皆さんこんにちは、あにきです^^
今回も人を見極め事に繋がる話です。
普段からセッションを行っていて、
とても多いなと感じるのが、
「自分を信じる」
という意味を理解していない人の多さです。
自分を信じるというのは、
そのまま解釈をすれば説明もクソもないんですが、
どうしてか、
「自分だけを信じる」「自分以外を信じない」
「自分の中に引きこもる」
と言った解釈をしている方が多数見受けられます。
はじめまして!
で、お話しする人でこういう解釈をしている方が
結構多くて、大抵の場合すぐに指摘されて
ハッ( ゚д゚)ハッ! っと、気が付いて目付きが変わります。
ですが、中には何回話しても理解が出来ない人もいます。
そういう方の特徴は分かりやすくて、
必死に
「みんなが理解してくれない」とか、
「(周りを)良くしたいだけなのに理解されない」といった
言動を終始繰り返します。
これって、完全に自分の中に引きこもってしまっていて、
外界をシャットアウトしている状態なんですね。
そのシャットアウトも、
本人が原因というのを認められないので、
そこを突っ込むと、周りが悪いという返答をしてきます。
つまり、自分は悪くない、周りが悪い。
けど、その体裁をも隠そうとするので、
誰も悪くないみたいな言い方を貫きます。
話をしていると分かるんですが、
被疑者無き被害妄想なんですね。
どうして、こういう事が起きるのかというと、
ある感情と思考を封鎖してしまっているからなんです。
何かというと、怒りと反省です。
必要以上に臆病になってしまっていたり、
後出しじゃんけんが癖になっていたり、
必要以上に自己肯定感や顕示欲が強かったりすると、
素直さが減少していって、傲慢さが出るのと同時に
自分が悪くても謝罪は疎か反省もしなくなる。
当初こそ怒りはあれども、その矛先が相手ではなく
どんどん自分自身へ向いていく。
結果、
「肯定風否定をする被疑者無き被害妄想思考」が
身に染みてしまう。
ここまで来ると、自分を信じようにも
自分そのものを失っているので、
信じる対象が出てこないんですね。
また、感情も思考も極度に内側に向きまくるんで、
外に出さなきゃいけない想い(念)が、
どんどんと溜まっていく。
溜まっていく一方で無くなりませんから、
どこかのタイミングで必ずパンクする。
そうなると、本能的な想い(念)つまり
恨みつらみ妬み嫉み快楽醜愛享楽物欲金欲などを
一方的に外へ飛ばすようになる。
これが生霊を飛ばす人と
生霊と呼ばれる念の正体であり、
貧乏神と呼ばれる人の中身です。
だから、自分を信じなきゃいけない。
自分を信じられなきゃ人も信じられない。
自分の殻に閉じこもんないで周りも視なきゃいけない。
周りばっかり視ていても同じ結末となるから、
やはり自分も視ないといけない。
そして、それは個々人で内容が違うから
その人に合ったバランスの取り方をしないといけない。
その為のきっかけをあらゆる方向から作っているのが
あにきのセッションなんですね。




