2026年9月29日火曜日

恨みと余計なお世話(実戦シリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は考え方について
お話をしたいと思います。




いつも縷々様々な形の自分本位を
ここではお話をしていますが、

身近な所で一番発生率が多いのが

「余計なお世話」です。

一見すると、
別に悪いことでも何でもないのだけど
相手の意に沿っていないので
要らぬ恨みを買う

と、いうのが「余計なお世話」です。

これの何が厄介かと云うと
当の本人に全く罪の意識が無い点です。

どういう意味かと云いますと、

自身の中では善い事や
喜ばれる事を率先して行っていると
信じ切っていて、相手の事など
微塵も考えていない

という事なのですね。

早い話が、「押し付け」なのです。

相手に対して何かをするというのは
自身の価値観で決め得るものではありません。

自身の価値観がそのまま相手に符合すると
考えること自体が烏滸がましいのです。
個々人で価値観は違いますからね。




例えば実際にみかけた話ですが、

スーパーの入口でガラガラに幼児を乗せている
主婦さんが居ました。
幼児は駄々をこねていて
泣いてはいないものの騒いでいる状態。

それを見かけた妙齢の御婦人が
宝物でも見付けたかの様に笑顔で近付き
当たり前の様に主婦さんへ話し掛けたのですね。

「あら~、だいじょうぶ」みたいな。

あの時の御婦人の笑顔と云えば
聞こえが良いですが
ハッキリ言って気持ち悪い笑い顔。

主婦さんも最初こそ社交辞令的な
作り笑いをしていましたが、
明らかに鬱陶しいなという感じです。

それをガン無視しして話し掛けるご婦人。

外は大雨です。
早く車に戻りたかったのでしょうね。
おまけに、幼児は泣き止む事が無いどころか
更に輪を掛けて騒いでました。

そして、御婦人はというと
善い事をしたという満足げな感じで
そのまま立ち去る始末。




この時の御婦人の表情は自分本位そのものです。
自分本位を主として行動する際、
人はその表情などにガッツリ特徴が出ます。

実際の行動も例に紛れず、
自分の気持ちは満たしているけども
相手さんの事は何一つ考えていません。

ここで御婦人が得たのは「恨み」だけです。

また、御婦人に余計なお世話をしたとの
自覚は全く起きていないでしょう。

意識の方向は自分へ向いており、
気にする点は世間体。

こういった無自覚な押し付けが
余計なお世話なのです。

誰しもが同じ価値観で動いている訳ではない。
中には同じ価値観の人も居るでしょうが、

世の中はそこまでシンプルでも無いし
人はそんなに単純でも無いのです。

この様な動きをなるべくせずに
ちゃんと相手の意に沿った動きであれば
似た様な状況の時に
「声を掛けない」という選択もあるのです。

これを「やらない勇気」と云います。

やるべき勇気とやらない勇気
この使い分けをする事が
余計な恨みを買わないで徳を最大限に
発揮する動きとなるのですね。

想いと念が
同じ場所にある様に
徳と恨みも
同じ場所にある
全ては相手次第であり
自分次第でもあるのを
忘れたらあかんで