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2026年6月27日土曜日

決して楽にはなれぬ現実(実戦シリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は動き方について
お話をしたいと思います。




悪霊と云う存在がいます。
死してなお俗欲に執着を
続ける存在の総称になるのですが、

この悪霊とは、
どの様にして生まれるのでしょうか。

端的に云うと、
何かしらの執着を切り離せない場合に
死後悪霊と化します。

生への執着かも知れませんし、
やりたい事への執着かも知れません。

単に生前の思考を
肉体が無い状態で続けようとする執着
と、いう場合もあります。

強い恨みなどで悪霊化してしまう様な
ケースもあります。

この「恨み」という部分は、
言い難いのですが殺害されてしまった等の
悲しいケースも含まれます。

ただ、
1つ誤解の無い様にして頂きたいのは、

「悲惨な死を遂げたからと言って
必ず悪霊と化す訳ではない」

と、いう点です。

悪霊と化すのは俗欲への執着が基本です。
仮に悲しくも
非業の死を遂げてしまったとして

亡くなった方がどんな形でも
それを受入れているのであれば、
悪霊と化す事は無いのです。




寧ろ、俗欲への執着という点で云うならば、
手を下した人間の方が悪霊化し易いです。
何故ならば、俗欲に溺れた結果
手を下した訳ですからね。

また、恨みの連鎖や負の螺旋という
影響力が働きますから、
亡くなられたご遺族などの方が死後に
悪霊化してしまうという事も少なくないです。

これらはどんな形であれとても悲痛な事です。
出来る事なら悪霊化は防止したい。
僕がずっと胸に秘めている
原動力たる想いです。

その中に、
貧乏神化防止というものがあります。

生前に貧乏神と化してしまうと、
その存在は死後確実に悪霊と化します。

貧乏神という存在は、
現世に於ける社会の中での善悪は
まるで関係の無い存在です。

つまり、
普通の人でも貧乏神にはなるのです。

本来のスピリチュアルは、
ここを可能な限り防ぐためにあるものです。
ですが、それは当人に
委ねられるものですので

自ずと限界点が生じてしまいます。

人らしく生き、俗欲に溺れずに制御する。
失敗を恐れずに人間味を大切にして、
前へ向かって進む過程で
向こうの世界の理を護る努力をする。

早い話が、「想い」を軸とした
考え方や動き方をしようねってやつです。

悪霊と化した存在の末路は悲惨ですからね。

哀しみどころか
世代を超えて
連綿とした
恨みの連鎖を
生んでしまうのが
貧乏神や悪霊化です
ええこと無いんやで

2026年5月22日金曜日

自分を持つ(実戦シリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は動き方について
お話をしたいと思います。




何をするにしても上手く捗らない
行動の結果に至るまでの因果の中で
原因を他へ求めてしまう。

物や人の所為にするというやつですね。

この状態に陥ってる時は
高確率で自分というものを見失っています。

もう少し掘り下げてみると、
「人に合わせてしまっている」状態です。

何かの判断や決断をする際に
人の意見を聞いたり、
きっかけを貰う事は間々あります。

しかし、それはあくまでも
第三者からの助言や提唱であって

決断をするのは自分自身なのですね。

この意見を聞くという段階で
自分で思考する事を放棄してしまっていると

その他者の意見を
都合よく自身の意見として捉えるので
己の責任すらも他へ転嫁してしまいます。

当然ながら、
そこから派生する判断や決断も
他人任せという流れとなります。

この様な態様を至極当然だと認識する人は
何をやっても上手くいく事はありません。

そこに「自身の意思」や「自分を持つ」
と、いう思慮そのものが存在しないからです。




自己意思や自分を持たないで
先述した通り他者任せとなってしまうと、
そこに努力の価値を見出す事が適いません。

所謂、「ヤル気が出ない状態」となるのですね。

自らの意思で自らが決断し覚悟を決めるから
前へ動こうとする推進力を得る事が出来ます。

どんな事でも良いですが、想像してみて下さい。
人に「やれ」と言われて行う事よりも
自分で「やろう」と考えた方が
断然動き易くなりますよね。

例え、行動した結果が失敗だったとしても
自身で覚悟を決めて動いた事であれば

そこに一定の責任を背負いこみますから
決して後悔などはしない筈です。

また、それに伴う反省をする事も可能です。

これらの動きを本来のスピリチュアルでは
「正の螺旋」と呼称しています。




善い動きの因果律の中で、
どうしても繰返しと捉えがちですが
そこには時間と空間の概念が必ず加味されます。

つまり、物事や事象に関しては
時間が進む力が物理的に添加されるという意味です。

なので、繰返しですとその形状は「円」ですが、
円に対して推進力を加えると
それはスパイラル=螺旋という形状となるのです。

同じ様な事をしていたとしても、
全く同じには成り得ない事象の進み方の概念です。

少し話が逸れましたが、
この正の螺旋に乗る為に必要なのが
「自分(自己意思)」です。

この自分を持つために必須な動きが、
「やたらと人に合わせない」という姿勢です。

人に合わせれば合わせる程に、
自己意思の減衰は速度を増します。

社会通念上、合わせる必要がある善い部分と
楽を目的とした合わせようとする俗欲の部分。

これらをしっかりと見定めて
腹を括って決断し率先して動く
と、いう業が出来ないと

念頭でお話をした様な上手く捗らない状態へと
滑落していくのです。

この上手くいかない流れの事を
「負の螺旋」と呼称しています。

そして、負の螺旋の流れは
「堕落」そのものですから、行き着く先は
生きている内は「貧乏神」
死んだ後は「悪霊化」を経て「地獄行き」となります。

どの道、皆さんが望む様な幸せとは
程遠い結果となるという流れなのですね。

文字や言葉でこういった事を視聴きしても
この流れがどれだけヤバいのかは
全くピンと来ないと思います。

元々、分かり難い話ですし
そういった内容なので全然構わないのですが、

せっかくなのでこの「ヤバさ」を
記載した本日より三日間の内に
皆さんの夢の中で味わえる様にしてみますね。
2026.5.22~2026.5.25

偶にはこういった遊びもいいでしょう。

貧乏神、生霊、
悪霊、地獄とその先
これらの一端を
視れる様に頑張ります
おっかなくても
ノークレームで
お願いなんやで

2026年3月23日月曜日

経験を重ねて(実戦シリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は考え方について
お話をしたいと思います。




物事を考えたり捉えたり
ましてや、自身で進めたりする際に
大枠で思考し過ぎがちです。

然しながら、
実際は人体の細胞の如く
小さい物事の積重ねであり集合体です。

善きことも嫌な事も
小さいことが積重ね起きるのです。

小さい善きことが積重なるから
大きい善きことが手に入ります。
小さい嫌な事が積重なるから
大きい嫌な事へと発展してしまう。

人生もそうですね。

寿命を考えた時、この先何十年みたいに
数字上の大枠で捉えてしまうが故に
あっという間だなと考えてしまう。

ですが、実際は
この先何十年だったとしても
それは日々の生活の積重ねです。

一日一日を疎かにしていれば
その無駄な時間が積重なっていくだけですし、

24時間という限られた時間を
フルに活用して一日に於ける経験を
その感覚を大切にしていけば
それらの積重ねが確実に形と成るのです。




ちなみに、
一日は24時間ですが実際のところ
睡眠を抜いた意識的に使える時間は
もっと少ないですね。

仕事で使う時間、
家庭に費やす時間、
自分に費やす時間、

これらを週・月・年単位で掛け算すると
一日の貴重さがよく分かります。

そこに病気や怪我、各種イベントなどで
消費する時間を考慮すると
更にその貴重性が増してきます。

これを有用に利用活用するのか
無駄にして投げ棄てるのか
答えは考えるまでも無いのですけどね。

この限られた小さい小さい時間の中で
縷々様々な物事や事象を消化していく。

そして、
その些末とも思える様な螺旋の中で
想いや念や愉しみや辛さ苦しさがあり、
それを形として紡いでいくのですね。

活かすも殺すも自分次第。

生殺与奪は自分が手にしているのですから
どうせなら無駄にしない様に
心掛けていくのが賢明だと考えるのが
本来のスピリチュアルの基本です。

難しく考えずに
ありのままの姿を
ありのままの姿で
よく視て
よく聴いて
よく考える
これに限るんやで

2025年10月2日木曜日

standards of happiness(実戦シリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は考え方について
お話をしたいと思います。




皆さん想いや念について
日頃から考えたり意識したりと
頑張っていると思います。

以前にインスタのストーリーズにて
幸せの基準について
何だろうねと問い掛けました。

幸せの基準というのは、
念想を「満たす」という事です。

想い若しくは念のどちらかを
貴方を満たす事が幸せの基準となります。

但し、どちらを満たすのかは
その時の貴方がどちらの基軸に
重きを置いているかで決まります。

想い基軸なのか念基軸なのか

そして、どちらの基軸も
相互関係にありますので
貴方には同時に存在しています。

その上で、今この瞬間に
どちらの基軸に
バランスが傾いているのかで
貴方の幸せの基準は決まります。




想い基軸の方へ傾いていれば
「想い」を満たす事で幸せを感じられ

念基軸の方へ傾いていれば
「念」を満たさないと
幸せは感じられません。

ここを対物で満たそうとしても
幸せを得る事は困難且つ苦痛です。

「想い基軸なのに念で満たそうとする」
「念基軸なのに想いで満たそうとする」

こういう事ですね。

例えば、
念基軸の人がどんなに想いに該当する
業を取っていたとしても、
その本質の理解が困難な状態及び
限りなく密度と純度が低いですから

満たす以前に枯渇してしまいます。
同様の流れが想い基軸でも
逆の要素で発生します。

ここを打破させる為には、
基軸そのものを変えないといけません。

わざわざ想い基軸から念基軸へと
自ら偏らせたい人は居ないと思いますが、
どちらも同様の変化が必要となり

その基軸変化を発生させるのが
「正の螺旋」と「負の螺旋」への理解です。

念基軸への変化は
自然発生するけど
想い基軸への変化は
意図しないと無理
せやから
メカニズムを知る
必要があるんやで

2024年12月15日日曜日

勇を用いる(実践シリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は動き方について
お話をしたいと思います。




念想の天秤の一つに

「勇を用いたか」

というのがあります。
これは同時に八罪の一つの

「勇を用いない」の

裏側となるのですが、
どういう意味かと言いますと、
字の如く

「勇気を出したか」

という意味です。
普段、勇気という言葉を実生活で
使わないので些か分かり難いですね。

なので、
もう少し端的にしてみます。
こういう場合は対義語を考えます。

勇気の反対は「小心」です。
臆病とか意気地が無いとかですね。

つまり、
「勇を用いたか」の反対は
「小心だったか」となるので

「怠惰じゃなかったか」

という意味となります。




だらしないとか、怠けてるとか
そういう意味が怠惰です。

詰まるところ、
やる事やらないで楽をして
自分や周りにだらしなくしてたか
どうかを問われるのです。

そう聞かれると、
殆どの方は「そんな事は無い」と
言うと思いますが、

果たしてそうでしょうか。

例えば、

何かの意見を言わなきゃいけないのに
周りに合わせてしまったりして
言わなかったとか、

いじめを止められなかったとか、

見て見ぬ振りをしてたとか、

何かをダシにして不都合を隠したとか、

日頃の生活の中で
思い当たる節は本当に全く無いですか。

念想の天秤では、
貴方がこれらを
どの程度出来ていたのかを
貴方の生涯を通して問われるのです。





念想の天秤で問われるのは
勿論これだけではありません。
他にも沢山あります。

怖いのは、他の問い
要は、他の八罪にこれらが
連動してくるという点です。

勇を用いなければ
「伝に務める」事も難しいですし、
その先の「信に徹する」事も難しい。

達成率が低ければ、
尚更その連動は確実なものと
なってきますから、

トータルでの八罪を犯した数が
爆増するという事です。

その先にあるのは
紛う事無き地獄堕ちの烙印です。

死んだ後の事だから
地獄堕ちでも怖くないと
思われるかも知れません。

ですが、地獄堕ちする様な人が
生きている時に平々凡々と過ごせると
思われているのであれば

それは能天気の薄ら馬鹿としか
言えませんね。

地獄堕ちする前、
生前には既に貧乏神や
それに親しい存在となりますし、

そうなる手前から想いよりも
恨みばかりを受ける様になって、

嫌な事が頻発する様になるから、
余計に良い事を欲する様になり、

それは俗欲の強さへと変換され、
より一層負の螺旋へと堕ちていく。

早い話が、
適宜、勇を用いずに
楽ばかりをしていると

「生きながらにして
地獄の様な思いをしつつ
死しても尚、それ以上の苦痛を
味わい続けていく」

と、いう事です。

ちなみにですが、
死後も生前同様に
意識はバッチリありますからね。

さぁ、自分の罪を数えろ。

だから日頃から
業を頑張る事が
大切になって
くるんやで