今回は動き方について
お話をしたいと思います。
悔しい出来事があった際に
恨み節を奏でてしまったり
過剰に自身を責めてしまったりするのは
少し違うと考えましょう。
大切なのは何故に悔しい思いをしたのか
真の原因というのは一体何なのか
と、いうのを探らなければなりません。
目先で起きた出来事から
1つ1つの要因を探っていく過程で
自分以外への批判や批難をしたり
致し方無しと逃避をしたり
色々な考えが巡る筈ですが、
原因を探るために真実へ潜ろうと
すればするほど、
自身が原因であり要因の一つであると
気が付いてしまうものです。
「あの時こうしておけば良かった...」
「こうする事が出来たのでは...」
「何故こう出来なかったのか...」
考えれば考えるほど
自己嫌悪や自己憐憫に陥りそうな感じですが
いつも教えている様に
お話をしている様に
冷静に俯瞰で視て
客観的にニュートラルに捉えてみると
自身に知識が無かった事や
経験が足りていなかったことなど
圧倒的な情報不足や経験の不足が
悔しさの要因であり原因であると
ハッキリ気が付くことができ
そして、理解することが出来る筈です。
その時の相手の発言だけに
耳を傾けがちになりますが、
その発言に対する自身の発言や
立ち回り方や先見の見出し方や
問題点の見抜き方や論点の落し処など
これまでの自分が手を抜かずに
日々の生活や日頃の業の中で
興味を持って行動し
勇を用いて飛び込んでいったり
そういった動きが多かったら
悔しい思いをする事自体が無かったと
理解してしまうはずです。
それらやそれらで得られるものこそが
即ち「知識」や「知恵」
つまり、「情報」そのものであり
「経験」であり「自信」なのですね。
その上で実感する事になるのですよ、
自分が何も知らないということを知り、
無知は罪であり、
知は力であるという現実を。
想って動けば
自分のためだと
動きが全く変わる
というのが
分かる筈なんやで


