今回は動き方について
お話をしたいと思います。
小さい幸せと同様に
「小さい念」が存在します。
小さい恨みとも言えますし
小さい悪意とも言えます。
小さい幸せが自身の努力によって
気付けたり得たりするものに対し、
小さい念というのは、
個々人が勝手に発してしまうものです。
別に努力の様な触媒は必要がない。
どんな場面に於いても
勝手に出てきてしまうので、
努力が必要とするならば発した後になります。
周りから飛んできた小さい念を
受け流したりする為の努力や技術は
確かに必要ですしまだ分かりますが、
小さい念を自身から発動させずに
抑え込んだり消したり
などと云うのは困難を極めます。
ほぼ無理とも云える動きです。
何故なら、小さい念の発生要件が
自身の感情に依存しているからです。
自身の感情に依存しているという事は
抑えたり消すとなると、
「感情そのものをどうにかする」
と、いう事になります。
確かに一定量の感情の制御は可能ですが、
全般的な制御となると話は別です。
それは人間を辞める
と、言っても過言ではない動きです。
ましてや、小さい念が発生する感情は
喜怒哀楽の全てです。
怒りや哀しみの様な俗に言う
「消極的な感情」の部分だけではないのです。
喜びなどの「積極的な感情」で
どうして小さい念が発生するのか
意味が分からないと思いますが、
小さい念の発生場所は貴方だけに限らない。
と、云えば
身に覚えが湧いてくる筈です。
人の喜びを
素直に共感出来る存在ばかりではない。
疎ましく思ったり妬んだり
羨んだり嫉んだり。
つまり、小さい念を発動させずに
消すとなると喜怒哀楽の感情全てを
消去するに近い形で抑えなければいけない。
という意味になるのです。
それはもはや人間とは言い難いですし、
生の人間には不可能な動きです。
小さい幸せと同様に小さい念も
累積によって大きい念へと変貌します。
大きい念になると見える形で災いが発生する。
これを「厄」と言います。
厄を回避する為に人は様々な動きをしますが、
基本的にはどの厄払いもその事実のみに
目を当てるだけで、原因には言及しません。
そして、外からの部分のみに焦点を当てるので
内から発する部分は些末な方法で終わる。
よく言いますよね、笑顔を絶やさずにとかって。
以前も話しましたが、笑顔と云うのは
適切な場でのみ効果を発揮するものです。
常に喜ぶ様にしたところで、
周りの念を消せるものではないのです。
本当に小さい念をどうにかしたいのであれば、
それを自身も常に発しているのだと認める事。
自分はやっていない。やらない。
出さない様にしよう。ではなくて、
人なのだから出ちまうものは仕方ない。
その分、想いの形とも云うべき
小さい幸せに気が付こう見付けよう。
この動きに持っていかないといけません。
想念と言って、想いと念は表裏一体です。
累積した念を相殺するには想いしかないのです。
世に出回っている片側だけにメリットデメリットを
見出す様な動きや、勧善懲悪から完璧主義へと
帰結させようする動きは
何処まで行っても机上の空論に過ぎません。
ですので、常にニュートラルに立ち
両側を視て理解し認識する事自体が重要なのだと、
本来のスピリチュアルでは教えている訳です。
善悪は手段であり
目的ではない
正義の味方も
敵からすれば
悪の権化なんやで



