2022年11月26日土曜日

ちゃんと考えるということ(気付きシリーズ)

皆さんこんばんは、あにきです^^

さて、前回の続きです。
俗的な物事を望まないにしても、
一体何をどうすれば良いのか?
というお話です。




まず、根本的な事なのですが、
俗的な物事を望んでも意味ないよ!
と言うと、それじゃやっぱり
聖人君子みたく振る舞ったり、
それを目指せばいいんですね!

と、考えてしまう人が結構いるんですが、
それは大いに間違っています。
何故か?
聖人君子みたいな生き方なんて
絶対に無理だし、
何も考えてない証拠でもある。

ぶっちゃけ現実的ではないですもんね?
そもそも、そうやって考える事自体が
大間違いで、要は人間らしくすることが
振る舞うことがとても重要になってくるのね。




人間らしくってのは、
ちゃんと意識して感情を持って生活して、
成功もすれば失敗もする。

その中で、反省をして次に活かす努力をする。
これがここで言うところの人間らしさ。
あれもダメ、これもダメとか、
そういうんじゃないんですね。

そして、その過程で少しでも物事に気が付く様に、
常に意識して生活をする。
ただボケーッと過ごすのではなくて、
色々と意識をするんです。

これが気付きへの近道であり、
気付きを増やすための第一歩になります。




では、実際に意識って何を?
という事なんですが、
これは全てにおいての話になるので、
ちょっと難しいんだけど、ことは単純で、
普段無意識で行っている事を
無意識でしなければいい。

意味が分からないよね?^^;

なので、意識するという意味を知る事ができる
とても簡単な方法を一つ教えます。

それは呼吸です。

完全に無意識で行っているよね。呼吸。
これを意識してやってみるんです。
息を止めて苦しくなって吸うんでも良いし、
全部吐き出してから吸うんでも良い。

この時は、呼吸を全力で意識していますよね?
普段は何も考えないはずなのに。




そして、この時に一体何を得たのか?
を、考えるんです。
ただ、苦しみから楽になっただけじゃなくて、
どういう風に身体が機能して、
何を身体に入れているのか?

どうして、こんなに苦しかったのか?
なんで、直ぐに楽になったのか?
(色々な理由を考えて...)
息が出来るのって幸せなのかも…

という部分まで考えられるかられないか?
当たり前に享受している幸せに気付けるか
気付けないか?

と、ここまでの過程そのもの、
事象そのものが気付きから小さい幸せまでの
一例です。




こんなの幸せになんか入らない!
全く意味が分からない!
あほらしい。。。
くだらない…

と、考えてしまった方もいると
思うんですけど、
それ、呼吸器疾患の方とかの前で言えますか?
同じ様に思えますか?
人工呼吸器を付けてる人の前で言えますか?

ここで罪悪感や情けなさを感じたり、
反省したりするところまでが、
ここでいう気付き。

普段自分がどれほど無意識で動いていたのか?
ちょっとは意識した方が良いのかもと、
次に活かそうと決断して行動するのが、
ここでいう反省。

ひょっとしたら、こんな事でも無意識なんだから、
普段の会話とか触れ合いとか、人付き合いとか
子育てとか、
色々な面で無意識だったのかも知れない…
ちょっと見直してみよう…
と、考える事がここでいう懺悔。




それらの先で、新たに気が付く何かがあった時、
見付けることが出来た事こそが、
ここでいう小さい幸せ。

これをあらゆる局面で繰り返して積んでいく。
だから、聖人君子なんてふざけたことを
考えるよりも、自分を信じて相手を信じて
思いやりの心、優しさ、愛情を身につける事が
とても大切になってくるんです。

そして、また新しい何かに気が付いていく。
このループを目指していく事こそが、
本当の意味での
私達が実際にやらなきゃならない事なんですね。