今回は、単純な事について
お話をしたいと思います。
人生を全うした後、
良い所へ行きたいか
嫌な所へ行きたいか
こう尋ねられたら、
誰しもが良い所へ行きたいと
考える筈です。
では、
実際のところ良い所へ行くのは
簡単なのでしょうか?
特段、難しくなく
行けるものなのでしょうか?
あにきに言わせると、
そんな簡単なものではないです。
ただボケっと生きているだけでは、
ほぼほぼ地獄堕ちします。
そんな簡単に浄土へ行けるのであれば
何もわざわざ
この世に産まれてくる必要なんて無いです。
浄土へ行ける絶対条件の一つに
「幸せの度合いの向上」
というのがあります。
人には一人一人
幸せの度合いというのがありまして、
それを人生内にて如何に増やすか
つまり向上させる事が出来るか?
というのが、
人共通の生きる上でのお題目です。
で、
これをある程度向上する事が出来た人が
浄土へ行く切符を手に入れられます。
それは、かなりの難易度でして、
この世に居るのだから
この世の理、人の世の理を
守っていれば行ける訳でなく
この世に居ながらにして
向こうの世界の理を守りつつ
業を積み重ねていく。
というのが鍵となります。
この世の理を馬鹿の一つ覚え宜しく
ただ守っているだけでは駄目なのです。
それであるならば、
この世の理、要は人の法のみを
遵守していれば良いという事になります。
それですと、国や地域によって
差が発生しますよね。
何よりも、神仏を否定する事に繋がります。
人をベースにして
守っていれば良い訳ですから
どんな売り文句を述べたって、
神仏などただのお飾りという事になります。
これ、普通に考えて、
とても大きなパラドックスです。
日本に居るとピンと来難いですが、
世界を見渡すと宗教をベースにしている法や
国が結構多いですからね。
それを否定すれば、良い所へ行ける?
別にあにきは宗教家ではないですけれど、
それって何か違くね?
それに、この論理でいきますと、
この世の理さえ守っていれば
どんなクズでも良い所へ行ける。
という話にもなります。
生きていれば分かりますが、
皆が皆、必ずしも
法で裁かれる訳ではないですよね?
明らかに罪が黒の人でも、
法に違反さえしていなければ
裁かれる事は無いです。
貴方の周りを見渡してみて下さい。
皆さん罪なき真っ白で良い人ですか?
貴方自身はどうですか?
心も体も真っ白クリーン?
どう考えてもそれはないです。
それであるならば、
この世はもっと平和ですもの。
警察すら必要ないですよね。
基本的にボケっと生きていると
自然と罪を作ってしまうのが人。
その罪というのは、
この世の理に於ける罪ではなくて、
向こうの世界の理に於ける罪です。
以前にもご紹介しましたが、
向こうの世界の理での罪は大枠で
【 八罪 】
というのが、あります。
【業の断ち切り】
【業の放棄】
【他への辱め】
【自への辱め】
【信に徹さない】
【伝に務めない】
【勇を用いない】
【自に堕ちる】
これですね。
簡単に言えば、
この世の理を守りつつ
これを犯さない様にしながら
生きていく。
とても難しいですが、
その過程の中での苦楽を経験する事で
幸せの度合いが向上していく。
詰まるところ、徳を積むという話です。
ただ、徳を積むって言っても
よく分からないだろうから、
あにきとしては、
まずは小さい幸せを見付けてこうね!
っていう、とても簡単な方法で
教えている訳です。
どうしてもこういうのって
自分の周りだけで考えがちですが、
人なんですから、
全人類単位で考えないといけません。
そうやって考えると、
良い所へ行くのなんて簡単な訳ないって
直ぐに分かりそうなものですけどね。
先ほども述べましたが、
国境線を跨いだ瞬間に文化や法が
変わるんですよ?
それとは別の基準が存在していると
考えるのが普通だと思います。
(実際に存在しているんだけども...)
言及はしませんけどね、
簡単だと言うのであれば、
何か別の思惑が存在していると
考えるのが妥当だと思いますよ。





