2026年8月17日月曜日

熱冷なる抑揚(実戦シリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は考え方について
お話をしたいと思います。




愉しみを得ることの難しさは
言わずもがなな事ですが、

とは言え、
この難しさというものが
単なる「困難」だと思慮するのは
些か稚拙な話となります。

愉しみを得る上で一番の困難は

「相手のためを思考する」

必要があるからです。

例え、
その場に居るのが自分一人だとしても
常に相手つまり「自分以外の存在」を

感じ取っていなければならない。
それを忘れてはいけない。

この感覚と思考の使いようと云うのが
困難とさせている部分です。

しかし、
相手を想うというのは
本来のスピリチュアルに於ける
基本的思考でもありますから、
愉しみを得るのは誰にでも可能な事なのですね。




基本的思考にも関わらず
難しくさせている要因の一つとして

「自分本位」というのがあります。

ここでの自分本位とは
単純なわがまま等ではなく
自我・エゴと呼ぶ様な性格や自己認識

アイデンティティーとなる部分の事を
意味しています。

誰にでも好きなものや
嫌なものくらいありますね。
それを主張する事もありますね。

自分の中の得手不得手や好みというのは
色々なものから成り立っています。
性格然り、経験然り、環境然り、時代然り。

この自分を構成する些細な一部分を
何の気無しに主義主張する事で
「自分」というのは成り立っているのです。

その自分自身が愉しみを得るのを阻害する。
但し、それは自己の主張に
「溺れてしまったら」という話です。

逆に「流されてしまっても」アウトとなる。

自分自身を維持しつつ、主張はすれども
相手のためにバランスを整えた時に

「愉しみ」は得られるのです。

それを私達は自然とやってのけているのですね。
改めて考えてみると
何とも不思議な感じですよね。

そして、その得るための過程で
最も重要な触媒となるのが「努力」です。

これを欠いてしまうと、
どの道愉しみは得られません。
独りよがりとなって自分本位に溺れるか
周囲に流されて自身を失います。

自分というものを
しっかりと持って
徒に流されず
無理に押し付けず
相手との連動を
一番に考え動くのが
愉しみなんやで