皆さんこんにちは、あにきです^^
今回は考え方について
お話をしたいと思います。
普段の生活を当たり前に過ごしていると
その一瞬一瞬の
「価値」
と、いうのを
人はとても軽んじてしまいます。
いつも同じで何も変わらないと、
勝手に解釈をしてしまうから
その場の時間もただ過ごすだけで
そこに在する「価値」を見出そうとしない。
一分一秒先の将来でさえ
何も保障されているものでは
ないのにも関わらずです。
結果、
危機感の欠如を招いてしまい
自身の本気度を著しく低下させるから
一毛不抜な動きをしてしまったりして
大切な事を伝えられないどころか
二度と逢えなくなったりしてしまう。
そうなっては元も子もないです。
どんな時でも常に全力で愉しんで
出し惜しむ事無く時間を使う。
今、貴方の隣にいる人が
数分先にも存在するとは限らないのです。
例え、存在そのものが消えなくても
怪我や病気などで
逢えなくなる可能性は幾つもありますよね。
それは貴方側の場合かも知れません。
特に何も問題なく会えるのであれば
可能な限り話をして
全力で意思を伝える努力をする。
何かの助言やアドバイスを
聴きたい場合も同様ですし、
それを教える側も同様です。
そこで黙って手を拱いていても
何一つ変わりはしないですし、
寧ろチャンスは減る一方です。
自身の本気度を高めないと
思い遣りなんぞ遥か遠くのものですし、
ましてや、想いの力場の構築などは
到底出来るものではありません。
貴方のその脚も手も思考も
全ては前に向かう為にあるのですから、
今という「時」に甘えすぎないで
臆する事無く自身から踏み出さなければ
耐え難き辛さを味わいますからね。
勇を用いましょう。
一生の後悔を
身に纏う事に
なるんやで
皆さんこんにちは、あにきです^^
今回は動き方について
お話をしたいと思います。
常日頃より
「嫌な事は起きないでほしい」と、
願い請うものだと思います。
確かにその通りなのですが、
肝心なのは起きた後の対処
つまり、「事後の対処」です。
事前や未然の希望や願望ばかりを
強く請い過ぎるが故に、
起きた後の心構えや対処などが
疎かになってしまう
という現象が起きます。
そこには、
「本気度の薄さ」
というものが、関係してきます。
強く請うというのは、
一考すると自身の行動と捉えがちですが
請う事自体が外側に向けた行為です。
要するに、他力本願ですから
簡便に例えてみるならば、
「言ってみただけ、あとはよろしく」
「やってみただけ、あとはよろしく」
「聞いてみただけ、あとはよろしく」
みたいな感じとなります。
本気度が薄いのですね。
これとは逆に、
請う為に‟何か”を捧げたり
請うから“何かしらの”努力をする
などであれば、自己努力の一環となるので
本気度が濃くなります。
この場合ですと、
同じ様に「何かの事象」を想定して
喫した際に事前や未然の希望ではなくて
事後の心構えや対処を
現実的に想定する様になります。
物事や事象に対する思考というのは
「事後に向けた事前の動き」が、
須らく重要となってくるのです。
よく視てよく聴いてよく考える
と、いう簡潔な業はここにも繋がります。
本来のスピリチュアルで重視するのは
ファンタジーに満ちた事前や未然ではなく、
そこに存在する事後一択です。
現実の中の事後を纏めるには、
事前に於ける
「素直さ度の高さ」と「本気度の濃さ」が
明朗な必須要件となるのです。
そして、それらは常時意図的に意識をして
己の内へ身に沁み込ませる方法でしか
伸ばしたり厚みを持たせる事が
決して出来ない繊細なものなのです。
ですから、
考え込んで硬化してしまい
動くまでのイニシアチブを失わない為にも
まずは動いてイニシアチブを取り
その後じっくりと思考に結び付かせて
慣れてきたら思考からの行動という流れへと
負担なく進む事が出来る様に
「よく視てよく聴いてよく考える」
という簡便な業に示しているのです。
にも関わらず、それでも順応困難となると
現実不直視で幻想に逃避している曲解
という事になりますから、
事後の重要性を理解するのは
不可能に近いです。
起きた後の対処を思考出来なければ
事前も未然もあったもんじゃないですからね。
溺れて先を
見据えられないのは
ここに起因するんやで