2025年8月14日木曜日

先を見据える(実戦シリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は考え方について
お話をしたいと思います。




物事というのは、
覚えようと思っても
なかなかどうして
覚えられるものではありません。

僕もセッションやレクチャーを
通じて色々と教えていますが、

その場で話を必死に書いたところで
綺麗に纏めたところで
決して覚えられるものではないのです。

ですが、話を書いたりするのは
とても良い事ですし
拒否も否定もしていませんよ。

ただ、覚えられないのです。
文字での記録に残せても
そこで変に自分を納得させて
終いとしてしまうから
記憶に残せないのです。

覚える為に足りていないのは
「使う」という行為です。




物事は使って初めて覚えます。
逆に、使っていないと忘れます。

記憶に留める事が難しいのです。

人は五感をフルに活用した際に
記憶へと残す事が可能です。
頭の中だけで覚えようとしても

「使う」が発生しないと
実際に身には入りません。

言語しかり、何かの作業然り、
使っているから覚えられますが、
使っていないと忘れるでしょ。

例えば、
書く事をしていないと、
読めるけども書けないですよね。

それは頭だけではなく
「手」でも覚えているから。

歌を歌う時、いちいち頭に歌詞を
浮かべたりはしないでしょ。
それは「口」や「耳」でも覚えているから。

だから、実際に歌わないで
脳内再生しているだけだと
口にした時に異常に詰まりますよね。
それは「使っていない」からです。




本来のスピリチュアルも同様で
使うからこそ覚えられます。

文字で書いたりするだけで
覚えられるのであれば
誰も苦労はしません。

視たり聴いたりしたものを
文字に起こして記録したなら
それは必ず使わないと
その意味は消失します。

また、一生懸命に文字に起こしていても
今度は「聴く」事を疎かにするから
やはり身には入らないで終わる。

記録をするのは「目的」ではなく
あくまでも使う為の「手段」です。

以前から話していますが、
ここを読むだけでは
決して善くなどなりません。

読んだのならば使わないと意味が無い。
使う努力をしないと意味が無い。

使う努力をして分からなければ聞く。
使う努力自体が分からなければ
尚更聞けばいい。

どこまで行っても常に「使う」を意識して
実践していかなければ
覚える事など出来ないのが
本来のスピリチュアルですからね。

つまり、善くならないという意味です。

日頃のアドバイスを
使わないから
予約が出来ないんや
繁忙期は
先を見据えろと
言った筈やで