2026年3月19日木曜日

心の理解度(実戦シリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は動き方について
お話をしたいと思います。




人と話をする中で「分かる分かる」と
簡単に共感が出来る物事などは

非常に浅い領域の話であって
どうでもいい事が殆どです。

真に共感をしてほしい事や
分かってもらえると安心したり
嬉しかったりする物事というのは、

聴いているその人が経験した事のある
物事でないと、その共感は得られません。

ましてや、理解などと云う事は
はたはた遠い話となります。

この共感を「心の理解度」と云います。

過去に有った体験が元となって
人は性格を形成していきます。

嬉しい事や幸せなことだけでなく
心を傷付ける様な出来事や
苛烈な出来事が起きたりすると

ちょっとした歪みが作られたりします。

その歪みは一般常識や社会通念とは
ごく微量ではありますが
懸け離れたりするもので

自身は常識を全うしているのに、
何故なのかと深く思い悩んだりします。

また、それを人に相談した際に
話を聴く側の経験が乏しい場合や
同様の経験を熟していない場合ですと、

相談の意図や話の真意、
心根の深さを共感する事が不可能となるので

答えるにしても
当たり障りのない回答であったり、
聴く側の保身に走る内容であったりします。




その回答は相談する側の
求めているものではないので落胆に繋がります。

そういう事を繰り返してしまいますから
結果として、

「言っても分からない話はしない」

と、いう結論となってしまいます。
この手の経験をされている方々は、

元々ニッチな経験や過去だというのを
理解していますからね
当りが少ない事自体を承知しているのです。

それでも相談をしたり、
話を聴いて欲しい時がある。

しかし、中々真意が伝わらないから
自己解決が常となってしまうのです。
とても哀しい現実です。

全く常識外れではないのに、
世間的な声としては常識外れとなってしまう。

そのズレや歪みを胸の中に抱えたまま
ある種の偽りを貫いていくという過酷な現実。

大きく心を傷付ける事無く、
普通に何ら問題なく生活をしてきた人には
決して分からない矛盾だらけの心内。

例え、家族であっても理解に繋げるのが困難な
「痛みの咀嚼」や「心の共感」
と、いうものがあるのです。

この点を理解出来る人は限られていますから、
そうでない人であるならば
テキトーな事を答えるのではなく、

「自分には分からない」
と、明言する勇気が必要です。

手持ちのデバイスで調べればそれっぽい答えが
直ぐ分かる世の中ですが、それは正答ではない。

便利な時代だからこそ、
分からないものは分からないと素直に言えないと
信に徹するには程遠いものとなってしまうのですよ。

経験したからこそ
本質を共感出来る
そういう存在に
なれる様に
努力するんやで