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2025年8月17日日曜日

一歩を踏み出す(実戦シリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は動き方について
お話をしたいと思います。




ここを読んでいる方々には
もはや周知の事実なので
イチイチ言葉にする事では無いのですが、

「運気は自らが作り上げるもの」です。

何かに操られているものでもなければ
誰かの力で何とかなる様な
ものでもありません。

改めて冷静に考えてみれば
どなたでも分かる事なのですが、

もし、「何かのお陰誰かのお陰」
という様な他力本願一色で
どうにかなるものであるならば、

何処でも良いですから
祈願しまくっている人の運気が
一番爆発している筈ですし、

良いこと尽くしのオンパレードに
なっていないとおかしいですね。

ですが、実際は真逆です。
他力本願一色ですと至る所は
貧乏神路線のみとなります。




他者からの助言や知恵の拝借は
在って然るべきですし、
そういった助力があるからこそ
ある意味で人は動けるものですからね。

しかし、そのアドバイスというのは
待っているだけでは
決して手にする事は不可能な代物です。

どの様な場合であっても、
自身が率先して手にしようと
動かなければいけないのです。

これが「勇を用いる」という概念であり、
人が念想の天秤で推し量られる
八罪の内の一つであり、
達成条件の一つでもあります。

↓以前にも触れています

どんな事でも自ら一歩を踏み出す。
相手が手を差し伸べてくれていようが
そうでなかろうが、

善き動きを手にする為には
自身からその身を動かさなければ
意味が無いものなのですよ。

それが動ける者に課せられた
「向こうの世界と現世との共通の理」なのです。

おどおどしている内にも
時は過ぎていきます。
眼の前にあるチャンスは
常に駆け足で去っていくものです。

失敗を恐れる気持ちもあるでしょうし、
恥を危惧する気持ちも理解出来ます。

けれども、成功と言うのは
その失敗や恥の先で得られるものですからね。

端折って良いことなんか
何一つ無いですよ。

例え小さい事でも
率先して動く
まごつくならば
動いた方が
間違いないんやで

2025年6月2日月曜日

ユメユメ蓄縮タルナカレ(実戦シリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は考え方について
お話をしたいと思います。




普段の生活を当たり前に過ごしていると
その一瞬一瞬の

「価値」

と、いうのを
人はとても軽んじてしまいます。

いつも同じで何も変わらないと、
勝手に解釈をしてしまうから

その場の時間もただ過ごすだけで
そこに在する「価値」を見出そうとしない。

一分一秒先の将来でさえ
何も保障されているものでは
ないのにも関わらずです。

結果、
危機感の欠如を招いてしまい
自身の本気度を著しく低下させるから

一毛不抜な動きをしてしまったりして
大切な事を伝えられないどころか

二度と逢えなくなったりしてしまう。

そうなっては元も子もないです。
どんな時でも常に全力で愉しんで
出し惜しむ事無く時間を使う。




今、貴方の隣にいる人が
数分先にも存在するとは限らないのです。

例え、存在そのものが消えなくても
怪我や病気などで
逢えなくなる可能性は幾つもありますよね。

それは貴方側の場合かも知れません。

特に何も問題なく会えるのであれば
可能な限り話をして
全力で意思を伝える努力をする。

何かの助言やアドバイスを
聴きたい場合も同様ですし、
それを教える側も同様です。

そこで黙って手を拱いていても
何一つ変わりはしないですし、
寧ろチャンスは減る一方です。

自身の本気度を高めないと
思い遣りなんぞ遥か遠くのものですし、

ましてや、想いの力場の構築などは
到底出来るものではありません。

貴方のその脚も手も思考も
全ては前に向かう為にあるのですから、

今という「時」に甘えすぎないで
臆する事無く自身から踏み出さなければ

耐え難き辛さを味わいますからね。
勇を用いましょう。

堕情という
俗欲に溺れると
一生の後悔を
身に纏う事に
なるんやで

2024年1月19日金曜日

貧乏神の素(知識UPシリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は貧乏神の素について
お話をしたいと思います。





誰しもがなりたくない貧乏神ですが、
誰しもがなれる要素を有しています。

それをコントロール(制御)する事で
貧乏神へと変貌せずに済みます。

では、
何が貧乏神の素となっているのでしょうか?

その最たる物の一つが、
「我儘」です。

この我儘に溺れてしまうと、
貧乏神化が進みます。

我儘が何なのかというのは、
説明をするまでも無いので省きますが、
問題はその流れにあります。

我儘に溺れ始めると、

「自身の欲求は叶えたいが
責任は負いたくない」

という思考が強くなります。





その中で、
要求を強いる事が出来る人に対しては
態度を徹底的に強くします。
内弁慶というやつですね。

そして、
自身の責任に掛かる事は更に徹底的に
避けようとするので、
言動があやふやなものとなってきます。

判断力としても、
優柔不断な思考が鮮明になります。

決めるに決められないだけならまだしも、
その決定をも人に委ねたりする様になり

自分では何もしなかったにも関わらず
気に入らない結果となれば、
普通に文句すら言うようになります。

これが進むと、
責任回避を重んじている人間同士が
惹かれ合う様になります。

何故なら、
日頃からキッパリと物を申す様な人に
相反する形となるからです。

そうして、極自然の流れで
貧乏神化が進んで行きます。

これが同時進行で起きたり、
順番が逆だったりと
色々なパターンがありますが、
大まかな流れはこんな感じです。

この流れを鑑みた時に、
素となっているのが「我儘」
という事なのですね。

ここからは貧乏神化防止の方法を
サラッとお伝えします。





我儘を無くしてゼロに帰すというのは、
ちと難しいです。

限りなく無くす事は可能であっても、
全くの無にするのは出来ませんし
その反動がとんでもないものになります。

一番簡単な方法は、
普段から発言に気をつける事です。
断言と訂正です。

あやふやな答え方をしない。
自信が有る無いを問わず断言をする。

こう言ったほんの少しの工夫で、
貧乏神化は防止できます。

断言をすると責任も生じます。

人は言動が正されると、
行動に変化が生じますから
それを利用する感じです。

これを言いますと、
極端に頑張り過ぎる人が出てきますが、
そこを抑止する為に、無理をしない、

つまり「無理せず頑張る」という
一呼吸の間が大切になってきます。

また、間違っていたら謝り
即時訂正をするという
素直さが必要になります。

訂正を悪だと認識している人が多いですが、
それは大きな間違いです。
意味も無く完璧を求めているから、
そういう間違った認識をしてしまうんですね。





「何だよ、結局曖昧なものを残すのかよ」

と、思うかも知れませんが、
よく視て下さいね。

既に最初に述べていますが、
肝心なのは、

「制御(コントロール)」です。

我儘が過ぎれば貧乏神へと急成長し、
頑張りに極張りすれば肉体的負担も増し、
ゆくゆくは精神的負担も増大して

鬱症状などにも悩まされて、
今度は責任回避へ極振りするから
結局同じ様に貧乏神化する可能性も増す。

ですが、意図的に余剰を作っておいて
制御をすれば貧乏神化は回避できます。

それを簡単に実践させるのが
断言と訂正、
そして、完璧を求めすぎずに
無理をしないという意識。

これを理解出来れば
貧乏神の素(もと)を持っていても
決して貧乏神化する事はありません。

貴方自身の事なのだから
どんな時でも手綱を握るのは貴方です。


2023年12月26日火曜日

さぁ、一年を振り返ろう(運気UPシリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今年も一年を終えようとしています。






昨年のこの時期に、
お正月へ向けての記事を幾つか
認めさせて頂きました。


マイ神社は選びましたか?
初詣は如何でしたか?

あにきの話していた参詣法を
お試しになられた方限定となりますが、

今年一年を振り返ってみて、
如何でしたか?善きでした?

ご自身の魂の格(霊格)が
どれほどのものだったか...
実験してみてどうでしたか?





セッションやレクチャーを受けられつつ
小さい幸せを見付ける努力を
日々頑張っている方々は
そこそこ納得されたんじゃないかなと
思っています。

実際に、
運気が鰻の滝登りになっている方からの
ご報告も頂いていますからね。

勿論、皆が皆とは言いませんが、
ここで大切になってくるのは、
あにきがどうのこうのではなくて、

素直にきっかけを掴んで
ちゃんと信じるという事に徹して、
伝える汲み取る事を頑張って、
勇気を用いて半歩でも前に踏み込んだ方は

この一年間で、大なり小なり
「確実に結果を残せた」
という点です。





何となく歳の瀬を過ごすのではなくて、
この一年という年月を通じて
回顧と反省をして次へ繋げる。

善きだった方も、そうでなかった方も、
ちゃんと省みる事が重要です。

そして、一年という長期間
頑張った自分をしっかりと褒める。

普通に一年と言うと
長くも短くも感じますが、
太陽の周りを一周してきた期間です。

距離にして大体
942,000,000km
このぶっ飛んだ距離を

時速約110,000kmで
グルっとしてきたのが
1年間という期間です。

普段はあまり実感しませんが、
とんでもなく長い距離で長い時間が
一年なんですね。

この間を、
一生懸命に頑張ってきたのが
誰でもない貴方なのですから、

ちゃんと褒めてあげないといけないよなぁ!
って思えるでしょ?





と、同時に、
「下らない事で無駄に出来ないな!」
と、思えた筈です。

思い遣りを欠いて自分に甘んじたり、
何も信じないと意固地になったり、

その結果、

ちゃんと視たり聴いたりが出来ないから
自分の殻に更に閉じ籠ってしまって
人の厚意を無碍にして恩を仇で返す。

そんな人の流れを
先述した「確実に結果を残せた」方々は、

客観的に見聞きして
反芻する事が出来たからこそ、
無駄には出来ないと感じられたのです。

云わば、
貴方の努力の結果なのですよ。

運気というのは、
決してアバウトなものでもなければ
物に頼るものでもないし、
ギャンブル性のあるものでもなくて、

ご自身の努力一つで
必ず上向きにする事が出来るもの

という事を、
改めて実感されたのではないかなと
あにきは思っています。





で、もう一度聞きますが、
実験はしてみましたか?

今年やらなかったのなら、
せっかくですから、
来年はやってみたら如何ですか?(笑)


2023年4月27日木曜日

悩みを相談するタイミングと人選や心構え

皆さんこんばんは、あにきです^^

今回は悩みを相談する時の事について
お話していこうかと思います。




ー相談するタイミングー

自分の抱えている悩みっていうのは、
実際に相談をするタイミングを気に掛ける事で
自身の心を軽くする事が出来ます。

では、どういったタイミングで
相談すべきなの?って、事なんですが、

悩みが小さい内に相談をするんですね。

とは言え、自分で何にも考えないで
最初っから相談へ走るのも駄目な事ですから、
それはやってはいけない。

自分でも考えてみる!
という事が必要。

例えば、何かしらの悩みがあったとします。

一度考えてみる → 答えが出ない

もう一度考えてみる → 何か薄らぼんやり...

再度考えてみる → 何かモヤモヤ...

このタイミングで相談をする!!!

悩みってのは、一人で考えれば考えるほどに
どんどんと大きくなっていきます。




ーどういう人を選べばいいー

よく、
「吐き出せば楽になるよ!」
とは聞きますが、

これも落とし穴で、悩みの内容によっては
吐き出す相手を間違えてしまうと
取り返しがつかない程に悪化してしまいます。

身近な人だから、友達だから、家族だから
そう言った「見た目の枠」だけで人を選んで相談すると、
ただ悪戯に問題の種を肥大化させてしまう...
という事が多いです。

自分の悩みについて、

「客観的に捉えて意見を言ってくれるのか?」
「解決に向けて同情無しで意見を言ってくれるのか?」
「聞こえの良い言葉であやふやにしないか?」
「悩みを受け止めてくれる器の大きさがあるのか?」

少なくともここら辺を考えて相談する人を選んで
吐き出さないと
失敗したり、遠回りになったり、
望んだ結果が生まれない...なんて事が多いわけです。

言い換えれば、ここをクリアしていれば、
別に身内でも誰でもイイ!って事になります。




ー悩みと慰めの違いー

ここで少しだけプロ視点に変えてみて、
人の内側を視る旅に出てみましょう。

悩みや相談を受ける人に向けた話です。

まず、
「優しい言葉や優しい接し方を第一に望んでる時」は、
悩んでいるのではなく、慰めを欲しています。

何で慰めを欲しているのか?
その原因が悩み...という点はありますが、
この場合、
基本的に現状での問題そのものは「薄い」です。
もしくは、
漠然とし過ぎていて、「自分でも気付いていない」です。




自分でも気付いていて、悩みとして認識をしている時は、
優しさよりも「客観的な視点での分析や解析」を望みます。

モヤモヤしている時に、
同情を受けたり、優しい言葉や綺麗事を並べられて
逆にイライラしたりする…

ちゃんと悩みを聞いていたり、相談を聞いてるのに
相手のイライラが増していく…

こんな経験をされた方も多いはずです。

これは、相手も自分も悩みと慰めの違いを
しっかりと認識していないからこそ起こる齟齬です。

相手が使っている言葉の持つ意味を考えながら
意識しながら理解しようと話をしっかりと聞く。

相手が何を求めているのかを考えずに、
自分の意見や思考を押し付けるから齟齬が生まれる。

人を見極めると言えば簡単ですが、
要は、先入観を捨ててちゃんと聞いてごらん!
という事。




ー相談する側の心構え "踏み込む勇気” ー

相談する側に目線を戻してみましょう。
悩んでいる人は、その名の通り悩んでいる訳ですから
「たすけてーー(;ω;)」となっています。

ですが、その時でも自分自身でやれる事はあります。
これをやるのとやらないのでは、大きく差が出ます。

自分に向けた愛情はしっかりと保ちつつも、
悩みに対してどこまでもドライに捉える事を意識する。

まずは、それを自分自身で実践する。
これが「考える」という心構え。

先述したタイミングに戻りますが、
自分で考えてみた結果、何かモヤモヤまで進んだら、
ここで人に相談をする。

考える回数は人によって異なります。
必ず3回考えろという意味でもないし、
一回でモヤる人もいる。

大切なのは、必要以上に長引かせて悩みを拗らせない事。
そうすると自分で考えるのは、3回くらいまでが良いよね
限界だよね?という指標なんですね。

また、考えるにしてもポイントがあります。

「自分とその周り、問題点の中心は何なのか?」
「様子見をして平気なのか?」
「即時行動すべきなのか?」
「解決させる!という点に向かって自分は動いているのか?」

これらのポイントを踏まえつつ、視点をちゃんと固定して
「楽という悦に浸らない」様に考える。

人は悩んでいる時に限って、やたらと周囲を意識したり
気に掛けたりし始めます。
そうする事で自分が楽になるからです。

「これ以上、口を出したらしつこいかも知れない…」
「非常識だと思われるかも知れない…」

問題があって悩んでいる時、相談している時、
相談した後で浮かんでくるこれらの言葉は、
大概の場合、全てあなたが勝手に描いた妄想です。
つまり、「楽という悦」。

これに浸った時点から事態の悪化は加速を始めます。
察して止めてくれる人も居るとは思いますが、
なかなかどうして難しいです。

楽という悦に浸りそうになったら、
踏み込む勇気を忘れずに!