今回は動き方について
お話をしたいと思います。
自分本位を毛嫌いするあまり
より一層自分本位となってしまう。
そういった現象が当たり前に起きます。
これは自分本位というものを
根本的に間違えて捉えている場合に
発生する動きです。
自分本位というのは、
何度となくお話をしております通り
僕らに元々備わっている
心情であり行動概念の一つです。
当たり前に持ち得ていて
自分本位を失くしたり
また、
出さない様にする事など出来ません。
寧ろ、標準装備されている段階で
必要不可欠なものなのだという
認識を持たないとならない代物です。
僕らが現世で生きる上で
何故この自分本位が必要不可欠であるのか。
自分優位に捉えて動く代物で
自分自身を苦しめる事も確定していて
剰え人様に対しても迷惑を掛ける事に
繋がっていく筈なのに
どうしてわざわざ装備されているのか。
それは、「思い遣り」や「想い」を
学んだり得たりするために外なりません。
自分以外の存在に対してまたは
自分以外の存在から
思い遣りや想いを与える
若しくは受け取るためには
その真逆に位置するものが必要となります。
それが自分本位です。
自分を優位に捉えて動くからこそ
相手を傷付け自分も傷付きますね。
その時々で、心ある対応をされたり
自身が心の入った対応をすると
窮屈だった心情から解放されて
まるで大空を仰ぐ様な感覚になりますよね。
暖かい何かに包まれた様な感覚
とも云えるのでないでしょうか。
自分を後回しにして相手に対して
優先的に動いてあげる為には
そもそも自身が優位であるという考え方、
思考回路が必要となります。
そうでなければ、思い遣りも想いも
成り立つことがありません。
この自分を優位に捉えるという考え方自体が
浄土では学べない。
実戦的な心深い意味での思い遣りを
根本的に得られないのです。
何故ならば、
意思を伝えるという現世で最大級の難関を
いとも簡単に熟してしまうのが
向こうの世界の浄土と呼ばれる空間です。
早い話が相手がどうしてほしいのかが
手に取る様に分かってしまうのです。
なので、いちいち考えを巡らせなくても
思い遣りや想いは染付いています。
と、いうよりもあまりに普通過ぎる事なので
考えに至るという点まで結び付かないのですね。
それは単に
綺麗に見せたい
あなたの俗欲に
過ぎないんやで