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2026年5月22日金曜日

自分を持つ(実戦シリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は動き方について
お話をしたいと思います。




何をするにしても上手く捗らない
行動の結果に至るまでの因果の中で
原因を他へ求めてしまう。

物や人の所為にするというやつですね。

この状態に陥ってる時は
高確率で自分というものを見失っています。

もう少し掘り下げてみると、
「人に合わせてしまっている」状態です。

何かの判断や決断をする際に
人の意見を聞いたり、
きっかけを貰う事は間々あります。

しかし、それはあくまでも
第三者からの助言や提唱であって

決断をするのは自分自身なのですね。

この意見を聞くという段階で
自分で思考する事を放棄してしまっていると

その他者の意見を
都合よく自身の意見として捉えるので
己の責任すらも他へ転嫁してしまいます。

当然ながら、
そこから派生する判断や決断も
他人任せという流れとなります。

この様な態様を至極当然だと認識する人は
何をやっても上手くいく事はありません。

そこに「自身の意思」や「自分を持つ」
と、いう思慮そのものが存在しないからです。




自己意思や自分を持たないで
先述した通り他者任せとなってしまうと、
そこに努力の価値を見出す事が適いません。

所謂、「ヤル気が出ない状態」となるのですね。

自らの意思で自らが決断し覚悟を決めるから
前へ動こうとする推進力を得る事が出来ます。

どんな事でも良いですが、想像してみて下さい。
人に「やれ」と言われて行う事よりも
自分で「やろう」と考えた方が
断然動き易くなりますよね。

例え、行動した結果が失敗だったとしても
自身で覚悟を決めて動いた事であれば

そこに一定の責任を背負いこみますから
決して後悔などはしない筈です。

また、それに伴う反省をする事も可能です。

これらの動きを本来のスピリチュアルでは
「正の螺旋」と呼称しています。




善い動きの因果律の中で、
どうしても繰返しと捉えがちですが
そこには時間と空間の概念が必ず加味されます。

つまり、物事や事象に関しては
時間が進む力が物理的に添加されるという意味です。

なので、繰返しですとその形状は「円」ですが、
円に対して推進力を加えると
それはスパイラル=螺旋という形状となるのです。

同じ様な事をしていたとしても、
全く同じには成り得ない事象の進み方の概念です。

少し話が逸れましたが、
この正の螺旋に乗る為に必要なのが
「自分(自己意思)」です。

この自分を持つために必須な動きが、
「やたらと人に合わせない」という姿勢です。

人に合わせれば合わせる程に、
自己意思の減衰は速度を増します。

社会通念上、合わせる必要がある善い部分と
楽を目的とした合わせようとする俗欲の部分。

これらをしっかりと見定めて
腹を括って決断し率先して動く
と、いう業が出来ないと

念頭でお話をした様な上手く捗らない状態へと
滑落していくのです。

この上手くいかない流れの事を
「負の螺旋」と呼称しています。

そして、負の螺旋の流れは
「堕落」そのものですから、行き着く先は
生きている内は「貧乏神」
死んだ後は「悪霊化」を経て「地獄行き」となります。

どの道、皆さんが望む様な幸せとは
程遠い結果となるという流れなのですね。

文字や言葉でこういった事を視聴きしても
この流れがどれだけヤバいのかは
全くピンと来ないと思います。

元々、分かり難い話ですし
そういった内容なので全然構わないのですが、

せっかくなのでこの「ヤバさ」を
記載した本日より三日間の内に
皆さんの夢の中で味わえる様にしてみますね。
2026.5.22~2026.5.25

偶にはこういった遊びもいいでしょう。

貧乏神、生霊、
悪霊、地獄とその先
これらの一端を
視れる様に頑張ります
おっかなくても
ノークレームで
お願いなんやで

2026年3月23日月曜日

経験を重ねて(実戦シリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は考え方について
お話をしたいと思います。




物事を考えたり捉えたり
ましてや、自身で進めたりする際に
大枠で思考し過ぎがちです。

然しながら、
実際は人体の細胞の如く
小さい物事の積重ねであり集合体です。

善きことも嫌な事も
小さいことが積重ね起きるのです。

小さい善きことが積重なるから
大きい善きことが手に入ります。
小さい嫌な事が積重なるから
大きい嫌な事へと発展してしまう。

人生もそうですね。

寿命を考えた時、この先何十年みたいに
数字上の大枠で捉えてしまうが故に
あっという間だなと考えてしまう。

ですが、実際は
この先何十年だったとしても
それは日々の生活の積重ねです。

一日一日を疎かにしていれば
その無駄な時間が積重なっていくだけですし、

24時間という限られた時間を
フルに活用して一日に於ける経験を
その感覚を大切にしていけば
それらの積重ねが確実に形と成るのです。




ちなみに、
一日は24時間ですが実際のところ
睡眠を抜いた意識的に使える時間は
もっと少ないですね。

仕事で使う時間、
家庭に費やす時間、
自分に費やす時間、

これらを週・月・年単位で掛け算すると
一日の貴重さがよく分かります。

そこに病気や怪我、各種イベントなどで
消費する時間を考慮すると
更にその貴重性が増してきます。

これを有用に利用活用するのか
無駄にして投げ棄てるのか
答えは考えるまでも無いのですけどね。

この限られた小さい小さい時間の中で
縷々様々な物事や事象を消化していく。

そして、
その些末とも思える様な螺旋の中で
想いや念や愉しみや辛さ苦しさがあり、
それを形として紡いでいくのですね。

活かすも殺すも自分次第。

生殺与奪は自分が手にしているのですから
どうせなら無駄にしない様に
心掛けていくのが賢明だと考えるのが
本来のスピリチュアルの基本です。

難しく考えずに
ありのままの姿を
ありのままの姿で
よく視て
よく聴いて
よく考える
これに限るんやで

2025年10月3日金曜日

現世に居るのを忘れるな(実戦シリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は考え方について
お話をしたいと思います。




想いを主軸とした動きを行います。
これが所謂「徳積み」です。

徳積みは「善きな事」「善行」と
捉えがちですが、
それで合っています。

但し、俗に言う善行とは
少し違いまして、

善行を行っている際の意識は
何処へ向かっているのか

を、しっかりと考えなくてはいけません。

ただ単にやるのは善行ではあっても
業ではないという意味ですね。
(陰徳陽徳の関係性)

その後、何らかの結果が出ます。

結果が出た際、
そのままにしておいたり
己惚れてしまったりするのではなく、

しっかりと自戒をする。
要は反省ですね。

ここでのポイントは、
失敗したから反省ではなくて
成功をしても反省をする事です。

あくまでも自戒です。
自身を戒める事が必須となります。
その結果、修正点や変更点、
改訂すべき事項が見えてくると同時に

客観的視点という独特の目線が
持てる様になってきます。

また、反省に至る際も
己の俗欲を満たす為なのか
それとも想いの為なのかを
芯に問い続ける事が大切です。

そして、また次へと繋げていき、
ここに時間軸という座標を組み込んだのが

「正の螺旋」です。




想念やスピリチュアルにも
時間の概念を組み込まないといけません。
僕らは現世に生きているのですから、
これは必須であり絶対です。

この座標を組み込まずに
空間や思想だけで捉えてしまうから
整合性が脆弱化しているのです。

本来のスピリチュアルでは
ここを教えています。

時間を座標に入れなければ、
それはループとなりサークルに過ぎません。
ですが、実際にループというのは
存在し得ません。

100%同じ事って起きないでしょ。
固体別に捉えても何もかもが
違うのですから。

で、このサイクルに時間の軸を
座標として加えると、
進行方向への推進力が生まれます。

これを二次元化させると
サークル(円)ではなくて
スパイラルになる

つまり、螺旋です。

こういう思考回路の構築が
本来のスピリチュアルで教えている
本質であり皆さんが理解して
ステップアップに必要な

領域の超越の基礎となります。

難しく捉えない
かと言って
簡単に考え過ぎない
分かった振りが
最低で最悪やで

2025年10月2日木曜日

standards of happiness(実戦シリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は考え方について
お話をしたいと思います。




皆さん想いや念について
日頃から考えたり意識したりと
頑張っていると思います。

以前にインスタのストーリーズにて
幸せの基準について
何だろうねと問い掛けました。

幸せの基準というのは、
念想を「満たす」という事です。

想い若しくは念のどちらかを
貴方を満たす事が幸せの基準となります。

但し、どちらを満たすのかは
その時の貴方がどちらの基軸に
重きを置いているかで決まります。

想い基軸なのか念基軸なのか

そして、どちらの基軸も
相互関係にありますので
貴方には同時に存在しています。

その上で、今この瞬間に
どちらの基軸に
バランスが傾いているのかで
貴方の幸せの基準は決まります。




想い基軸の方へ傾いていれば
「想い」を満たす事で幸せを感じられ

念基軸の方へ傾いていれば
「念」を満たさないと
幸せは感じられません。

ここを対物で満たそうとしても
幸せを得る事は困難且つ苦痛です。

「想い基軸なのに念で満たそうとする」
「念基軸なのに想いで満たそうとする」

こういう事ですね。

例えば、
念基軸の人がどんなに想いに該当する
業を取っていたとしても、
その本質の理解が困難な状態及び
限りなく密度と純度が低いですから

満たす以前に枯渇してしまいます。
同様の流れが想い基軸でも
逆の要素で発生します。

ここを打破させる為には、
基軸そのものを変えないといけません。

わざわざ想い基軸から念基軸へと
自ら偏らせたい人は居ないと思いますが、
どちらも同様の変化が必要となり

その基軸変化を発生させるのが
「正の螺旋」と「負の螺旋」への理解です。

念基軸への変化は
自然発生するけど
想い基軸への変化は
意図しないと無理
せやから
メカニズムを知る
必要があるんやで