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2026年3月28日土曜日

新たな自分を獲得する(実戦シリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は動き方について
お話をしたいと思います。




過去の失敗があるから
次は間違えない様に努力する。

生きていく上での基本的な動き方です。
失敗を基にして成功の鍵を探る。

失敗という一つの結果を
恐れていては先に進めませんから、

誰しもがこの動きをするのが
妥当だという事になります。

ですが、
実際には過去の失敗があるにも関わらず
また同じ事を繰り返してしまう。
そういうケースの方が多かったりします。

失敗そのものは認めていても
過去の自身の過ちを認めていなかったり

失敗したポイントの解釈を間違えていたり
自身の中で極度な決め付けをしていたり、

こういった場合ですと、
同じミスを繰り返したり
重要なチャンスを自ら逃したりします。

今までに経験した事の無いケースだから
奥手になってしまうとか、
より一層の安全パイを利用しようとするとか

自己防衛の視線で捉えると
妥当だと考えがちです。

然しながら、
これらを言い換えてみると
「勇を用いる」を拒絶しているのですね。




何の考えも無しに飛び込んでみる
という意味ではなくて、
支えてくれる相手やサポートしてくれる相手、
理解してくれる相手が居るのであれば、

ましてや、それが
信ずるに値する存在であるならば
そこを信じて飛び込んでみる。
(これが「信に徹する」です)

この時に、自身の優先度は下がって
相手の優先度が自然と上がります。
(これが「奉仕の精神」です)

信ずるに値しないのであれば
自身を優先させて自己防衛に徹する事は
間違いではありません。
問題のポイントが違いますからね。

いつもながら難しく聴こえますが、
これは成長と進化のお話なのですね。
成長や進化というのは、
想像以上に身近なものなのです。

「過去を乗り越える為に如何に勇を用いるか」

「前へと進む為に如何に信に徹するか」

「信ずるに値するために如何に伝に務めるか」

これらをどれだけ使い熟して
これまでの自身から脱却させるか
そこには想いや思い遣りが存在していて
それらを受け取るからこそ前へと進められる。




子供が新しい動作を獲得する時も
(おトイレとかお風呂とか自転車とか勉強とか)

大人が行き詰まりや幸せを目指す時も
(ビジネスとか恋愛とか生活そのものとか)

どんな年齢になろうとも
この流れと中身だけは変わるものではないのです。

それまでの自身や
それまでの考えに拘り続けると云う事は
過去の恐怖に身を委ねているのと同義です。

確かに恐いものではありますが、
それを言っていたら何も成長しませんし
進化する事も出来ません。

恐いからこそ、その根源をちゃんと視る。
信ずるに値させる為によく会話をする。
(ここでの会話には触れ合いも入ります)
信ずる相手との共感によって分散させる。

これらを放棄する動きが過去への拘りであり
過去への自身への甘え
つまり、「自分本位」となるのです。

僕らは常に成長と進化を目指しています。

そのサイズはとてもとても小さいですが、
その小さいものの積重ねが
大きいものの獲得へと繋がるのですからね。

恐怖に負けて楽を取り
自に堕ちるような真似をしない様に
努力をしていくことが
僕らが産まれてきた目的の一つなのですから。

型に嵌らず
新たな面を目指し
新たな気持ち
新たな感覚
新たな知識
新たな経験を
得ていくんやで

2026年3月21日土曜日

自分愛しや勇知らず(実戦シリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は考え方について
お話をしたいと思います。




人との関係性だけでなく
ありとあらゆる関係性に於いて

自分優先にしたり
自分本位を剥き出しにする事が
宜しくないことだというのは
ここでは既に常識ですね。

その業の中で自分のためではなく
相手のためを考えて
率先して動くことが大切なのだと
常々お話しておりますが、

相手のためを考えて動くと
自分のためと考えた時と比べて

一体何が変わってくるのでしょう。

答えは1つではないので
色々とあるのですが、
大きく変わってくるのは

「勇を用いる」という点です。

自分のためを第一優先にして
行動を起こした場合、
少なからず相手を傷付けたり
辛い思いをさせたりする事になります。

その分、自分はとても楽です。
辛さや苦しさからは逃れられますからね。

では、逆に相手のためを想って
自分ではなく相手を優先させたら
どうなるでしょうか。




自分の希望や願望を一先ず置いといて
相手の事を優先させるのですから、
簡単に云えば我慢をする事になります。

我慢ってやつは苦しいし辛いですよね。

相手のためを想えば何のその。
苦しませるくらいならば自分が。

と、分かってはいてもやはり苦しい。
そして、辛いのも容易に想像出来るから

達成させるのであれば
気合いを入れないといけない。
これを「覚悟」と、云います。

この「覚悟を決める」までの過程で
必要になってくるのが「勇気」です。

苦しみも辛さも確実に眼前にある。
そこに向かって態々行かないといけない。

自分を優先させれば
その苦しみも辛さも感じずに済む。
どうしようか。楽したい。

そんな葛藤を振り払うのが勇気です。

実際のところ、相手のためという
奉仕の精神が普通の状態の人であれば
こんな事考えもしないのですが、

皆がみんなそうではないですし、
今以て自分本位に翻弄されまくりで
グルグルしている人は多いですからね。

こういうメカニズムを知っておくのは
とても有用だと考えます。




少し話が逸れましたが、
自分のためで行動を
起こしてしまう人というのは、
勇気を用いてないのです。

自分よりも相手が苦しめばいいという
想いとは程遠い考え方がデフォルトで、
「勇を用いる」という言葉の意味さえも
理解が出来ない状態なのですね。

それなのに、相手を傷付ける事は
決して宜しい事ではないのは知っているから

さも自分は想いを大切にしていると
豪語してみたり思い遣りだと
言ってみたりする。

ですが、それはあくまでも詭弁であって
自分の卑怯さを見せない為の戯言だから
豪語する割には態度では示せない。

ましてや、普段から勇を用いてないから
見て見ぬ振りが当たり前の状態となって
絶対安全圏でないと何も出来ない様な
究極の内弁慶となるのです。

逆に云うと、
こういう状態から抜け出たいのであれば
勇を用いて覚悟を決めれば良いだけです。
意外と簡単な事なのですよ。

それでもやれないという事は、
貴方にとって相手が然程大切でないか
貴方自身が貧乏神なだけか
そのどちらかという事なのです。

まぁ、心が弱くて残念な人って事ですね。

勇を用いない奴の
言葉ってのは
薄っぺらいから
話しているだけでも
本性が分かるんやで

2025年8月18日月曜日

止まらぬ涙(お客さんからの声)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は
島根県松江市Mさんより戴きました
お客さんからの声です。




先生、
先日はありがとうございました。

どうにも困り通していて
色んな人達に相談をしていたのですが
話が入ってこないと言いますか
解答がズレていると言いますか…

何か場当たり的な事ばかりを言われて
納得が出来ていなかったんです。

結論から言いますと、
思い切って先生にご連絡を差し上げて
大正解でした!

ひっかかっていた謎がスルッと
流れていった感じでした!

特に守護霊さんのお話と
いま困っていた事のお話には
本当に驚きしかなくて
隣で聴いていた主人はあの後も
目をまん丸くさせていました。

私が内容を話す前に
先生が話し始めたんですから!
「僕の所ではよくあることですよ」って
先生はあっけらかんと言ってましたが
私達には目から鱗ですからね。

お陰様でとても救われました。

先生とオンラインでお話を
させて頂いてからというもの
「本物の人って居るんだね」と、
毎日のように家の中でも友人にも
親戚にも話をしています(笑)。

先生のお人柄にも本当に救われまして
あの日は涙が止まりませんでした。
(先生がしばらく止まりませんよ~
って、笑いながら仰ってくれてたのが、
今では主人と共通の笑い話です)

また、色んな事を一つ一つ丁寧に
分かり易く解説もして下さって、

まだ時間が経っていないですが
直ぐにでもお話がしたいなと
夫婦共々思っているんですよ。

先生とお話が出来て本当に嬉しかったですし、
先生のメールアドレスを探し当てて
思い切って連絡をしてよかったです。
(メアドじゃなくて今はインスタなんですね)

まさに勇を用いるですね!
本当にありがとうございました。

まだまだ暑い日が続いておりますので
どうかお体をご自愛なさって
お過ごしください。
また宜しくお願いいたします。

夫婦そろってブログも愉しみにしていますね。
駄文にて失礼いたしました。

              M


Mさんとご主人さん、
ありがとうございました。
こちらこそ、
また何卒宜しくお願い致します。

あまり脂物を食べ過ぎたらあかんよwww

同じ辛さを
味わっている人は
沢山おるんやで
一人やないさかい
決して無理せんと
頑張ってこうな

2025年8月17日日曜日

一歩を踏み出す(実戦シリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は動き方について
お話をしたいと思います。




ここを読んでいる方々には
もはや周知の事実なので
イチイチ言葉にする事では無いのですが、

「運気は自らが作り上げるもの」です。

何かに操られているものでもなければ
誰かの力で何とかなる様な
ものでもありません。

改めて冷静に考えてみれば
どなたでも分かる事なのですが、

もし、「何かのお陰誰かのお陰」
という様な他力本願一色で
どうにかなるものであるならば、

何処でも良いですから
祈願しまくっている人の運気が
一番爆発している筈ですし、

良いこと尽くしのオンパレードに
なっていないとおかしいですね。

ですが、実際は真逆です。
他力本願一色ですと至る所は
貧乏神路線のみとなります。




他者からの助言や知恵の拝借は
在って然るべきですし、
そういった助力があるからこそ
ある意味で人は動けるものですからね。

しかし、そのアドバイスというのは
待っているだけでは
決して手にする事は不可能な代物です。

どの様な場合であっても、
自身が率先して手にしようと
動かなければいけないのです。

これが「勇を用いる」という概念であり、
人が念想の天秤で推し量られる
八罪の内の一つであり、
達成条件の一つでもあります。

↓以前にも触れています

どんな事でも自ら一歩を踏み出す。
相手が手を差し伸べてくれていようが
そうでなかろうが、

善き動きを手にする為には
自身からその身を動かさなければ
意味が無いものなのですよ。

それが動ける者に課せられた
「向こうの世界と現世との共通の理」なのです。

おどおどしている内にも
時は過ぎていきます。
眼の前にあるチャンスは
常に駆け足で去っていくものです。

失敗を恐れる気持ちもあるでしょうし、
恥を危惧する気持ちも理解出来ます。

けれども、成功と言うのは
その失敗や恥の先で得られるものですからね。

端折って良いことなんか
何一つ無いですよ。

例え小さい事でも
率先して動く
まごつくならば
動いた方が
間違いないんやで

2025年6月2日月曜日

ユメユメ蓄縮タルナカレ(実戦シリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は考え方について
お話をしたいと思います。




普段の生活を当たり前に過ごしていると
その一瞬一瞬の

「価値」

と、いうのを
人はとても軽んじてしまいます。

いつも同じで何も変わらないと、
勝手に解釈をしてしまうから

その場の時間もただ過ごすだけで
そこに在する「価値」を見出そうとしない。

一分一秒先の将来でさえ
何も保障されているものでは
ないのにも関わらずです。

結果、
危機感の欠如を招いてしまい
自身の本気度を著しく低下させるから

一毛不抜な動きをしてしまったりして
大切な事を伝えられないどころか

二度と逢えなくなったりしてしまう。

そうなっては元も子もないです。
どんな時でも常に全力で愉しんで
出し惜しむ事無く時間を使う。




今、貴方の隣にいる人が
数分先にも存在するとは限らないのです。

例え、存在そのものが消えなくても
怪我や病気などで
逢えなくなる可能性は幾つもありますよね。

それは貴方側の場合かも知れません。

特に何も問題なく会えるのであれば
可能な限り話をして
全力で意思を伝える努力をする。

何かの助言やアドバイスを
聴きたい場合も同様ですし、
それを教える側も同様です。

そこで黙って手を拱いていても
何一つ変わりはしないですし、
寧ろチャンスは減る一方です。

自身の本気度を高めないと
思い遣りなんぞ遥か遠くのものですし、

ましてや、想いの力場の構築などは
到底出来るものではありません。

貴方のその脚も手も思考も
全ては前に向かう為にあるのですから、

今という「時」に甘えすぎないで
臆する事無く自身から踏み出さなければ

耐え難き辛さを味わいますからね。
勇を用いましょう。

堕情という
俗欲に溺れると
一生の後悔を
身に纏う事に
なるんやで

2025年3月13日木曜日

有意義な会話(実戦シリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は動き方について
お話をしたいと思います。




個々人に於いて様々な場面で

「会話」

と、いう業が繰り広げられます。

この会話というものは、
誰もが触れ得る事の出来る
動きの一つです。

最初に伝えておきますが、
スピリチュアルの立場では
口頭や文面のみならず
目くばせなどのジェスチャーによる
コミュニケーションや

心内での遣り取りなども
「会話」となります。

例えば、
病床の方への遣り取りや
墓前などで御先祖さんとの遣り取り、
動物や植物等との遣り取り
夢の中での遣り取りなど

物質的側面や物理的側面だけでなく
非科学的側面や精神的側面の遣り取りも

全て紛う事無き「会話」
と、するのが本来のスピリチュアルです。




さて、皆さんこの会話の中で、
相手によって意義の有無を感じられる事が
あると思います。

心の充実感の有無と言った方が
分かり易いかも知れません。

これは何故に起きるのでしょうか。

幾つか要因がありまして
その代表格と言えるのが、

「基軸」と「格」です。

「基軸」と、いうのは
自分達が何を芯に据えて会話をしているか
という根幹部分の要因となります。

平たく言うと、
「想い」なのか「俗欲」なのかです。

「格」と、いうのは所謂「霊格」です。
霊体のレベルですとかリテラシーであると
思って頂いて構いません。

これらが複雑に絡み合って
会話の意義の有無を決定付けます。

同じ会話でも人によって感覚の受取りが
大きく異なってしまうのは、

本来のスピリチュアル的に言うと
この為です。




この中でも

「有意義な会話」

と、いうものを幾つ発生させ、
幾つ消化出来るかが、生き易くする上で
現実を愉しむ上で、
必須の構成要素となってきます。

敢えて俗な言い方をするならば、
運気を上昇させる上でという意味ですね。

有意義な会話は、

「個々人の性格や感情」が土台となり
その上で
「双方の格の高さのバランス」と
「想いの力場」の構築を触媒にして発生します。

ここの中身が少しずれていたり力場の構築が
負の力が中心の「念の力場」となると
そのサイズによって意義性に欠けたりします。

にも関わらず、勇を用いて切り上げたり
転進など何らかの改善策を行わずに

遅疑逡巡でいたりすると、
高確率で宜しくない方向へと進む訳です。




もし、何だか色々と上手くいかないと
思われている方がいらっしゃったら、

日頃の会話を見直してみて下さい。

格は自己判断が出来ずとも、
その相手は何を基軸としているのか。

自分は勇を用いてハッキリとした物言いを
相手にしているかどうか。

そして、その無意義な会話の数が
有意義な会話数と比較すると
勝っているのではないか。

この辺を自身にて鑑みるだけでも
状況改善に繋がります。

そして、会話とは
肉体を越えて幽体の繋がりを
実感出来る非常に簡単な業の一つです。

貧乏神に踊らされたり、
自身の俗欲に振り回されていたりして
苦しみからの脱却を図りたいのであれば

こういったセルフチェックを実行する事が
幸せへの道標となりますからね。

思考停止して他力本願となると、
善い自分は遠退くだけですよ。

ギスギスした時や
関係改善を
したい時なんかも
有意義な会話を
目指すのが
近道になるんやで

2024年12月15日日曜日

勇を用いる(実践シリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は動き方について
お話をしたいと思います。




念想の天秤の一つに

「勇を用いたか」

というのがあります。
これは同時に八罪の一つの

「勇を用いない」の

裏側となるのですが、
どういう意味かと言いますと、
字の如く

「勇気を出したか」

という意味です。
普段、勇気という言葉を実生活で
使わないので些か分かり難いですね。

なので、
もう少し端的にしてみます。
こういう場合は対義語を考えます。

勇気の反対は「小心」です。
臆病とか意気地が無いとかですね。

つまり、
「勇を用いたか」の反対は
「小心だったか」となるので

「怠惰じゃなかったか」

という意味となります。




だらしないとか、怠けてるとか
そういう意味が怠惰です。

詰まるところ、
やる事やらないで楽をして
自分や周りにだらしなくしてたか
どうかを問われるのです。

そう聞かれると、
殆どの方は「そんな事は無い」と
言うと思いますが、

果たしてそうでしょうか。

例えば、

何かの意見を言わなきゃいけないのに
周りに合わせてしまったりして
言わなかったとか、

いじめを止められなかったとか、

見て見ぬ振りをしてたとか、

何かをダシにして不都合を隠したとか、

日頃の生活の中で
思い当たる節は本当に全く無いですか。

念想の天秤では、
貴方がこれらを
どの程度出来ていたのかを
貴方の生涯を通して問われるのです。





念想の天秤で問われるのは
勿論これだけではありません。
他にも沢山あります。

怖いのは、他の問い
要は、他の八罪にこれらが
連動してくるという点です。

勇を用いなければ
「伝に務める」事も難しいですし、
その先の「信に徹する」事も難しい。

達成率が低ければ、
尚更その連動は確実なものと
なってきますから、

トータルでの八罪を犯した数が
爆増するという事です。

その先にあるのは
紛う事無き地獄堕ちの烙印です。

死んだ後の事だから
地獄堕ちでも怖くないと
思われるかも知れません。

ですが、地獄堕ちする様な人が
生きている時に平々凡々と過ごせると
思われているのであれば

それは能天気の薄ら馬鹿としか
言えませんね。

地獄堕ちする前、
生前には既に貧乏神や
それに親しい存在となりますし、

そうなる手前から想いよりも
恨みばかりを受ける様になって、

嫌な事が頻発する様になるから、
余計に良い事を欲する様になり、

それは俗欲の強さへと変換され、
より一層負の螺旋へと堕ちていく。

早い話が、
適宜、勇を用いずに
楽ばかりをしていると

「生きながらにして
地獄の様な思いをしつつ
死しても尚、それ以上の苦痛を
味わい続けていく」

と、いう事です。

ちなみにですが、
死後も生前同様に
意識はバッチリありますからね。

さぁ、自分の罪を数えろ。

だから日頃から
業を頑張る事が
大切になって
くるんやで

2024年3月26日火曜日

善くなりたいのならば...(知識UPシリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回も自分を善くさせる事について
お話をしたいと思います。





これまで、
自分を善くさせるという点に関して
縷々話をしてきました。

日頃から皆さんも
自分を善くさせる為に
色々な事をしてみたり、
気を付けてみたりされてると思います。

物を身に付けてみたり、
逆に捨ててみたり、
占いをしてみたり、
それを聞いてみたり、見てみたり
パワースポットへ出向いてみたり
験を担いでみたり...

本当に多々あると思いますが、
何をやるにしても

「実行力」が伴っていないと

まず善くなる事は無いです。
何はともあれ、
まずは動くという事ですね。

考えてから動くのは、
ある程度の知識が身に付いた後の
動き方です。

知識が乏しい状態ですと
考えたら考えただけ
動きが鈍くなりますし、
それどころか
動けなくなる事の方が多いです。

なので、まずは動く。
その後、ちゃんと考える。
動きながら考える。





と、言う事はですよ、
どんな事でも

「踏み込む勇気が必要」

という話になる訳です。
「勇を用いる」ですね。
怖気付いたり何もしない内は
変える事など不可能です。

同時に信じる事が必要です。
「信に徹する」ですね。

教わったのなら、
教わった人の言葉を信じれば良いし
自分で思い付いたのなら、
自分をちゃんと信じ切らないといけない。

その上で、
しっかりと伝えなければいけません。
自分に対してもですし、
神社仏閣で願掛けをするなら
神様仏様に対しても真摯に伝える。

それが人でも物でも何でも同じです。
そこには言霊という形で
「想い」が宿ります。
つまり、
「伝に務める」ですね。

伝えるという事は、
汲み取るという事でもあります。
ちゃんと聞き取るという意味です。

普通に考えて、
言いっ放しで善くなる訳がないでしょ?
どんな相手でも会話が成立して
初めて善くなる方へ進みますから、

その意思を汲み取れなければ
どうにもこうにも変わりゃしません。





この様に、ご自身を善くさせる為に
何をやっても結構ですが、
ご自分の中で留まっている内は

善い方向へ舵取りなど出来ません。

理由は簡単で、
ご自身の中でウズウズしているだけなら
それは自分本位に他ならないからです。

要するに、
貧乏神と同じという事。

自分の中だけに留めとくのは、
自分だけが善くなりたい
という意思の表れにすぎません。

その欲中心の思考では、
実行に移すという行動が出来なくなります。
実行に移せないという事は、

「維持継続が出来ない」

という結果にも繋がります。
そんなんで善くなる訳がないですよね。





それに、実行力の後ろ盾として
信に徹する、伝に務める、勇を用いる
この三つの理を律しないという事は、

聞くだけ聞いて何もしない
願うだけ願って何もしない
見るだけ見て何もしない
思うだけ思って何もしない

という意味ですから、
こうして書いてある文字を読むだけでも
善くならないのは分かりますよね?

また、目線を変えれば、
手伝ってくれてる人や物、存在に対しての
裏切りそのものなんですよ。

いや、誰にも頼んでないし、
願掛けも話もしていないし、
という人も居ると思いますが、

ここにはね、第三者だけでなく、
貴方自身も含まれているという事です。
自分をも裏切っていれば、
自分を善くさせるなんて夢物語ですよ(笑)

総じて言える事はですね、
何をするにしても
自分を善くさせたいのであれば、

まずは、

「自分の思考と意識を見直す事が
第一歩となってくる」

という事なのですよ。
自分を善くさせてる人は、
大なり小なりこれを理解していますから
善くさせる事が出来てるんです。


2024年1月21日日曜日

想い返し(知識UPシリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は想い返しについて
お話をしたいと思います。





前回お話をした念返しが
負の力とするならば、
「想い返し」は、
正の力を使う事です。

相手から受け取った想いに対して
想いに則って返答や返礼を行い

素直さ度や愛情の理解度を高める事で
結果として運気UPに繋がる業が

「想い返し」です。

そして、想い返しは何か特別な事を
するという訳ではなく、

相手から何かを得たら「ありがとう」
相手に何かをしてしまったら「ごめんなさい」

こういう普通の事を普通にする事が
想い返しの基本です。





とても簡単でいつでもどこでも
誰でもすぐに出来るのが想い返しの利点ですが、
注意点も当然にあります。
何かと言うと、相手は人だけでなく

「万物様々な存在が対象」だということ。

万物なので、動植物のみではないです。
勿論、目に見える存在のみでもないです。

ここで問題となってくるのは
皆さん相手を人中心で考えてしまい、
「その他の存在に対しては同じ様に出来ない」
という点です。

人のみに対して行っていても
当然一定の効力はありますが、

人中心で思考し続けていると
視野が狭くなってしまい、
人以外の万物に対する想い遣りが

どうしても薄くなってしまい
万物からの恨みを買いやすくなります。





では、
どうして万物に対して同じ様に出来ないのか?
それは、

「社会的エゴイズム(俗欲)」
「自我」
普通に邪魔をするからです。

俗欲というと難しいのですから、
世間体と解釈すれば分かり易いかと思います。
自我は自分の意識ですね。

「(周りから)変に思われる...」
「恥ずかしい...」
「本当にそこに居るのかな?...」
「見えないし...」「聞こえないし...」

等々、色々と考えてしまってやれなくなる。
気持ちは理解出来ますが
これって、全て負の思考ですよね。

正の力を使って
素直さ度や愛情の理解度を上げて
結果として運気UPに繋げられる
とても簡単な業なのに、

自分自身が最大の障壁となる。





「人は人のみで生きている訳ではない」
「人は独りでは生きられない」

とても簡単な業ですが、
この考えを理解できないと難しいのが
想い返しです。

現在、
普通に生活していて便利になった反面、
根本的な事を忘れてしまっているのが
今の我々です。

感謝をしなさい、敬意を払いなさい
謙虚になりなさい、
色々言っていても、その相手は誰ですか?

そこに対する考えが浅いから、
中々自分という壁を越えられないのですね。

ほんの少しだけ、視線を変えて
視野を拡げて、耳を澄ませてみれば、

貴方は色んな存在からの想いの力を受けて
人として生きているのだと、
口で説明は出来なくても
肌で実感は出来る筈です。





そして、
それは負の力とも常に背中合わせで
張り合っているのではなく
「共存」しているのだと分かると思います。

どうしても負の力を忌避して、
正の力を全面的に頼りがちですが、

それは
虹に見惚れ過ぎて
反対側を視ていないのと同じです。

正の力も負の力も
どちらも大切な構成要素です。

忘れないで下さい、
想い返しをする時は
「必ず相手を特定すること」。

正の力と負の力の

「バランス」と「制御」を
必ず意識すること。

想い返しをしていても、
貴方の器が小さくなると
想いの力の裏側にある念の力に
飲み込まれますからね。