今回は動き方について
お話をしたいと思います。
過去の失敗があるから
次は間違えない様に努力する。
生きていく上での基本的な動き方です。
失敗を基にして成功の鍵を探る。
失敗という一つの結果を
恐れていては先に進めませんから、
誰しもがこの動きをするのが
妥当だという事になります。
ですが、
実際には過去の失敗があるにも関わらず
また同じ事を繰り返してしまう。
そういうケースの方が多かったりします。
失敗そのものは認めていても
過去の自身の過ちを認めていなかったり
失敗したポイントの解釈を間違えていたり
自身の中で極度な決め付けをしていたり、
こういった場合ですと、
同じミスを繰り返したり
重要なチャンスを自ら逃したりします。
今までに経験した事の無いケースだから
奥手になってしまうとか、
より一層の安全パイを利用しようとするとか
自己防衛の視線で捉えると
妥当だと考えがちです。
然しながら、
これらを言い換えてみると
「勇を用いる」を拒絶しているのですね。
何の考えも無しに飛び込んでみる
という意味ではなくて、
支えてくれる相手やサポートしてくれる相手、
理解してくれる相手が居るのであれば、
ましてや、それが
信ずるに値する存在であるならば
そこを信じて飛び込んでみる。
(これが「信に徹する」です)
この時に、自身の優先度は下がって
相手の優先度が自然と上がります。
(これが「奉仕の精神」です)
信ずるに値しないのであれば
自身を優先させて自己防衛に徹する事は
間違いではありません。
問題のポイントが違いますからね。
いつもながら難しく聴こえますが、
これは成長と進化のお話なのですね。
成長や進化というのは、
想像以上に身近なものなのです。
「過去を乗り越える為に如何に勇を用いるか」
「前へと進む為に如何に信に徹するか」
「信ずるに値するために如何に伝に務めるか」
これらをどれだけ使い熟して
これまでの自身から脱却させるか
そこには想いや思い遣りが存在していて
それらを受け取るからこそ前へと進められる。
子供が新しい動作を獲得する時も
(おトイレとかお風呂とか自転車とか勉強とか)
大人が行き詰まりや幸せを目指す時も
(ビジネスとか恋愛とか生活そのものとか)
どんな年齢になろうとも
この流れと中身だけは変わるものではないのです。
それまでの自身や
それまでの考えに拘り続けると云う事は
過去の恐怖に身を委ねているのと同義です。
確かに恐いものではありますが、
それを言っていたら何も成長しませんし
進化する事も出来ません。
恐いからこそ、その根源をちゃんと視る。
信ずるに値させる為によく会話をする。
(ここでの会話には触れ合いも入ります)
信ずる相手との共感によって分散させる。
これらを放棄する動きが過去への拘りであり
過去への自身への甘え
つまり、「自分本位」となるのです。
僕らは常に成長と進化を目指しています。
そのサイズはとてもとても小さいですが、
その小さいものの積重ねが
大きいものの獲得へと繋がるのですからね。
恐怖に負けて楽を取り
自に堕ちるような真似をしない様に
努力をしていくことが
僕らが産まれてきた目的の一つなのですから。
新たな気持ち
新たな感覚
新たな知識
新たな経験を
得ていくんやで



