」

という面です。
思い出して下さい、
万物は表裏一体の関係です。
表があれば裏もあります。

想いや「念」と述べているのですから
善い面だけという捉え方は危険です。

また、負の面での操作というのは
正の面での操作と比べると
とても簡単です。

実際に皆さん、
意地悪や卑屈な思考は
自然とやってしまうでしょ。

その反面、善い事と言うのは
イチイチ意識しないとやれないし
やらないし、
そこにも自分本位という罠が
待ち構えていますからね。

つまり、
正の面での操作が出来るという事は
当然に負の面での操作も出来る。
という事になります。

片方だけを
望むと
もう片方に堕ちて
痛い目を見るやで