今回は動き方について
お話をしたいと思います。
自分本位思考というのは
誰の中にでも存在します。
自分は気を付けているから大丈夫と
思っていても必ず存在します。
寧ろ、そう考えていると
制御が効かなくてエライ目に遭います。
それ程に身近なものであり、
切っても切れない俗欲が
自分本位というものです。
そんな自分の中の自分本位思考を
目で見て確認出来るのなら
これほど助かるものはないですね。
では、どうやってそれをやるのか。
難しく考える必要は全くありません。
ここを読めば良いのです。
ここというのは、
このクソブログ自体の事です。
難しいですよね。これ。
わざと難解に書いてる訳ではなくて
この方が「書き易い」だけです。
「読み易さ」という点に焦点を絞りこんだ
書き方も実際には出来ます。
ですが、最早その段階ではなくて
「濃い内容」に焦点を合わせた方が
皆さんの為になりますし、
濃くするのであれば投稿頻度も
増やす必要がありますから、
書き易さ重視にしているのですね。
こんな書き方が書き易いなんて
イカれてるとしか思えないでしょうけど、
昔取った杵柄としか言えないので
こればっかりは仕方ないです。
さて、何故この話が自分の中の自分本位に
繋がるのかと言いますと。
ここを最近初めて読んだ方の殆どが
難しいと思われた筈です。
実際、直接そういうお声も耳にしています。
ですが、それは最新の記事とかを
読まれているからに過ぎません。
バックナンバーを読めば分かりますが、
先程述べた通り直近の記事と比べると
段違いに読み易くなっています。
と、言いますか、
書き方そのものが今と違います。
とても入り易くなっています。
最初の記事から読めばいいのを
横着したのは何故ですかね。
こうして言われてみると
最初という基本を読みもしていないのに
難しいと断定するのは
些か違うのではないかと思いませんか。
そう思えたのであれば、
それが「貴方の中の自分本位」です。
書き手には書き手の思惑があります。
読み手はそこを読み取ってこその
読み手です。
これが書き物に於ける「気持ちの咀嚼」であり、
想いの遣り取りであり「思い遣り」です。
けれども、そこを横着という俗欲の型を
実行させたのは誰でもない貴方です。
「新しい情報が欲しい」
「気になるものだけ欲しい」
「全部読むのは面倒臭いから」
挙げたらキリがないですが、
横着の要因は概ねこんなところでしょう。
見事なまでの俗欲であり、
改めて言われてしまうと
呆れる程の自分本位思考ですよね。
敢えてディスった感じで話しましたが
この様に自分本位思考なんてものは、
誰でも抱えているものなのです。
ここでいちいちショックを受けるのではなく
はたとその事実のみを受け止める。
「私は大丈夫だった」とか
「そんな風には思っていない」とか
「書き方が悪い」とか
何やかんやと言い訳をして
「嫌な事実」から目を背けるのではなく
素直に「自分の中の自分本位」を受け止める。
このサイクルを日々繰り返す事が
駄目な自分の制御に繋がっていき、
愉しみを増やして運気を上げていくのです。
何事にも基本や基礎というものが存在します。
その土台なくして応用をする事は叶いません。
対人で言うところの、
「斜め読み」や「流し聞き」がこれに該当します。
ですから、
「よく視てよく聴いてよく考える」事が
大切になってくるのですからね。
どうしても楽したい
自分は大丈夫
自分は悪くないと
思う人が
貧乏神になるんやで


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