2024年12月15日日曜日

勇を用いる(実践シリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は動き方について
お話をしたいと思います。




念想の天秤の一つに

「勇を用いたか」

というのがあります。
これは同時に八罪の一つの

「勇を用いない」の

裏側となるのですが、
どういう意味かと言いますと、
字の如く

「勇気を出したか」

という意味です。
普段、勇気という言葉を実生活で
使わないので些か分かり難いですね。

なので、
もう少し端的にしてみます。
こういう場合は対義語を考えます。

勇気の反対は「小心」です。
臆病とか意気地が無いとかですね。

つまり、
「勇を用いたか」の反対は
「小心だったか」となるので

「怠惰じゃなかったか」

という意味となります。




だらしないとか、怠けてるとか
そういう意味が怠惰です。

詰まるところ、
やる事やらないで楽をして
自分や周りにだらしなくしてたか
どうかを問われるのです。

そう聞かれると、
殆どの方は「そんな事は無い」と
言うと思いますが、

果たしてそうでしょうか。

例えば、

何かの意見を言わなきゃいけないのに
周りに合わせてしまったりして
言わなかったとか、

いじめを止められなかったとか、

見て見ぬ振りをしてたとか、

何かをダシにして不都合を隠したとか、

日頃の生活の中で
思い当たる節は本当に全く無いですか。

念想の天秤では、
貴方がこれらを
どの程度出来ていたのかを
貴方の生涯を通して問われるのです。





念想の天秤で問われるのは
勿論これだけではありません。
他にも沢山あります。

怖いのは、他の問い
要は、他の八罪にこれらが
連動してくるという点です。

勇を用いなければ
「伝に務める」事も難しいですし、
その先の「信に徹する」事も難しい。

達成率が低ければ、
尚更その連動は確実なものと
なってきますから、

トータルでの八罪を犯した数が
爆増するという事です。

その先にあるのは
紛う事無き地獄堕ちの烙印です。

死んだ後の事だから
地獄堕ちでも怖くないと
思われるかも知れません。

ですが、地獄堕ちする様な人が
生きている時に平々凡々と過ごせると
思われているのであれば

それは能天気の薄ら馬鹿としか
言えませんね。

地獄堕ちする前、
生前には既に貧乏神や
それに親しい存在となりますし、

そうなる手前から想いよりも
恨みばかりを受ける様になって、

嫌な事が頻発する様になるから、
余計に良い事を欲する様になり、

それは俗欲の強さへと変換され、
より一層負の螺旋へと堕ちていく。

早い話が、
適宜、勇を用いずに
楽ばかりをしていると

「生きながらにして
地獄の様な思いをしつつ
死しても尚、それ以上の苦痛を
味わい続けていく」

と、いう事です。

ちなみにですが、
死後も生前同様に
意識はバッチリありますからね。

さぁ、自分の罪を数えろ。

だから日頃から
業を頑張る事が
大切になって
くるんやで