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2026年6月27日土曜日

決して楽にはなれぬ現実(実戦シリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は動き方について
お話をしたいと思います。




悪霊と云う存在がいます。
死してなお俗欲に執着を
続ける存在の総称になるのですが、

この悪霊とは、
どの様にして生まれるのでしょうか。

端的に云うと、
何かしらの執着を切り離せない場合に
死後悪霊と化します。

生への執着かも知れませんし、
やりたい事への執着かも知れません。

単に生前の思考を
肉体が無い状態で続けようとする執着
と、いう場合もあります。

強い恨みなどで悪霊化してしまう様な
ケースもあります。

この「恨み」という部分は、
言い難いのですが殺害されてしまった等の
悲しいケースも含まれます。

ただ、
1つ誤解の無い様にして頂きたいのは、

「悲惨な死を遂げたからと言って
必ず悪霊と化す訳ではない」

と、いう点です。

悪霊と化すのは俗欲への執着が基本です。
仮に悲しくも
非業の死を遂げてしまったとして

亡くなった方がどんな形でも
それを受入れているのであれば、
悪霊と化す事は無いのです。




寧ろ、俗欲への執着という点で云うならば、
手を下した人間の方が悪霊化し易いです。
何故ならば、俗欲に溺れた結果
手を下した訳ですからね。

また、恨みの連鎖や負の螺旋という
影響力が働きますから、
亡くなられたご遺族などの方が死後に
悪霊化してしまうという事も少なくないです。

これらはどんな形であれとても悲痛な事です。
出来る事なら悪霊化は防止したい。
僕がずっと胸に秘めている
原動力たる想いです。

その中に、
貧乏神化防止というものがあります。

生前に貧乏神と化してしまうと、
その存在は死後確実に悪霊と化します。

貧乏神という存在は、
現世に於ける社会の中での善悪は
まるで関係の無い存在です。

つまり、
普通の人でも貧乏神にはなるのです。

本来のスピリチュアルは、
ここを可能な限り防ぐためにあるものです。
ですが、それは当人に
委ねられるものですので

自ずと限界点が生じてしまいます。

人らしく生き、俗欲に溺れずに制御する。
失敗を恐れずに人間味を大切にして、
前へ向かって進む過程で
向こうの世界の理を護る努力をする。

早い話が、「想い」を軸とした
考え方や動き方をしようねってやつです。

悪霊と化した存在の末路は悲惨ですからね。

哀しみどころか
世代を超えて
連綿とした
恨みの連鎖を
生んでしまうのが
貧乏神や悪霊化です
ええこと無いんやで

2026年5月22日金曜日

自分を持つ(実戦シリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は動き方について
お話をしたいと思います。




何をするにしても上手く捗らない
行動の結果に至るまでの因果の中で
原因を他へ求めてしまう。

物や人の所為にするというやつですね。

この状態に陥ってる時は
高確率で自分というものを見失っています。

もう少し掘り下げてみると、
「人に合わせてしまっている」状態です。

何かの判断や決断をする際に
人の意見を聞いたり、
きっかけを貰う事は間々あります。

しかし、それはあくまでも
第三者からの助言や提唱であって

決断をするのは自分自身なのですね。

この意見を聞くという段階で
自分で思考する事を放棄してしまっていると

その他者の意見を
都合よく自身の意見として捉えるので
己の責任すらも他へ転嫁してしまいます。

当然ながら、
そこから派生する判断や決断も
他人任せという流れとなります。

この様な態様を至極当然だと認識する人は
何をやっても上手くいく事はありません。

そこに「自身の意思」や「自分を持つ」
と、いう思慮そのものが存在しないからです。




自己意思や自分を持たないで
先述した通り他者任せとなってしまうと、
そこに努力の価値を見出す事が適いません。

所謂、「ヤル気が出ない状態」となるのですね。

自らの意思で自らが決断し覚悟を決めるから
前へ動こうとする推進力を得る事が出来ます。

どんな事でも良いですが、想像してみて下さい。
人に「やれ」と言われて行う事よりも
自分で「やろう」と考えた方が
断然動き易くなりますよね。

例え、行動した結果が失敗だったとしても
自身で覚悟を決めて動いた事であれば

そこに一定の責任を背負いこみますから
決して後悔などはしない筈です。

また、それに伴う反省をする事も可能です。

これらの動きを本来のスピリチュアルでは
「正の螺旋」と呼称しています。




善い動きの因果律の中で、
どうしても繰返しと捉えがちですが
そこには時間と空間の概念が必ず加味されます。

つまり、物事や事象に関しては
時間が進む力が物理的に添加されるという意味です。

なので、繰返しですとその形状は「円」ですが、
円に対して推進力を加えると
それはスパイラル=螺旋という形状となるのです。

同じ様な事をしていたとしても、
全く同じには成り得ない事象の進み方の概念です。

少し話が逸れましたが、
この正の螺旋に乗る為に必要なのが
「自分(自己意思)」です。

この自分を持つために必須な動きが、
「やたらと人に合わせない」という姿勢です。

人に合わせれば合わせる程に、
自己意思の減衰は速度を増します。

社会通念上、合わせる必要がある善い部分と
楽を目的とした合わせようとする俗欲の部分。

これらをしっかりと見定めて
腹を括って決断し率先して動く
と、いう業が出来ないと

念頭でお話をした様な上手く捗らない状態へと
滑落していくのです。

この上手くいかない流れの事を
「負の螺旋」と呼称しています。

そして、負の螺旋の流れは
「堕落」そのものですから、行き着く先は
生きている内は「貧乏神」
死んだ後は「悪霊化」を経て「地獄行き」となります。

どの道、皆さんが望む様な幸せとは
程遠い結果となるという流れなのですね。

文字や言葉でこういった事を視聴きしても
この流れがどれだけヤバいのかは
全くピンと来ないと思います。

元々、分かり難い話ですし
そういった内容なので全然構わないのですが、

せっかくなのでこの「ヤバさ」を
記載した本日より三日間の内に
皆さんの夢の中で味わえる様にしてみますね。
2026.5.22~2026.5.25

偶にはこういった遊びもいいでしょう。

貧乏神、生霊、
悪霊、地獄とその先
これらの一端を
視れる様に頑張ります
おっかなくても
ノークレームで
お願いなんやで

2025年7月23日水曜日

己にも当て嵌まる隙(実戦シリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は動き方について
お話をしたいと思います。




物事が上手いこと運ばない。
そういった状態の時に、

「何か憑いてるかも」
「誰それの念の所為かも」

などと、
戯言を口にする人が居ますね。
この手の台詞を吐く人を見掛けたら

自分本位思考の人なのだと
仮説を立てるのが基本です。

そもそも論で、
分かり易い程に貧乏神の特徴が
出ているのであれば
見抜く際の問題となり難いのですが、

そうでないパターンの場合の方が
数としては多いです。

その際の見極めポイントの一つとして
前述の台詞があるという事ですね。




この手の台詞を口にする人は、

「あまり意味を考えていない人」
「その台詞の通りに思考している人」
との、二種類に分かれます。

前者は中立的念基軸なタイプ
後者は念基軸なタイプ

前者は、その場のノリで口にしたり
言ってみたりする場合が多く、
どっちかというと念基軸。

みたいな、本当に想いと念の
中間に位置している状態の人です。

善く言えば、中立。
悪く言えば、風見鶏。

後者の場合は、
本気でこの台詞を口にしているので
自分の動き方や考え方が原因で
今の結果となっているなど、

露にも思わないですし
説明をしても到底納得出来ない程には
念基軸で生きてしまっている状態の人です。




自分の思う様に進められないから
悪霊や他人の所為にするというのは、
物凄く情けない思考ですし
他力本願極まりないですね。

では、良い事があった場合も
何かのお陰にするのかと言えば、
そこはちゃっかり自分の手柄とする。

こういう思考で日々の業をしてしまうと
同じ穴の狢が寄ってくる事になるので、
運気はどんどん低下していくのです。

また、誰かの所為にする様な台詞を
吐くという事は、
その台詞にも言霊が宿る訳ですね。

五感の全てを使って
全力で念や悪霊を呼び寄せ、
全力で自に堕ちる方へと突き進む。

物事が上手くいかないのは、
どんなに言っても
自分が原因でしかありません。

自分が馬鹿な考えを持って
バカな動き方をすれば、
そりゃ上手く進まないのは当たり前。

この思考をどこまでも危険因子として
自身の中に留めておくのが重要です。

「私は理解しているから大丈夫」

なんて、思っていたら危ない危ない。
貴方の中の自分本位と駄目な自分に

あっという間に引き込まれて
貧乏神へと退化してしまいますからね。

いつ如何なる時も
自分の中の
危険因子の存在を
制御する事が
大切なんやで

2025年5月4日日曜日

霊のせい(実戦シリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は考え方について
お話をしたいと思います。




「自分は何かに憑りつかれていますか」

よく耳にするこの台詞ですが、
大概の場合は

「ご自身が上手くいっていない」とか、

「安心が欲しい」とか

「何となく聞いてみた」とか、

身勝手な不安から社交辞令的な意味合いまで
縷々様々な考えの上にて
口にされているのだと思うのですね。

まぁ、聞きたいですよね
それは分かります。

ですが、従前から話している通り、
この台詞は好きにはなれません。

社交辞令としてならまだ理解出来ますが、
その他となるとやはり複雑です。

ご自身が上手くいかないのも
不安を抱えている事も

全てはご自身が原因なのですから
「霊の所為」とするのは、
いくら何でもお化けに失礼というものです。




悪霊や生霊に目を付けれらるのは
そういう気質を
ご自身が纏っているからです。

何かの理由で「隙」が生じていなければ
そうそう簡単に憑依されるものでは
ありませんからね。

また、ご自身をちゃんと見詰めないで
何かと人や物の所為にする思考が強いと
「自己憑依」という状況にも陥ります。

その先にあるのは、
何をやっても上手くいかない消失感と
何をしても満たされない焦燥感です。

そして、他者を恨みながら
いずれは貧乏神へと堕ちていく。

運気というのは、
何か特別な存在に
設定されているものではなく、

「自分で創り上げるもの」です。

運気を上げるも下げるも
「己次第」という事です。




それを自ら手離してしまう様な愚行の
急先鋒的な台詞が

「自分は何かに憑りつかれていますか」

で、あるとも言えます。

ちょっと強引とも思えるかも知れませんが、
言わない方が良いのは確かな台詞です。

何故ならば、
貴方の周りには悪霊よりも
善いお化けの方が圧倒的に多いんですよ。

彼等の存在をガン無視して
自身の不埒な言葉に酔いしれる。

そういった言葉も
彼等はちゃんと聞いてます。

ご自分が善いお化けだとして
想像してみて下さいな。

そんなネガティブ思考で
ご都合主義的な奴の近くに居たり
助けてあげたいとかって思いますか。

下手したら助けてあげても
悪霊扱いされてしまうかも知れないのに。

面倒臭いし放っておこうと思いますよ。
実際、善いお化けはそうやって動きます。
近くに居て気分の善い人に
寄り添うものです。

霊=人であって人=霊です。
日頃から思い遣りを持つ大切さが
こういう点でも良い方向へと繋がるのです。

真剣に己を見詰めて
真剣に周りを想って
初めて上向きに
なるのが運気やで

2025年4月19日土曜日

霊の感知を人に利用する(実戦シリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は考え方について
お話をしたいと思います。




「霊を感知する」

と、言いますと、大概の人は
悪霊などを想像するのかと思いますが、
それはあまりにも偏り過ぎてる思考です。

狭間の世界に滞在している霊の
凡そ8割が所謂「善い霊」です。

悪霊等は残りの2割なので
数で言うと少数派なのですね。

であるならば、
霊を感知すると考えるならば
「善い霊」を
真っ先に思い浮かべないとおかしい
という事になります。

これは本当の盲点でして

「霊=悪」

という先入観や間違った認識による
固定観念からの思い込みなのですね。

また、「悪霊だと思いたい」という
霊を悪者と決め付けてしまう
ご本人の問題でもあります。




悪霊に思いを馳せる人というのは
自身にもその気質があると
断言しても良い状態と言えます。

早い話が、

「自分本位で自己優位性重視の
貧乏神気質の人」

なのではないかという事です。

例えばですが、
「私は霊が視えるの」とか
「私は分かるのよ」系の人などが
貴方の身近な所にも居るかと思います。

この手の方々がこれらの台詞を
口にする際というのは、
殆どの場合が悪霊を指しています。

「肩が凝っている」とか
「嫌な事が続いている」とか

その手の話を耳にしたからとは言え、
相手の状況が悪い時だけ霊的文言を
吐くのは、おかしいと思いませんか。

本当に分かるのなら
相手さんの調子が善い時や
何でもない時にこそ
何かしらを伝えていないといけません。

霊=悪ではないのですから。




ちゃんとした意味で霊の感知が出来ると
善い霊の感知が圧倒的に増えます。

というよりも、それが普通です。

善い霊の感知が出来れば
悪い霊の感知はとても容易です。

何故ならば、
この場合ですと明朗な「違和感」として
貴方の感覚が検知するからです。

この「違和感」を人に利用します。

悪霊というのは生前から片鱗が出ます。

それが貧乏神であり貧乏神気質の人
という存在なのです。

霊は人であり人は霊です。

「生きて肉体を纏っているか」
「死んで肉体を失しているか」

端的に言えばこれだけの違いなのです。

一般的には視えない存在の善し悪しを
自己判断出来てしまえば、

肉体という殻を纏っている人が
幾ら表面上で誤魔化していても
その中身は筒抜けに近い状態となります。

こうして誰もが実生活の中での
実戦的有効活用を可能とさせるのが、
本来のスピリチュアルなのです。

悪い事ばかりを
口にする奴は
総じて嫌な奴と
相場が決まって
いるんやで

2025年4月10日木曜日

感覚を日常で使う(実戦シリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は動き方について
お話をしたいと思います。




人は様々な感覚を使ったり
憶えたりする事が可能です。
その感覚を基準として
研ぎ澄ませたものが「霊視」です。

前々から述べていますが、
霊視は五感が基本となります。

「霊」と付くので、
悪霊や生霊などを視る事だけだと
考えてしまいがちですが
そうではありません。

「霊体を通して視る」から霊視です。

別に、霊を視る事ではないのを
忘れてはいけません。

そして、
文字上ですと「視る」とは書きますが
ここには五感の全てが入ります。

視る聴く嗅ぐ味わう触れる

霊体を通して五感を使って視るのですね。




ですから、
日常の生活内で霊以外に対して
使う事が可能です。

例えば疾患系の匂いです。

ウィルスや菌などを起因としている
風邪等の疾患ですと必ず臭いがします。
消毒薬に酸味を加えた様な臭いです。

疲労が溜まっていたりすると
ホルモン性の臭いに近いものが
頭や背中などから出てきます。

消火器系の疾患などですと、
症状の強さに応じてですが
粘度のある酸味に焦げっぽさが
加わった様な臭いが口腔や
その対象部から出てきます。

泌尿器系の疾患ですと、
粘度のある甘みと苦みを含んだ
ちょっと不快な臭いが
背中や下半身を中心に出てきます。


これらに見た目や音など
何かしらの異変や違和感を
複合的に感じ取って分析精査します。

あくまでもあにきの場合ですが、
異常を感知したら医療機関での受診を
お薦めしています。

明朗に幽体や霊体を
起としているものであれば
ヒーリング等の霊精治癒の対象と
考えても結構なのかなとは思いますが、

肉体が起となるものに関しては
医療機関での治療が確実です。

あにきの見解としては、
個々人が状況を現実的に捉えて
霊精治癒や通常医療の
適宜ハイブリッド対処というのが
理想的なのかなと考えています。

スピリチュアル業界然り
医療機関然り
どちらも本当にピンキリですから、

普段のセルフチェックの為にも
自身の感覚と真面目に向き合う事は
大切ですからね。

何となくで
過ごしていると
異変の察知が
遅れるんやで

2025年2月26日水曜日

視える(実戦シリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は考え方について
お話をしたいと思います。




視えない存在が視える。
そういう能力を持っている人に
多く見受けられるのが、

「悪霊への偏り」です。

私は視えるのよ系の人が
意気揚々として話す時、
大抵の場合、悪霊限定だったりします。

本来のスピリチュアルですと、
悪霊も善い霊も普通に視えます。

狭間をうろうろしている霊というのは、
善い霊が圧倒的に多いです。

つまり、「霊=善い霊」だと、
認識する方が普通という形となります。

にも、関わらずその逆を標榜するには、
何かしらの原因があるのだろうと、
捉える方が建設的です。




単に霊をよく知らないので、
分からないから悪霊だと断じている人は
「霊=悪霊」と、決め付けたりします。

これは致命的な知識不足です。

自身が悪霊候補の貧乏神気質なので
善い霊を意図的に排除して、
悪霊を態々引き寄せてしまうという流れを
自ら作っている事もあります。

これは、論外となりますが、
皆さんの想像以上に多いパターンです。

自身が視えるという能力を特別視しており、
優越感という俗欲に溺れてしまっている。

以前に投稿をしました、
「特別の検索」の成れの果てですね。

人から煽てられようが、
もてはやされようが、
視える程度など何ら特別ではありません。

視ようとすれば誰だって視れます。
それが、常時なのか稀なのか
以前にお話をした視え方の云々は別として

視るだけでしたら
誰だって視れるものなのです。




視たいという意気込みと
本来のスピリチュアルに対する全き知識、
万物に対する思い遣りとそれに対する理解。

これらを自分サイズで得る努力をしていけば
必ず視える様になるのが
「霊視」と呼ばれる能力です。

物凄く割愛して書いているので
あっさりとした内容となっていますが、
その実はかなり濃いものとなります。

そうそう簡単ではないのは確かです。
科学的知見も必要ですし、
非科学的要素も必要ですし、
社会常識も必要ですし、
個人としての論理的認識も必要です。

知識力、判断力、理解力、想像力、認識力、
それらを総合的複合的に使って
思考回路を形成していく。

気の遠くなる様な話ではありますが、
その過程の中でついぞ唐突に
視える様になってたりします。

感じられる様になった人は
分かると思いますが、

特別だと思おうとしても
特別感など実感出来ない程に普通の筈です。

そのくらいにありふれた能力が
視えるという能力なのです。

個人力は誰にでも
備わっている
普通の能力
なんやで

2025年2月2日日曜日

思考停止への誘い(実践シリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は動き方について
お話をしたいと思います。




世の中は完全完璧ではないですが、
漫然とその考えが蔓延っています。
所謂、完璧主義ですね。

人は不完全であるが故に
完全たる存在や事象を目指します。

その中で、
自身や万物の不完全を認めて
常に考え続け、
一人一人一つ一つの答えを
求め続ける事に現世の意義はあります。

完璧を目指す事そのものは
決して悪ではありません。
誰しもスタートはそこにありますからね。

憧れや希望、願望という類の感情は
総て完璧を主眼に置いた感情です。

これが無ければ始まらないので、
完璧自体は悪ではないのです。

ところが、この「完璧」という幻想に
溺れ過ぎてしまうと、たちどころに人は
動く事が出来なくなります。

その中枢にあるのが

「思考停止」です。




考えるのを止めるという意味ですが、
これは自身から率先して
思考停止する人も居れば、
思考停止状態へ誘う人も多いです。

人は、思考を停止すると
周辺の存在の意思に流される様になります。

それはまるで
操り人形の様相だと形容しても
過言ではない状態です。

誰かが何かをいい様にしたい時、
決まってそのターゲットたる人を
思考停止へと誘います。

ビジネス然り、犯罪然り、
勧誘然り、社会通念然り、
縷々様々な場面でこれは使われます。

本来であるならば、
自身の意思を以って判断すべき点を
自分以外の存在の意思に委ねてしまう。

その流れに身を任せてしまう。
考えさせずに盲信させてしまえば、
言いなりに出来てしまいますからね。




スピ業界などはその最たるもので、
元来では一人一人の思考を
率先して潤滑させる為のものが
スピリチュアルであるにも関わらず、

善くなりたいという
人の「俗欲」に漬け込んで

逆に、思考停止へと誘い込み
物を売りつけたり、
過剰な金銭を支払わせたりする。

まともな意思であるならば、
現状以上に考えさせる様に
導く事はあっても、

思考を停止させる様な真似を
誘因する事は決してありません。

何故ならそれは、
悪霊や生霊や貧乏神の手口と
全く同じでもあるからです。

これらの存在は、
ターゲットの霊体に対して
直接干渉を施して、思考停止へと誘い
やがて死へと歩ませます。

それが如何に歪で悍ましい行為かを
知っている者であれば、
必ず阻止に務めるものなのです。

人が意思を自ら捨てる様にさえしなければ
騙されたり、徒に不幸へ堕ちる事など
決して起こり得ませんからね。

よく考えるために
よく視て
よく聴いて
判断するんやで

2024年7月27日土曜日

影響力の例え(実践シリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は影響力について
お話をしたいと思います。





以前にも、
善い影響力と悪い影響力について
お話をしましたが、
今回はそれの補足だと思って下さい。

善い影響力にしても悪い影響力にしても
これらはその効果を
直接感じられたとしても

影響の範囲や影響"力"そのものを
目にする事は叶いません。
普通は、当然ですね。

これを可視化させたとしたら
どの様に視えるものなのか

偏に言うと、光や闇として
表わす事が出来ます。





善い影響力を持つ人は、
その人を中心に光で周囲を照らします。
薄っ暗い空間を照らす裸電球みたいな
感じをイメージすると良いですね。

薄暗い場所や仄暗い空間に灯があると
そこを頼りたくて集まりますよね。

そういうイメージです。

その中で、影響力の強さによって
電球ほどの人も居れば
眩しくて目を瞑ってしまう程に
光が強い人も居る。

一般的な意味合いとは違いますが、
仏像などには後光がありますよね?

あれが善い影響力の強さの象徴
と、あにきは考えています。

愛の強さとも言えますね。





それとは逆に、悪い影響力には
明るさではなくて暗さが伴います。

その人を中心に暗く薄黒い靄みたいのが
周囲を含めて覆う感じです。

よく、悪いお化けなんかを見た人が
「黒い人影が居たあれはヤバい」
とか、言ったりするでしょ?

あと、死期が近い人なんかも
黒いものを纏っていたりしてて
それを見た!なんて話も
聞いた事があるのではないでしょうか。

これは生きている人、
とりわけ悪い影響力が強い人にも
同じイメージで説明する事が出来ます。

悪い影響力の強い人は、
その人に引き寄せられた人を巻き込んで
黒い靄で覆っていきます。

もし、可視化出来たとしたら
そういう風に視えると思いますよ。

ちなみにですが、
死期が近い人が黒いものを纏うというのは、
少々言葉が足りてなくてですね、

死後に地獄又はそれに準ずる場へ行く人
つまり死後宜しくない方へ行く人は
黒いものを覆う感じです。

その逆で、死後善い処へ行く人は、
明るい光を纏った様に視えますからね。





もし、影響"力"が視えたとするならば
こういう視え方をします。

では、実際には視えるのか視えないのか。
そりゃ何もしていなければ視えません。

けれども…
日頃から業を善くして、自身の感覚を
研ぎ澄ませていけば目にする事は可能です。

目にすると言っても、その言葉通り
物理的に可視化して見える人も居れば
イメージとして可視化して視える人も居ます。

目にするというのは、
見えるのか?視えるのか?
どちらも同じ意味で同じ価値ですからね。

もし、貴方が視えていたとして
黒いものばかりだとしたら
環境や自身そのものを再検討した方が
良いかも知れませんね。

あと、分かり易くお話ししたくて
人と言う事で説明をしましたが、
これは人だけでなく万物全てに
該当しますからね。補足まで。


2024年3月11日月曜日

生霊悪霊から救えない人(知識UPシリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は久しぶりに
霊的な話をしたいと思います。





世の中には少なからず生霊や
悪霊に憑依されてしまう人が居ます。

そういった事象からの解決を
図るのがあにきの仕事なのですが、

そもそもがそれらの憑依から
救えない人というのも存在します。

どういうタイプの人かを端的に言うと、

「自分を視れない人」です。

自分を視れないというのは、
鏡を見れないとか
そういう物理的な意味ではないです。

自分の心理状態や心を視れない
という様な、
蓋をするタイプの方を指します。





この手のタイプの方は、
ご自分の世界観が全てなので
自分にとって都合の良い世界を
崩す事が出来ません。

その最たる例が、
霊に対する恐怖への打ち勝ちです。

どんなに説明をしても
実話や事例を話をしても、
「霊=怖い」から脱せない。

というか、
ハッキリ言ってしまえば
「脱したくない」が正解です。

霊=怖くない
という本当の意味自体が都合が悪い。
だから、脱したくない。

それを隠す為に「脱さない」に固執する。

そうしておけば、
怖い怖いと皆に言えますし、
同情も買ってもらえます。

「私は特別だから憑依される」と、
ちっぽけな優越感を味わいたい人も居ます。





結局のところ、
実生活内で相手にされていなかったり
人に対して愛情を以って触れる事が
往々にして出来ないから、

こういった歪んだ思想を維持させようとする。

ですが、
この手の人に対しても除霊は出来ます。
あっちいけ~!
と、やれば良いだけですし。

但し、直ぐに元に戻ります。
同じ霊が返って来ない様にしても、
違う霊が直ぐに入り込みます。

何故なら、
当の御本人が霊を拒絶していないからです。

先述した様に、
「憑依されてる自分は特別」
「怖い思いをしてる自分かわいそう」

という点を中心に
優先順位を設けてますから
常に悪霊ウエルカム状態であり、

生活上でも生霊化してる貧乏神に
ほぼほぼ囲まれていますから、
やはりウエルカム状態。

根本的な解決を望んでいないのですから
そりゃ当然に救える筈が無いのです。





そういうタイプの人は、
総じて玄人に対しても自分の意見の
正当性を述べてきます。

このブログで書いている様な事実や
現実は到底受け入れられないからです。

その上で玄人の選別をします。
自分の意見にイエスなら本物。
ノーなら偽者認定します。

では、
その手の人に対してあにきは
どういった対応をするのかというと、

本当の意味で本人を救えないのは
分かっていますが、

ひょっとしたら改心するかも知れないので
それに必要な情報はキチンと教えます。

どんな情報かは記載しませんが、
まぁ、皆さんであれば
「あまり聞きたくない情報」ですね。

これまで結構な人数に
迷惑を掛けてきてるのですから
そのくらいはね、してあげないと!

だってさ、補助霊さんとかに対しても
怖い怖いをするんだよ?
そりゃ、ちょっとはね、
ムカつくよね。